ブログ - 201604のエントリ

医療業界には消費者センターが無い。

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日記
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nakamura 2016-4-29 8:15

 心臓のバイパス手術を受けて、約四年になりますが心臓の調子は良いです。執刀をしてくれた医師にはすごく感謝していますが、ここに至るまでの体験に対して医療業界に不信を覚えたままです。高血圧で15年以上、開業医に通い、糖尿病まで併発しました。一度、大病院に行って心臓の検査をしたほうが良い、と開業医はわたしに告げました。わたしは10年前に検査した時には、健康な人でも不整脈は出るし、心電図で冠動脈狭窄症の表示は出ると言われた、と応えると彼は黙りました。

 ここまでは問題はないのです。ところがわたしが狭心症の発作を起こした時、開業医は彼が以前勤務していた遠賀病院を紹介したのです。そこには循環器科はあっても、心臓血管外科はなく、カテーテル治療しか出来なかったのです。ここで彼はわたしの心臓がカテーテル治療の段階ではなく、バイパス手術だと知ってたはずですが、彼は業界・派閥の利益を優先したのです。

 遠賀病院でカテーテル治療を受けました。ところが近藤医師は二度も治療に失敗し、三度目は治療後に心筋梗塞を起こさせました。緊急治療で血栓を取り除き、一命を取り留めましたが、肺に水が溜まったままの状態で退院させました。わたしは自宅で肺炎を起こし、また、遠賀病院に入院しました。やっと治り、自宅に戻り、散歩をしてる時に狭心症の発作を起こしました。遠賀病院にいくと、近藤医師はやっと大病院を紹介し、バイパス手術で助かりました。

 近藤医師にわたしは尋ねました。

 「最後のカテーテル治療を行った時、血栓がステントから外れて血管の中を流れ、詰まったのですね?」

 「そうです」

 「あなたはそれを放置したのですね?」

 わたしはそのせいで心筋梗塞を起こし、あと二時間経っていれば死んでいたのです。

 「・・・・・」

 「血栓吸入器で取らなかったのですか?」

 「血栓が脂濃すぎて取れません」

 「そのまま放置したのですか?」

 「・・・・」

 このやり取りは今でも、記憶しています。それ以降、近藤医師はその病院から姿を消しました。

 医療ミスで訴えたい気持ですが、医療業界には消費者センターみたいのがありません。こんな被害を受けて悩んでる人はたくさんいますし、病院は治療結果の公表もしていません。三菱自動車が燃費の不正行為をして大問題になっています。国が燃費を企業の申告制にしてるのは企業献金を受けてるからではないか?医療業界に消費者センターを設けず、治療結果の公表もさせないのは政治献金をうけてるからではないか?などと、考えてしまいます。

空腹が心地良い時。

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日記
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nakamura 2016-4-23 9:16

 昨日は竹の子山に行きました。暖かい木洩れ日の射す山で、今年最後の孟宗竹の竹の子をすべて堀りました。帰宅して庭のかまどで枯れた孟宗竹を燃やして、大なべに三杯の竹の子を米ぬかと水で湯がきました。火を燃やしながら、晴天の春日和の下でくつろぎ、幸福な気分でした。

 心臓のバイパス手術を受けて、四年になることを考えました。会社を退職し、カラオケ会、英会話教室、身障者の会などに通い、畑で野菜作りをし、友達としゃべり、旅行もし、時には寂しくなりますが、友達からは、良い生活をしてるね、と言われます。確かにそうですが、振り返ってみるともっと早くダイエットが出来ていれば、あんな悲劇はなかったのにな、と後悔します。怖い手術を受け、手術後には迷妄状態になり、精神錯乱を起こした出来事を思い出すたびに、少し前までは泣くこともありました。

 退院後は自炊生活の中で調理の方法を変えました。砂糖、塩はいっさい使いません。調味は酢、唐辛子などで行います。鍋に肉や野菜を入れ、水は入れません。焦げる寸前まで煮詰めて、最後に醤油を少量たらして、仕上げます。野菜を甘味がじゅうぶんに出て良い味になっています。ご飯は以前の三分の一に盛り、肉、野菜、魚、海草はじゅうぶんに食べます。三十回以上噛み、満腹感を出します。現在、身長は170センチ、体重は65キロで血糖値は正常です。体調は以前より良く、心臓も安定しています。

