ブログ - 20111020のエントリ
アメリカやギリシャ、アフリカで格差社会に対するデモが起こっている。アメリカなどは1パーセントの者が20パーセントの富を握っている、という事実に対して失業中の若者達が怒っている。新聞は一面トップで掲載し、民主主義がじつはは王侯貴族と奴隷に近い格差を生んでいるという本質をあらわにしはじめた。これまで(ハッピイ、幸せ)ムードで幼児からマインドコントロールしてきた社会の化けの皮がはがれてきたのである。これをレアは不公平是正の運動とするより、この格差、落差が物理化学的にエネルギーを産む(重力の法則)ととらえる。今まで金持ちが吸い上げてきた金が重くなり、下に落ちていくわけである。じゅうぶんに落ちて均衡化すると次は(持てるもの)と(持たざるもの)のちがいと落差ができて天秤棒が傾き、抗議行動、暴動、戦争が起こる。
戦争は良い悪いではかれるものではなく、物理化学的反応にしかすぎない。
博多駅の広場、そこで昼間からワン・カップを傾けていた爺ちゃんも白髪頭の太った婆ちゃんも消えてしまった。ホームレス達はいなくなり、設けられたベンチで常識人達が新聞を広げ、ケイタイを見ている。ブラザース・フォーの歌(花はどこへ行ったの?)をもじるわけではないが、(ホームレスはどこへ行ったの?)という言葉がおもいついた。たぶんボランティアや福祉関係の人に声をかけられて、バス・トイレつきのアパートで生活しているだろうが、かれらの消えた広場に寂しさを感じるのは私だけだろうか?放浪もふくめホームレスの生活には後ろめたさとともに自由への憧れがあり、優越意識をいだかせられることもあったが、階段でいえば一つの階がなくなったような喪失感をおぼえる。
昔、野良犬というのがいたが、今はほとんどみることはない。(野良犬)という言葉はなくなり歴史的に消え、わたしも10年後には消えている。