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今月の地方選挙において、無投票で議員の出る地域が多い。政治家になろうとする者がいないし、政治家に魅力を感じないからである。年収一千万ちかい報酬を得れる仕事はめったにないし、公約を達成しなかったからといって責任を追及されることもなく金を稼ぐには良い仕事だと考えていたがそうではないということだ。
政治家になったとして、本人のやりたい活動が出来るであろうか?
出来ないのである。当選するために投資した金の回収を考えなければならないし、議員の資格を維持して収入の確保をするためには多くの国民が望む政策を絶えず考えなくてはいけない。党派に属していれば党の政策に異論を唱えたり自分の政治信条を出すことは出来ない。政敵もいるし本人の考えに反対する者もいる。
同時に自分の政治思想を実現しようとして政治家を目指す者がいるのであろうか?ほとんどいないのである。まわりから勧められた、生活のために収入が必要だ、世襲だから仕方ないなど本来の政治家とはかけ離れた状況になっている。強い政治思想を持ち、命をかけてでも国を守り、世界・人類の平和を望む者が政治家になるべきである。そんな人が当選するシステムにしなければならないのだが、現実は多数の票を取らなければ当選出来ない。投票率が50%を切り、過半数からの支持がなくても当選するのが民主主義であり、利権のない少数派が当選することはありえない。
民主主義制度の矛盾が露出してきている。
顔見知りの町会議員が県会議員になることになった。立候補したこと自体に驚きの声が上げる町民が多かった。町議会で駅南口開発をするかしないのかの住民投票、その住民投票をするかしないのか議論の時であった。彼は開発反対のチラシを見ながら次のようにしゃべった。開発反対の団体は任意団体なのかどうか?金比羅山の杉の木の樹齢が数百年とかいてあるが数十年の間違いではないか?
住民投票をすべきかどうかの議論の時に的外れとも言える発言しかしなかったし、立候補した時には笑顔で頭を下げた者が日頃会った時には知らぬ顔であった。彼が無投票で県会議員に当選することになっている。団体役員を自称しながら働いておらず、父親が町会議員だった、妻子を養わなければならない彼にとって年収一千万円もとれる仕事につけたことは狙い通りであり、無上の喜びであろう。
政治業界の部品としては非常に役立つ男である。
今、目覚め時だが、さきほど布団の中で見た楽しい夢を思い出す。電車の座席に座っていた。窓外の景色がパノラマになって流れ、桜の木が赤、桃色の濃淡をまじえて花咲かせ、小川が流れ、田野の草原が広がっていた。その景色が次から次へと流れ、いつまでもつづくのであった。場面は急に変わり、わたしは都会に住み、その広い部屋で(本当の)妻と住んでいた。なごやかな生活であった。友人がたくさん訪れる日であった。いや、友人宅だったのか(今は昔)になってしまった。床に親友の短い頭髪が一面に落ち、フケも混じっていた。まず、床をきれいにしようということになってホウキで掃き始めた。親友も仲間もいっしょになって頭髪を集めていった。
昨日は竹の子堀に出かけ、現場で皮を剥いたが大きなバックに溢れるほどの量になった。8キログラムほどである。山の斜面で体を支え、小指の大きさほどの芽を見つけ、トウグワで掘っていく。竹の硬い根が這っていて竹の子を守っている。トウグワで切り、汗まみれになって掘り下げていく。心臓は大丈夫か?と心配になることがある。俺もしぶといな、まだ生きている、と思う。
腰を降ろして皮を剥く。竹の子は二十枚ちかい重ね着をしていて、節が成長した時の節になるわけだが、段差があるので、芽の柔らかい部分は最終的に二十枚近い重ね着という構造になっている。下の部分は土に守られるが芽の部分は寒さに会いイノシシに狙われまわりに敵が多い。芽の部分は赤ん坊のように大事にしているのだ。
竹はすっかり嫌われ者になってしまった。役立たずというだけではなく森林を侵食して破壊する敵とまで言われ、切り倒される運命である。利用価値がないと資本主義が判断してるわけだが、酸素を出し、土砂崩れを防いでいるという大事なことを(人間中心主義)のこの世は忘れている。
(今は昔、竹取の翁という者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ)で始まる竹取物語を思い出した。金色の竹を見つけ、かぐや姫が現われるわけだが、わたしの前に現われてくれるだろうか?と夢心地になる時がある。今は昔のことになってしまった、という意味だが日本の古典文学にその書き出しは多い。わたしが(今)と書いた時、(今)はすでになく過去のことになっている。時間の観念を考え出したのは人間が文字を持ち始め、竹取物語の書き出しにあるように、文字にしただけでそれがすでに過去になってることを発見したからにちがいない。動植物には時間の観念がなく、必要がない。経験からDNAを変化させているが、野生動物はその日暮らしだから過去や未来を考える必要がないのだ。イノシシは人間の数万倍の嗅覚を持っているのでわたしが竹の子を見つける前に見つけ、牙で掘り出して食べている。その残りをわたしは掘っているわけだ。まだ地面の下で芽を出しかけている竹の子はたくさんあるがわたしには見つける方法がない。イノシシであれば匂いで見つけるであろう。未来にジャンプすることが出来ということだ。
