ブログ - 20151119のエントリ
近頃、物忘れが増えてきた。昨日は公開講座を終えて帰ろうとしてして、女子留学生の手提げ袋に手を伸ばしてしまったり、シクラメンという花の名前が思い出せなかったして、なんだか認知症にすすむ気配を感じる。パソコンの機能にもあるように脳に削除システムが働き始めているのではないか?と考える。68年の人生を過ごしてあまりにも多くの経験・知識を蓄えたため、パンクする前に記憶容量を放出しはじめたのだろうが、80歳、90歳で元気バリバリの一般人、学者、スポーツ選手がいる。
若い頃に読んだ、深沢七郎氏の小説(楢山節考)を思い出す。高度成長期のあの時代に、母親を息子が背負って山に捨てに行く物語、を書くなんて、作者はまさにレアである。高齢になった母親は歯が丈夫なことを恥じ、石臼に歯をぶつけて抜け落とそうとし、楢山参り(姥捨て山)に行くのを楽しみにしてるという、その書き出しにはわたしも言葉が出ない。息子は雪の降りそうな日に母親を背負って山に向かう。背中の母親は息子が帰り道を間違えないように目印を道に落としていく・・。息子は母親を山に置いて帰宅するのだが、わたしは死ぬことにも力が要るのだと考える。精神状態が異常になって自殺するのではなく、正常な状態で生存本能に逆行するわけだから、生きるのに等しい力が必要である。今のわたしには出来ない。
野生動物の死体は不思議なことに見られない、とある男が言った。それは他の動物に食われるからだ、と私は考えたがそうではないみたいだ。山歩きや竹の子堀りなどでよく山に入るわたしは野生動物の骨さえ一度も見たことがない。彼らは誰にも決して見つからない所が、死に場所としてあるのであろうし本能的にそこに向かうにちがいない。(楢山節考)の姥捨て山みたいに