ブログ - 最新エントリー

発達障害とは何か?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-18 11:43

 発達障害は4,5十年前までは精神的未熟と呼ばれていたが、何故障害者と名付けられたのかわからない。障害者として区別し、度数をもうけることで度合いを判断し、社会保障をつけて援助し、国家への反乱者になることを防ぐためであろう。

 わたしも若い頃は発達障害者であった。東京のラーメン屋でバイトをしていた時に、客に冷えたご飯を出してしまい、あんたを大人として見て良いのか、子供として見て良いの、かわからない、と店主に言われたことがあるし、それに似たことはたくさんあった。母親が過保護で過干渉だったことが原因だが、68歳の今でも発達障害者であるかもしれないし、それはそれで良いし、世間の秩序に従った言動をとることなどは俳優ほどの技量を必要ともしないものだ。

 身の回りには発達障害者や認知症患者が増えている。周りの者に迷惑をかけるし、マスコミにも絶えず報道されている。わたしは自己分析も含めて彼らの肉体的(=精神的)に理解出来るようになった。彼らに共通しているのは身勝手、自己中心的であるということだ。以前であれば人間性とか人格という言葉で取り上げられたが、彼らはそれらの言葉を理解できなかったし、効果も出なかった。

 人間機械論、という考え方があるが、彼らの脳の一部が故障し、回路が出来ていないか故障していて電気信号が送られないのである。そこで精神的未熟だとか人間性が悪いなどと言ったところでまったく効果はない。回路を修理するか物質を補給して、相手の立場に立って考えられるように修理するしかない。やがて、そんな時代が来る。

戦争は何故起こるか?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-18 9:01

 人が三人集まれば派閥が出来る、という話を聞いたことがある。

 私の人生経験を照らしても組織や秩序には平衡状態があると思う。人間関係においても対外的な関係においてもそれは覆せないし、ヤジロベエのように平衡状態を保とうとする力学がある。普遍的な真理である。まず、ボス(統率者)が出来る、パシリ(指示されたとおりに動く者)という従者、運営や理念に無関心な者、反抗者、イジメル者、イジメラレル者などの差異が出来て自然な釣り合いがとれ、秩序が出来ていく。

 組織が外部の団体によって崩されようとすると、一丸となって闘う。組織の利益・防衛のためにも戦う、これが内乱、戦争である。日本が太平洋戦争後、戦争を70年間もしない、ドイツもそうであるのは戦争の被害や加害が大きすぎて、その反動が出たにすぎない。山高ければ谷深し、である。その位置エネルギーと波形を探れば戦争の周期が数式化できるはずである。戦争はある意味で平衡力を保つために生じるのである。

 組織の化学式がH2SO4(数字は小文字です)みたいに現され、崩壊と再生の数式化も出来るはずである。次の崩壊はいつになるであろうか?

 

三ヶ月も腐らない店頭キャベツ。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-17 7:51

 恐いことを発見させられた。

 その前にはこんな事情があった。掘った竹の子を糠で湯がいて、水洗いし、産直の店に出した。よく売れたが2件のクレームが発生した。お客さんからナメクジが竹の子に入っていたということで、店長から気をつけるように言われ、了解して袋詰めする時に何度も点検した。一週間後にまた同じクレームが出た。おどろいて水洗いした竹の子を置いたザルの裏を見ると、小さなナメクジがすごい速さで草の中から竹の子をめがけて進んでいるではないか!彼らの動きは遅いと信じていたわたしはまたおどろいた。かれらは竹の子の表面ではなく、中の潜り込み、包丁を入れたお客さんが発見したのだ。

 野菜作りをしてたらナメクジなんてしょっちゅう出るよ、という返事の人が多かったが、自分が買った立場に立てばどんな山で採れたかもわからないから、厭な気分になる。自分の山や畑の場合だと環境破壊がないことを知っているから気にはしないが。

 3ヶ月前に遠賀町のルミエール(安売りで人気がある)で、国産と表示されたキャベツを100円で買った。ずいぶん安いし、こんな寒い時期に出来るのか?と思いながらも帰宅して、半分に切ろうとして包丁を入れた。硬すぎて刃が立たない。仕方なく、庭に捨てた。

 竹の子のクレームを思い出して、庭のキャベツを見た。表面が少し、虫に食われていたが元の形でそのまま捨てられていて、腐ってもいないのだ!

