ブログ - 20151101のエントリ
昨日は岡垣町町民文化祭に行き、舞台に上がって、(お岩木山)を歌った。本格的な舞台に上がるのは初めてだったので、事前にカラオケ・ボックスで練習したり、出場者達と雑談を交わしたりして、気持を落ち着けた。ステージに立つと、人から聞いたことがよみがえった。自分はスポット・ライトを浴びているのに目の前の観客席は真っ暗で人の顔も姿も見えない。違和感と不安が起こったが、マイクを握ると笑いを作り、頭を下げた。歌は歌えたが、歌いながら微妙な部分を調整するまで気が回らず、観客に気持その分、奪われていた。カラオケ教室の女先生の感想を聞いた。?落ち着いて良く歌えたが、やはり癖が出たね?という言葉にわたしは満足しながら、考えた。
ー先生!癖(下からしゃくりあげるように歌い、ヤクザみたいに斜めに構える)は個性にもなりますよ。
と、いつか言ってやろうと考えていたが、その場では出さなかった。森進一が若い頃、全身で歌い、体を揺すり続ける場合があったが、それも癖として治すべきなのだろうか?個性ではないか?と今度、聞いてみようと考えながら、何かに思いついた。癖と個性は対立しながら、平衡しており、その割合は静電誘導の+と?のようなものではないか?と。癖を個性ととらえるかどうかは多数派の判断しだいである。森進一の場合は名の通った歌手であるから、体を揺する動作も心が入っている個性とみなされるであろう。わたしの場合は悪い癖として捉えられるが、(良い)とそれに対立する(悪い、禁忌)とはどんな世界でも+、?がOになるように一定の割合で存在するのである。二項対立の概念が消えることはない。世界最高気温と最低気温、世界最高峰の高さと最深の海溝の深さ、山深ければ谷深し、太陽の強さと夜闇の暗さ、などあらゆる二項対立のレベルの実数はほぼ同じである。人間や社会の幸福度、不幸度の実数も同じはずである。戦争の被害度と加害度の度合いが同じであるように。