ブログ - 20150914のエントリ
ピカソの絵(泣く女)を観ると、ショックを受ける。あまりに悲惨な顔に驚き、顔を背けたくなるが強烈な印象はいつまでも消えない。実は身近にこんな顔の女の人がいるので、よけいに強い印象を抱いてしまうのです。ピカソは数百点近い絵を描いていて、従来の手法だけでも十分すぎる評価を保つことが出来たのになぜそんな絵をあえて描いたのでしょうか?手法だけでも冒険的であり、失敗であれば失うものが多いのに。そこが彼のすごいところである。そんな悲惨な絵を自分の部屋に飾りたいなどと考える者は絵の評価額に重きを置く者以外はいないはずだ。
(泣く女)は美の観念を超えている。ショックと感動のみである。ヒットラーのファシズムがスペインを侵略し、フランコの傀儡政権をつくった内乱、その悲惨な戦争が(泣く女)に凝縮されている。破壊された顔の悲しみ、破壊された秩序・生活の嘆きなのだ。世界の絵画史の中であんな人物画は初めてであり、失敗作の評価を受ければピカソの評価を落としかねなかったのに彼はあえて描いた。
芸術(美)は秩序や形に依存するのではなく、現す感動(エネルギー)なのである。アルタミラの壁画(野牛)に見られるように美は生命の活動を現すことに始まった。部落、国家が出来ていくうちに政治や宗教権力の手中に入り、その秩序に枠をはめられていった。(泣く女)は政治権力による負のエネルギーを初めて描いた傑作なのだ。