ブログ - 20151118のエントリ
今日は公開講座・日本事情B(福岡教育大学)に参加して、良い刺激を受けた。先生が先週の生徒たち(留学生が70%を占める)の議論の内容を公開し、その中に、日本人は多宗教なのか?ということが出ていたと話した。わたしは宗教に対しては哲学的な興味はあるが、信者でになったりなることはないだろう。一神教があるからその存在感を持つために、静電誘導の原理と同じで多神教やサタン(キリスト教)が対立物として出現したと考えた。
グループに別れて、生徒たちの議論の時間になった。わたしは韓国人、中国人の二人の女子学生に次の質問をした。この教室に入る場合、日本人だと知らない生徒がいても頭を下げるがあなた達の国の場合はどうか??知ってる者がいれば声をかけるが頭は下げない、知ってる者が居なければ頭を下げることはない、と言う返事であった。
それから、一人の日本人女子学生が次のように言い、わたしは日常的なことであったが、驚いて目からウロコが落ちた。?わたしは部活でバドミントンをやってるけど、体育館から出る時には誰がいなくて練習場に向かって頭を下げる。
その心理は非常によく理解出来た。わたしが大学で空手をやっていた時、校舎屋上のコンクリート床であったが、そこでも出入りする時はそのようにした記憶があった。なるほど、日本人は日常生活の至る所に神の存在を知り、祭っているのである。井戸の柱、便所の柱、玄関の柱、庭の祠(ホコラ)にしめ縄をかけるし、十年前までは自家用車のボンネットにまでかけていた。相撲取りの化粧回しもしめ縄である。中国や韓国にはそんなことはないし、道祖神もないと言う。
大樹をしめ縄で囲ったり、神社の狛犬にしめ縄を巻いたり、日本人はすべてに神の存在を知り、祭ることが伝統になっているのだ。言葉の中にまで神が宿っていると信じ、それが言霊信仰であり、多神教だと言われる理由である。日本文化の素晴らしさを知ったが、こんな機会がないとそれを発見することはなかったであろう。