ブログ - 20111031のエントリ
(今日、ぼくは10キロメートル歩いた)
(今日、ぼくは1時間歩いた)
上記の二つの言葉は同じことを表現していて、空間と時間は同じものである、ということを言っている。(時間と空間は同じものである)と以前言われてその言葉を理解できなかった私は上記のように表現してみて初めてわかった。
では、時間はどんな形で流れるのであろうか?と考えてみた。
直線的であろうか?
そうであれば一直線に歩くような生活、たとえば旅をするような生活であればそうであろうが、ふつうは日々くりかえしの生活が多いわけだからリング状ではないか?しかし、まったく同じことの繰り返しをしているわけではない。
(螺旋状である)同じことの繰り返しのように見えながら昨日とはちがう部分があるから、ラセン状であると考えるべきであろう。これが正解ではなかろうか?
みなさん、どう思いますか?
35年前の女は別れて以来一度もあっていない。わたしの心の中ではいつまでも25歳のままである。すこしも歳を取らず、頬の光沢を浮かべてわたしに笑いかけている。近くのオンナが白粉の下からシワを時々覗かせて離れるのとはちがう。
並列している時間なんてありえないし、それは時間ではなく空間かもしれない。時間の遠近、その秩序が乱れてしまえば時間という観念さえなくなってしまうであろう。狂人の仲間入りをすることになるだろうが、そこに真実があったとしたら?
少し怖い話になってしまいましたが、時々わたしは(また、今日が終わって明日が始まる)なんて思うと時間が憎らしくなってしまうことがあるのです。
みなさんはどうですか?