ブログ - 20150103のエントリ
街をバイクで通っても脚で歩いてみても正月らしい雰囲気がない。まったくというほど無いのである。飾りつけや看板やネオンにないというわけでもなく、夜のイルミネーションだけは人工的に鮮やかである。人の姿はあっても人声が絶えているのである。喜び、笑い、わめき声、怒鳴り声、叫び、すすり泣き、騒ぎ声がないのである。まさに感情をなくした時代と言うしかない。
人間の感情は生きてることの証明である。それがないということは生きながら死んでるということである。わたしは灰汁の強い男と言われたように感情の激しい男で、それで嫌われたり失敗したりしたことはたくさんある。今日も山道を一人散歩しながら、親友のことを思い出しては泣き、(早春慕情)の曲を口ずさんではまた泣いた。この歳になって恥も外聞もなく自分の感情をおもいきり発散してやろうと考え、感情こそもっとも大事にすべきものだと考えた。そこからいろんな考えや着想が湧き、仕事や人間関係や趣味や芸術に通じていくのだ。
笑うことも泣くこともない人生に何の意味があるのか!生きてる意味がない。
親友からの年賀状に、(車椅子の生活になりました)と書いてあって、おどろいた。電話をいれるとバイクにのって集金してる時に乗用車と正面衝突した、腰を骨折し、入院し、破片になった骨を集めて固めているという。言葉が出なかった。67歳でまだ現役で働き、私同様、女好きでガールハントもしていた。まっすぐな男で会社の上司ともよく喧嘩をした彼が、立ち上がることも歩くことも出来なくなるなんて、ただ涙しかない。見舞いに行くが、彼の顔をまともに見れるか心配である。