ブログ - 20150117のエントリ
以前から不思議に考えていたのは本の値段についてです。本は芸術品でもある、と考えていますが絵画、骨董、書、映画、演劇などと比較して値段のつけ方が変であり、それが作家の成長あるいは良い作品を産むことへの障害になっていると考えます。印刷して大量生産できることが作品の本来の価値を下げているのです。骨董品や絵画であればコピーは出来ませんから、一作品あたり何千万円という値段がついたりしますが本の場合はそんなことはありません。カミュの「異邦人」が文庫本で300円であれば無名で売れない作家の文庫本もおなじサイズとページ数であれば300円なのです。作品の価値も同じかといえば段違いなのです。ブック・オフなどの古本屋に行ってみればよくわかります。作家別に文庫本が並べてありますが、売れ残りばかりですが、無名作家の作品が圧倒的に多くならんでいるのです。一度も名前を耳にしたことのない作家もいてその数におどろきます。
わたしは近作の小説はほとんど読みません。どんな有名作家の作品もそうなのですがページ数ばかりやたら多くて、読み始めてテーマに入るところまで意欲が届かず、挫折してしまうのです。歳をとってエネルギーがなくなったかもしれませんが、ともかく不必要な文章・場面が多すぎるし、書き方が警察物などはマニュアル化していて印象に残る人物や出来事が出てこないのです。文学賞をとった作品もそうです。今の時代は作品の実力より、知名度、宣伝力なのです。
出版社側は作品のページ数、どんな内容か、作家は誰か、値段はいくらにするかなど当然商業主義をベースにしています。大量生産・大量消費です。ページ数が多いと値段を高く出来ると考え、作家もそのように考え従います。だから良い作品を書くことより、大量の文章が頭にあり、それを気にしているのです。
わたしは「異邦人」が文庫本で三千円で売られていても買います。コンサートやイベントの入場料が数万円であっても買う人と同じ気持ちです。本の世界にもそういう考え方があっても良いはずです。そうすれば作家も時間をかけて良い作品を書こうと考えるし、出版社側もそうなっていくはずです。