 間食は時々しかしません。空腹になればその状態を続けさせます。すると、胃は先ほど食べた食物の味を思い出します。余韻として、残っているので食べた後のような満足感が出てきて、昔のように空腹にイライラしたりすることはありません。

 これが貴重な発見でした。

 ダイエットに苦労してる方は、ご飯の量を半分にして肉・野菜は十分に取る、三十回以上噛むことをやってみてはどうでしょうか?

 このブログは三年前に書いていましたが、加筆し直して送信すると消えてしまったので、もう一度書いてみました。

 

 昨夜はぐっすり眠れた。文芸同人誌の仲間達と旅に出かけた夢であった。知らない地域に行き、珍しさを楽しみ、しゃべり合ったこと、風景まで見えたが、目覚めと同時に消えた。カーテンの向こうに陽ざしを見ながら、また目が覚めたしまった、と名残惜しさを感じた。毎日、こんなふうにして目覚めるが、いつかそんなに遠くない日にこんな日は無くなるのである。人もわたしもそのように考え、考えるように常識として組み込まれているが果たしてそうなのであろうか?違う世界で目覚め、やはり夢の中味を想いうかべ、名残惜しさを感じてるかもしれない。その世界と現世は平行しているので決して交わることも出来ず、おたがいに見返すことも出来ない。もしそれが出来たとしたらそれは本当に楽しいし、過去、現在、未来などという時間を乗り越えることが出来る。

 ある男が言った。あなたの過去は違う世界でそのまま生きつづけているのですよ。あなたが中学生であった頃、あなたは中学校の制服を着て、電車に乗って、座席で教科書を開いて読みながら、小倉までの長い道中を過ごしているのですよ。

 これが本当であれば過去を生き直すことが出来、素晴らしいことだ。時間に可逆性はないのであろうか?

重力が起こした熊本大地震。

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日記
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nakamura 2016-4-16 20:54

 一昨日の午後9時頃、地震による大揺れが起こった。和風のがっちりした我が家が揺れ続いた時には、おどろいた。揺れが収まった時に窓を開け、軒ひさしを支えている大黒柱を見た。びくりともしていなかったので安心したが、数時間後にはケイタイ電話から緊急災害情報が出て注意を喚起され、町のスピーカーも大地震が来ると注意を喚起した。何ヶ月かぶりにテレビをつけると、熊本県の災害現場の光景が何度も放映される。布団に入って眠りかけると、地震が起こり、叩き起こされた。

 よく考えてみると、地球の重力が起こしたのであった。断層が1メートル以上ずれた。重力の法則によって重い物が軽い方へずれ落ちたエネルギーが地上に衝撃を与えたわけである。すごいエネルギーであるが、これが地球に自然をつくり、人類を誕生させた根源(神)でもある。高い方から低い方へ移動するベクトルは山と谷の高低をつくり、水の流れをつくり、海に水を貯め、蒸気になって山に戻し、また雨を降らせ、海に貯めるという循環力を作った。心臓が鼓動を打ち、呼吸をし、食べた物が胃に流れ、栄養が体内を巡り、脈を打って血液、リンパ液が流れ、また胎児を押し出し、生命の活動を司っている。

 すべての活動の根源は重力にあり、それが自然の動きになり、私達の活動もその一つにしかすぎない。

岩石が(記憶)すると言う事実。

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日記
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nakamura 2016-4-14 20:49

 今日の毎日新聞、その朝刊で、興味深い言葉を発見した。12ページに掲載されているのだが、「地球の磁場が最後に逆転した証拠」という記事の中に書いてあった。少し難しい内容であるが、地球のN極、S極は360万年に少なくとも11回ほど逆転しているのである。N極がS極なり、S極がN極になったのである。千葉県の養老川沿いに逆転した地層が発見された。

