ブログ - 201109のエントリ
宗像市吉留の農家で集金して、道にでた。バイクに乗ろうとして、道端に何かを発見した。古びた鍵だったが妙に気になってカメラに収めた。この鍵は倉庫のそばに落ちたまま何をかんがえていたのだろうか?なんてわたしは考えた。自分の歳にこの鍵の歳を重ねてみると、自分自身の姿をみてしまった思いになり、貴重な写真になった。今頃、この鍵はもっと腐食し、ここにあるだろうか?もう一度、訪れ、集金先の80歳のおじいさんの顔もみたいな。花が好きな人で広い庭に珍しい花がたくさん植えてあったな。
取り残されたポットは主の気配を漂わせている。主はこのベンチで休み、ポットのお茶を飲み、離れた位置からこの写真を撮っている。お茶を飲み終えた時に、この写真の光景を予想し、数分先の未来を予想した。自分が去ったベンチとポットに残された自分の気配を感じ自分の姿を見ている。数秒前の過去と現在が重なり合い、と言うより両者は同じ時間の中にいて、過去も現在も未来も実は同じ次元の中にいるのである。
8月6日の灯篭祭りの夜です。10人近い子供たちが集まりました。原田さんが作った竹の灯篭、いろんなデザインのが15本くらいありました。そのなかにロウソクの炎を入れ、夜が来て輝きが増すと、すごく幻想的でした。女の人たちが手作りしたウドンをいただき、畑でとれたカボチャとゴーヤ、ナスの煮付けを食べました。野菜の育て方などの話をし、子供たちは灯篭の炎によろこんで行ったり来たりして、思い深い夜でした。
7月9日の(七夕まつり)はわたしの弟も参加しました。(お金が欲しい)とか(自給自足の生活を手にいれたい)などと願い事を書いて竹ざおを掲げましたが、はたして願いは届いたでしょうか?子供たちも大人たちも真面目な顔をしていろんな願い事を書いていました。
集金の仕事をしている私は毎日いろんな人と出会ってきました。原田さんとの出会いは不思議で、半ば夢をみたように感じられます。宗像市の農村の廃屋、そこに人の気配をみつけ、さっそく駆けつけたところ、現れたのが原田さんでした。わたしは仕事のことより人物のほうに興味をひかれ、赤土を山から運び、雨漏りしている屋根にぬって瓦を葺き替えたり、崩れた壁に泥を塗ったりして、古民家再生をしている姿を見、自分がやりたかったことをしてくれていることがわかりました。その行動に潜んでいる精神に共感したのです。捨てられた古板を見つけては磨き、筆で(愛、夢)と書いて命を与えてあげる、それを詩に書く、そんな優しさと大らかさがわたしの波動とすごく共振し、まさに(自他正同)の経験をさせてもらったのです。原田さんの慈愛のたまものであるその納屋はギャラリーとして完成しつつあります。(詩を食べる店)という名前でなんともロマンチックではありませんか!その中で座ってコーヒーをいただいた時は彼のオーラに包まれ、別世界に行ったような至高の幸福感に満たされました。自分の人生においても稀有な経験でした。
もっと近づき、原田・ワールドに入っていきたいと思います。