 虫も食わない、腐りもしないキャベツにはどんな防腐剤、防虫剤が入っていたのか?想像するだけで恐ろしい!

 蟻の世界にも働かない者が2割いて、それらを排除しても残りの8割が働かなくなると言う法則はいろんな分野にあてはまる。国や地方自治においてもあてはまると私は考えるし、いずれ方程式が考え出されるであろう。民主主義(多数派独裁政治)において、私達は支配されているという意識をすっかり奪われていて、奪われているという考え方さえ出来なくなっている。産まれた時から、テレビやネットで資本主義・多数派独裁政治の思想に洗脳され、小学校に入ってからは文部科学省選定の教科書によって追い討ちをかけられ、その思想の信仰者に仕立て上げられている。ほとんどの者はそのことに気づかないし、うすうす気づいたとしても異議申し立ては出来ないし、実行すれば(あなたは民主主義を否定するのですか!)と言われて村八分にされ、就職もむずかしくなる。

 支配する側が武力を手段にした頃のエネルギーとNHKをはじめとするメディア、学校、会社、その他団体を操作するエネルギーは等しいし、支配勢力と被支配側の力は均衡していて、それが平和という状態なのである。江戸時代が良い例である。徳川時代が300年も続いたというのは均衡状態が長かったのである。今は生活保護や社会保障のシステムで均衡状態、政権与党の期間を長引かせているが、国民の預金を担保にしているのである。金融パニックが起これば金融機関は閉鎖され、政府は国民の預金を勝手に着服することが出来るし、株価操縦には罰則まであるのに政府が公的基金を使って株価操縦をするのは自由である。

 この均衡状態は長続きするだろうし、グローバリニズムというアメリカ帝国主義によって世界中に広まっている。均衡が崩れるのは自然破壊が極限にまで進んで、食べ物がなくなった時である。その時の反動は恐いことになる。食べ物が無いから、人が人を食うということになる。

進化の不可逆性?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-14 17:45

 基礎物理学で、熱力学の第二法則を学んだ。物体の場合だが、熱は高温の物から低温の物へと移動し、その逆は有り得ない、という法則である。私は(不可逆性)という言葉に哲学を感じた。人間の進化は不可逆的ではないか?と考え、自分なりに洞察してみた。胎内において単細胞から魚、両生類、爬虫類、哺乳類と進化し、人間の子供となって出産するわけだが、その逆はありえない。同時に、人間は自然破壊を発展させつづけるであろうから、それを阻止するために出産出来ないようになり、次の生物が地球の頂点に立つであろう。

 進化、という言葉は良い事だと言う先入観があって誤解を産みやすいし、人間を高等動物だという言葉も差別的である。虫にも食われず、人間にも食われない雑草、病気にもかからない彼らが何故、下等なのであろうか?虫や人間に食われないような臭いを出し、味も悪く、硬すぎることで彼らは生存を守っている。肥料も要らず、舗装道路のわずかな隙間から顔を出し、栽培される野菜以上に大きくなる。凄い生命力である。踏まれても抜かれても次から次へと芽を出し、年に三度も草刈をしないと伸び放題になってしまう。わたしの畑では農薬はいっさい使わないためにゴボウ、ニンジン、キャベツなどの種を撒いても虫に食われ、雑草が凄まじい勢いで伸びている。大根とトウモロコシだけが芽を出して成長し、ジャガイモは収穫期に入っているが自然破壊、食物連鎖の中断が起こり、野菜作りが出来なくなっている。この流れは自然界から食べ物を取れなくなるという結論を予期させる。

 進化ではなく、退化に遡って逆行するほうが生き残る可能性があるのではないか?

