ブログ - 20150125のエントリ
わたしは初対面の人に出会った時、あなたはすごく頭が良いですね、と言われることがあります。ところがわたしは自分の頭の悪さを実社会でじゅうぶん経験させられているのです。例を出します。普通自動車免許は28歳の時に取りましたが、それには悲惨な過程がありました。一年間も教習所に通い、卒業検定も知り合いの指導員に下駄をはかせてもらってやっと取れたのです。そんなに長く教習所に通った者は初めてだ、頭のおかしい人だと言われ、投げ出そうと何度も思いましたが今では普通免許を取っていて良かったと思うし、それでメシもなんとか食えてきました。ともかく記憶力が悪い、手先も不器用である、応用力もない、と良いところは一つも無いのです。
こんなわたしに頭が良い、と言う人はどこを見てるのか不思議です。ただ突拍子もないことを言うのは確かで、このHPのブログに掲載してる通りです。全体を見渡す視点、哲学的思考はありますが社会に認められたことはありません。この歳になって自分の歌がうまい、料理が上手である、などということがわかり、歌手や料理人、デザイナーの世界に進んだほうが良かったと思いますがすでに67歳です。でも歌に酔うことを知り、酒など必要がなくなりました。カラオケ屋に一人で入って歌ったり、自室で歌ったりで自己満足し、それでじゅうぶんです。
一般的に、頭が良い、という場合は二つのケースがあります。記憶力抜群で、学校の授業を受けるだけで一流大学を合格し、マニュアルを軽くこなす人がいます。すべての組織はマニュアル化されているのでどの世界でも通用します。学歴はないが、勘の鋭い人、がいます。テキストを見なくても車のエンジンの分解・組み立てが自在に出来ます。この人もどの世界でも通用します。
この両者に枠組みから離れた視点があれば素晴らしいのですが、その二つの能力が高ければ高いほどその視点の能力は失われていきます。逆にその二つの能力が低ければ枠組みから離れた視点、その能力は高まります。これが天才です。
もしかしたらわたしは天才なのか?などと冗談に思ったりしますが、ここで言いたいのは世間の評価というのは多数派の基準にしか過ぎず、あまりあてにはならないということです。人間の能力をペーパーテストで判断出切るなんて考えているのは受験産業、教育業界、文部科学省の役人たちであり、その権威にすがってメシを食っている連中なのです。この利権の構造が変わらない限り、天才も英雄も出てくることはありません。