 記事の中に(磁性鉱物が地磁気の向きを正確に「記憶」しているからだ)と言う言葉があり、わたしは物質が記憶する、と言う言葉に興味を抱いた。記憶は物質の働きであったのだ。人間もその働きによって記憶してるわけだが、働きの回路が狂ってしまった者はこちらがしゃべってもいないことをしゃべったと言い、しゃべったことをしゃべっていないと言い、会話の通路が成立しないことがある。発達障害者にそんな人がいる。そんな場合はテープ・レコーダーのような機械・物質の方が間違いがない。人間の場合は自己保存本能(エゴイズムに通じる)が強すぎるからそのようにブレてしまうのであろうが、岩が記憶する、というのであれば、次には(岩が考える)とか(岩の心)という言葉が現れてくるであろう。(我が心は石にあらず)という言葉があったが、(我が心は石である)と言ってみたい。

待機児童を田舎へホームステイ。

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日記
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nakamura 2016-4-10 6:53

 待機児童の受け入れ先が少なくて、社会問題になっている。こんな問題が解決出来ない政権や政治家のレベルの低さに腹が立つと同時に外国ではどのようにしてるのかを書かないマスコミにも同様に感じる。

 戦時中には学童疎開というのがあって、都会の児童が田舎でホームステイをしていた。乳幼児や小学生、中学生など田舎で預かるのだ。週末には親が来れば、彼らも田舎生活を味わえるから良い考えだと思う。乳幼児の世話や事故が起こった時などいろんなリスクはあるが、戦時中に学童疎開の経験があるのだから、十分な調査、試行を経て取り組んでみたらどうかと思う。田舎には暇な老人もいるし、子供たちにとっては自然体験も出来るし、田舎の活性化にもなる。親たちは畑に野菜を作って、自作自食ができるのだ。

右と左は同じ位置にある。

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執筆 : 
nakamura 2016-4-7 11:01

  まず、両手を真横に伸ばしてみましょう。それぞれの端は右手、左手だと習っていますよね。

 では、ぐるりと180度回って、右手、左手を確認してみましょう。右手だった位置が前の位置から見ると左になり、左手だった位置が右になっていますよね。同じ位置が場所を変えることによって呼称が反対になったのです。

 政治や集団の世界、個人の生活においても同じことです。わたしは共産党を信じてるわけではありませんが、情報を知るために赤旗をとっています。ある時、共産党の町会議員に、(共産党は今、共産主義に対してどのように考えていますか?)と尋ねたところ、(むずかしい質問ですね)と言って頭を抱えたまま答えきりませんでした。わたしは、やはりそうだったのか?と考えましたが、上記の理論から考えれば、左翼も右翼も与党も実は同じ位置(本質)であったのです。民主主義体制において投票で政権をとるためのは、国民の生活権を保障し、票を取らねばなりません。生活権も利権、利益なのです。経済的な繁栄が必要になってきます。精神的利益で満足する国民がいる場合は別ですが、現代では経済的利益に満足するように洗脳されています。その流れで満足させるには政治体制、経済体制の構造は同じでなければなりません。

 共産党がもし政権をとったとしたら、民主主義をやめて共産主義体制にするでしょうか?すると、現在の中国、北朝鮮みたいに共産等幹部が利益を吸い取る結果になります。

 日本共産等はそのあたりをどのように考えているのか、赤旗に電話して聞いてみようと思います。

すべての動きは地球の回転力による。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-4-7 6:37

 地上最大の力・エネルギーは地球の回転力である。地球は太陽から振り飛ばされるようにして分離し、公転をはじめ、火炎状態の時には宇宙のゴミを体に吸い取りながら大きくなってきた。回転速度は時速1700kmという信じられない速さであるが人間を含め地上の生き物たちは引力によって貼り付けられているのでその速度は感じ取れない。

 その回転力は重力、磁力を生んでいる。音波によって音を作り、落差のある自然の形、気圧の変化(風)、四季、日の出、日の入り、潮の満ち干き、気温、台風、嵐、地震などすべての活動を作っている。さらに呼吸の動き、心臓の鼓動、色んな体液の流れをつくり、生命を維持し、また死滅もさせる。