無秩序の中の秩序?3。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-8 9:36

 秩序とは平衡状態を保とうとする仕組みであり、秩序ー無秩序(秩序の崩壊)?秩序、という変化の流れになる。秩序の内容物は変わるが、平衡状態に復元するという法則は変わらない。自然界、人の生活、社会・政治もその変化に従うが周期を考えれば時間軸が入る。変化のパターンが見つかれば周期があるということになるが見つかる場合と見つからない場合がある。戦争・内乱の周期、地震・災害の周期、株式の値動きの周期など非常に大事な項目があるが誰もまだ見つけてはいない。それは生命現象と同じであり、複雑すぎているし、突然変異的に動く場合があるからである。

 (動的平衡)という本を読んでいるが(平衡)という現象に興味が湧いてきた。

 あらゆる物質の構造には秩序があるので、人間は秩序にすがれなければ生きていけない。進化の過程で両生類から爬虫類に変わったが、不安定な水中から硬い地面に足を置いた時の安定感・快感は私のDNAの中にも残っている。

無秩序の中の秩序ー3。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-8 6:44

 わたしが何故、(秩序)にこだわるかと言うとそれがわたしという人間を形成したからである。先天的素質が形成される原型になってはいるが、あなたもその秩序によってつくられ、すべての生物・物質もそのシステムの鋳型から逃れることは出来ない。一週間前、浜辺を歩いていて不思議な石を見つけた。親指サイズの小さな普通の石だが、ウズラの卵みたいに真ん丸いのだ。その石の流転の時間を考えた。何百年も波に揺られ、浜辺の石ころたちにもまれた人生だった。その石が特別に柔らかかったとかもっとももまれる場所にあったとかいろんな条件がからんでいるにちがいない。

 家庭、学校、メディア、社会、会社、政治体制などすべての秩序が鋳型になり、人間を作り上げている。ほとんどの人は丸い石になるのだが、わたしはいつまでも尖ったままでまわりの石たちとぶつかり合っている。ほとんど(変わり者)と呼ばれる。それが良いとか悪いとかではなく、変わり者を作り上げ、存在させている秩序に興味があるのだ。今、福岡伸一氏の(動的平衡)を読んでいるがすごく面白い。生物化学の研究から人間への哲学的考察に踏み込んでいて、納得させられる部分が多い。蟻の世界には働かない蟻が必ず二割はいる、ということを前のブログで書いたが、その二割は他の八割との間で(平衡)をつくり、バランスのもなっているのだ。この世の対立物はすべてそのバランス状態の上で成立しているのではないか?と、考えた。

 (秩序の発生)について考えてみた。参考にするためにネット情報をみたが載ってはいなかった。

 すべての生物は肉体的、精神的(精神は肉体と同じであるが)に秩序を持ち、その構造に組み込まれている。物質もそうである。さきほどの丸い石も成分と組成の構造式を持っている。細菌もそうであり、その仕組みから逃れることは出来ない。チリが集まり固まりあって地球が出来、物質が出来たことで空間と時間の観念が出来た。

 結論として無秩序というのは物質の無い世界にしか存在しない。

 

無秩序の中の秩序ー2。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-7 9:29

 (エントロピーの法則)をネットで調べると次のように書いてある。ある若者が散らかり放題の部屋の整理を始めた。本やビデオを本棚に入れ、机の上のペンや鉛筆を鉛筆立てに入れ、ゴミを掃除機で吸い取った。丁寧にやったので12時間かかった。ところが排尿する時間がなく、部屋の中で漏らしてしまった。部屋は乱雑・不潔な状態に戻り、エントロピ-の数値が増えた。事物は放置しておくと無秩序に還ることを言いたいのである。

 これに私は疑問を抱いた。

 わたしの部屋は人が訪れることはほとんどないから、整理や掃除はしない。ゴミが溜まればホウキで外に掃きだす程度である。本や、チラシ、醤油や酢漬けにしたビンが置かれ、エロDVDが女の裸体を見せて床の上に置かれている。自分が通る道だけはスペースが空けられている。あるセールス・マンが仕事で部屋に入った時、おたくはやはり(レア)ですね、ビデオをこんな所に置いて、と言ってエロDVDに目を向けて言った。

 無秩序のように見えるが秩序を持っている。わたしは肘掛座椅子に寝そべって本や新聞を読み、ビデオを観、考え事をしたりする。ポーの小説が手に一番近い位置にあり、タオル、目薬、ツマヨウジ、耳かき、血圧計なども近い位置に置いている。よく使う物を手元に置き、めったに使わないものは離れた場所に自然に配置されたのだ。これを一般的な整理の仕方でやると、興味のあるポーの小説やその他の本、DVDも本棚に入れられ、わざわざ立ち上げって歩き、取り出さなければならない。非効率になってしまう。合理主義、利便性、快適さなどという観念は良いように見えて実は悪い部分を持っているのである。

 自然界は決して乱雑ではなく、人間が考える以上の秩序・役割を持っている。落ち葉の存在を考えてみよう。タンポポの種は風によって遠くに飛び、子孫をばらまくように出来ているが、落ち葉は周辺に刺状のものを作っている。遠くに飛ばせないためだ。また完熟堆肥になって親木に養分を吸収させなければならないからだ。枯葉は親木の下の地面の水気を保ち、雑草の種が飛んできても雑草が芽を出さないようにしている。

 人間は自然界の秩序を見習わなければならない。

無秩序の中の秩序ー1。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-6 10:31

 昨日、福岡教育大学の公開講座・基礎物理学の講習を受けた。講義は(熱と温度)の章に入り、(エントロピーの法則)が出てきたので、興味が湧いた。日頃、目に付いていた法則だったが、物理学という分野できちんと講義を受けると基本的な考えがわかり、うれししかった。(分子の運動はなるべく乱雑になる方向に一方的に進む事実)とテキストには書いてあった。そこで、こんな例を出していた。袋の中に10円硬貨をたくさん入れておいてかき混ぜる。床の上に全部ばらまいてみる。裏面になった硬貨と表面になった硬貨の割合はほとんど同じになる。何回繰り返してみても同じ割合である。その法則から日頃、疑問に想っていたことの謎が解けた。世界の人口における男女の割合、世界最高気温と最低気温の数値のほぼ同一性、世界で一番高い山の高さと一番深い海溝の深さの数値、世界全地域における平和と戦争・紛争の割合、金持ちと貧乏人,幸福と不幸、暑さと寒さの割合などすべての現象はこの硬貨の法則に当てはまる。反転対称形でもある。それらは対立していると人間は判断するが反対向けにすれば同じということで、割合の平衡状態が変わることも無い、ということである。蟻は働き者だというイメージがあるが、その二割は働かない、そのことを書いた本が出ていた。働かないニ割りを住みかから追い出してみる。すると、働き者だった蟻の二割が働かなくなったのだ。真理は一般常識を否定する。真面目だ、ナマケモノだ、金持ちだ貧乏だ、健康だ、不健康だなどという良い悪いの位置づけは誰かが決めている俗論にすぎない。

重力と引力は同じ力であった。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-5-26 8:48

 基礎物理学講座に毎週、通い、いろんな法則を再確認した。新しい発見もあった。重力と引力が同じエネルギーであり、捕らえ方の相違でしかなかったということである。日頃、わたしが考えていたとおりであった。これは様々な現象に敷衍し、応用することが出来る原理になりえる。わたしの書いたこのHPの日記、(飛び込むのではなく吸い込まれるのである)はやはり真理であった。ニュウートンが発見したのは、リンゴは落ちているのではなく地面に吸い込まれている、と言う視点であった。

 朝、わたしは目が覚めた。

 この視点は自分の意志の作用を現しているが、上記の真理によれば、太陽の光がわたしの生理機能を刺激して起こした、ということにもなるし、曇りの日であればわたしの体内時計がわたしに呼び鈴を鳴らしたということでもある。もしこんな書き方で小説を書き進めると面白くレアな作品が出来上がるはずだ。わたしは奴の腹をナイフで刺した、ではなく、わたしのナイフは奴の腹に強い力で引っ張られた、と言うことになり、時代が天動説から地動説に逆転したような革命が起こると考えられる。

 現代人は自由という観念に囚われすぎている。自由意志で行動してるように見えながら重力や引力やそれ以外目に見えないものの力と作用で動かされているに過ぎない。そのことに思いついたり考えたりはしない。わたしたちの日常行動を点検してみようではないか!すべて違う角度から見直してみようではないか。逆立ちして景色を見てみようではないか!

 自分の意志など存在しないことがわかる!

 あなたは産まれたいと考え望んで産まれて来たのですか?と問われて、はい、そうです、なんて答えられる人はいない。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2025 7月 » »
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
アクセスカウンター
2025/07/12:80/193
2025/07/11:115/179

2025/06/12より2602/14836