 すべての動きは地球の回転力によっている。太陽光線の作用も受けて変化、生命の成長を受けていることを考えると、(神)とは地球の回転力と太陽の光りであることがわかる。古来から太陽を神として祭ってきたことがよくわかる。

 私たちの命も地球の回転力と太陽によって生かされているのだ。

男にはなぜ乳首があるか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-4-5 5:25

 これもわたしの知りたかったことだが、ネットで調べても、わからない、と言う答しかない。けれどもわたしには想像出来るし、以前のブログで書いた両性具有の観点からとらえると理解出来る。動物でもそうであるが人間の体には生きる上において不要なものは一つもないし、現在、不要であっても昔は必要であったものはいくらでもある。爪、盲腸、腋毛などいくつか残っている。爪は木に登ったり、敵と闘う時に相手を引っ掻くことが出来るし、盲腸はわからない、腋毛は頭髪、陰毛などと同じく大切な個所の防衛を役を果たしている。腋毛は体臭、フェロモンを分泌する大切な部分である。人間の嗅覚が野生動物並みの能力を持っていた時、今、誰が何メートル先にいるとか、雌や雄がどこにいるかを事前に感知することは重要なことであったのだ。

 男の乳首の周りには産毛が残ってる場合があるし、両性具有であった頃、両性人は乳首から乳を子に与え、クリトリスとペニス、精嚢と卵巣、子宮も持っていたのだ。前者の二つはどちらかに選別され、子宮は消えて、その部分は縫合され、(蟻の門渡り)と呼ばれて男性のみに残っている。肛門と睾丸の間に筋があり、ぶつぶつしている。そこが女と同じく、膣であり子宮に通じていたと想像する。

 乳首が二つあるというのは双子の出産を想定しているからだし、動物には6個以上あるのはそれだけの出産を想定しているからである。強い動物ほど乳首の数は少ないし、貧乏人の子だくさん、と言われるように弱い者は貧困による乳児の死亡を想定して多く出産するようになっている。

 

(ROWSHIー籠獅)を見る。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-4-4 10:49

 昨日の日曜日は(遠賀川フエス直方)を見に行った。遠賀川の河川敷で行われ、一万二千人の観客が集まり、わたしもライブ・ショウに酔った。若者たちの歌やダンスなどの驚くほどの変化、エネルギーに圧倒された。特にROWSHIの表現(語り音楽)には感激し、何度も涙した。彼は直方の出身で、少年の頃は暴走族でもあり不良であったが10年前からはその経験を糧にして、自分の人生を語り、歌い、叫び、演説し、告白し、祈り、懺悔し、希望をつぶやき、箴言を言い、彼の人生をショウにして、まさに教祖のようであった。多くの若者たちがステージを仕切るフェンスに駆け寄り、手を振り、言葉をかけた。その表現形式は歌や詩や小説などの形に囚われず、自由自在に即興的に歌いしゃべっている感じがして、新鮮な刺激を与えてくれ、わたしの小説のヒントにもなった。形式に囚われなくても良いのだと考えた。自分がいかに今までの小説概念に囚われていたか、文学世界の概念によりかかっていたかの反省にもなった。凄く良い経験あった。鳥羽一郎さんが歌い、無料であるということが参加した理由であったが、思わぬ収穫を得た。

 筑豊という地域に関してわたしは差別と反感を持っていた。生活保護の受給率も日本で一番高く、暴力団も多く、市営住宅の上の階から冷蔵庫を投げ落とすなどという噂やその他さまざまな悪のイメージを持っていたが、それは単に貧困が生んだに過ぎないことがわかった。石炭産業で栄えていた地域が石油の出現のために産業自体が消滅したわけだから、住人たちは貧困に喘ぎ、家庭も壊れ、悪が育っていったのだ。

 だが、貧困や悪はエネルギーを生んだのだった。そのフェスタには筑豊出身のアーチストが何人も登場し、ステージの上のアーチストたちは(おー、そこのお前、来てくれたな!)などと声をかけ、地面にビニールをひいて座っていた観客たちはすごく盛り上がった。

 アーチストや実行委員会の方たちに感謝し、お礼を述べたい。

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