人間の意識はハードディスクである。どこに針を落とすかによって過去にも未来にも自在に跳ぶ事が出来る。野生時代に持っていたその能力は知性と引き換えによって失ってしまった。未来の記憶、過去の計画、などという常識外れの世界が実はあるのではないか?夢の中では過去も未来も現実もなく自在に飛んでいる。日常生活は現代文明の体制に洗脳されているが夢の世界ではそれから解放されている。夢の持つリアリティは恐いくらいである。鮮明にして現実以上の実感がある。視覚を通さずにダイレクトに脳で見るからである。
夢のつづきがあるのなら連れて逃げると言った人、で始まる吉幾三さんの(あんた川)の曲が口をついて出てくる。
今月は週に三回ほどパソコン教室に通いました。テクニックを身につける狙いと同時に(心は量子で計れるか?)というテーマ、そのヒントでも触れることが出来るのではないか?という考えがあったのです。エクセルの講習で(IF関数)が出た時にヒントが出ました。(もしもこんな条件をつけた場合)ということなのです。従業員のデータの中で新宿区に住む人、男あるいは女、年収千万円以上の人を探して色分けしなさいとPCに指示をした場合PCは瞬時に判断して表示するのです。では性別を指示する場合、(男でもあり女でもある)という矛盾対立した認識ができるか?と疑問が湧きました。女の講師は外国では性別の欄に(その他)という項目があると言っていました。両性、中性、体は男だが心は女、体は女だが心は男、などの場合です。条件をつけるというのは数学にもあります。
PCは進化し、人間の頭脳に近づき、人格を持つでしょう。第二の人類の出現です。
初期の胎児は中性の状態で雌雄の区別はありません。胚珠が現われて男と女になっていくのですが、それは誰の指示なのかわかりません。人類を絶滅させたいと考えれば中性のままにしておけば良いし、それは(初期化)なのです。進化をさかのぼっていけば単細胞だったのですから初期の状態に戻るだけです。PCは進化し、人類が退行していくとすれば?主導権が入れ替わるだけです。
以前のブログに農薬のことを書きました。毎日新聞でしたが、ホウレンソウにかける農薬の濃度を十倍にしても人体への害はないと掲載してありました。この新聞社の思考のレベルが低いというより、人体だけではなく他の生物、地球全体への害をはっきりさせる方程式(それは真理になる)がないかと思案するのです。真理は世界共通のものです。神と言っても過言ではありません。重力の法則など自然科学の法則は誰でもが認識でき、くつがえすことはできません。
3、4日前の毎日新聞はラウンドワンという農薬に発がん性があるという記事を載せていました。メーカーは発がん性はないと言う、とも書いていました。メーカーの社長に言いたい。あなたはラウンドワンを飲めますか?と飲んでみて宣伝しろ、と言いたい。
来月からは福岡教育大学の公開講座で物理学の基礎を学ぶ予定です。なにか発見できるかもしれません。宇宙の法則、地球の法則などスケールが大きくなると神の領域に近づきますが、ラウウンドワンには害がないという方程式はあるのでしょうか?実験結果で害がないという部分だけをデータとして取り上げているのでしょう。例のスタップ細胞の事件ででもわかるように実験結果のデータなんていくらでも捏造が出来るのです。
神の方程式が出来たとすればこの世、人間世界も少しはましになるでしょう。
昨日、岡垣町歌謡音楽祭に行きました。町外と町内の人が130名ほどステージに立ってで歌いました。皆、上手でしたがわたしの目当ては宮路オサムさんでした。宮路さんがステージに現われる頃には客席もほぼ満員でした。無料だったので超満員になると予想していましたが結果はそれほどでもなかったのです。客席はわたしも含めて老人ばかりです。
(涙の操)という演歌はわたしの青春時代の象徴です。欧米のポップスやベートーベンばかりを聴いていたわたしにとって演歌は自分の感性に近すぎて嫌いでしたが、(涙の操)だけはなぜか自分の心に強く焼き付いていました。ビデオカメラを回しながらわたしは何度も涙を流していました。青春時代にフラッシュバックしていたのでした。「操」って何?と話していた女の声を耳にしました。宮路さんは歌い終わると老いた観客を見回して「今日は同窓会みたいだな!」としゃべり、舞台を去る時には「また会おうぜ!」「生きていたらな!」と捨て台詞を残して笑い、さすがレコードをその曲だけで600万枚も売った男だと改めて思いました。七十歳を過ぎているのに若者でした。
(涙の操)だけで600万枚もレコードが売れた、という彼の言葉を思い出しながら、考え込みました。それを超えた曲はない、とも言っていましたが、600万人が買ったということです。何故でしょうか?単純計算してもかれの懐には数億円の金が入っているはずです。普通であればそれで彼の人生は大きく変わっているはずですが、地道な歌手生活を続け、いぶし銀のような歌い方もそのままです。軽快ですごくリズミカルな曲は当時の高度成長期のパワーですが、浪花節のように唸る声が謳歌する女の気持ちはふつうはアンバランスになるはずですがうまくノッテルのです。ジメジメするはずの歌詞が心地よく踊っているのです。
本来は女の敵にもなりえる男が歌う、男が歌う女心がさわやかな印象と同時にすごく心を打つのです。不思議な歌というしかありませんが、600万人に感動を与えたのです。宮路さんの誰にも真似の出来ない声は渋みがあり、日本刀で切るような魔力があります。ネットでは灰汁の強い声とかいてありますが、わたしも(灰汁の強さ)では引けをとりませんから、それを活用してエポック・メイキングなことをやってみたいのです。
組合長はわたしの言ったシステムというのがわからなかったのです。POSシステムのことで、今、何がどれくらい売れているか何が足りないかがわかるのです。店にとっても客にとっても良いシステムでスーパーであればどこでも導入しています。
JAの店なのでそんなことも知らない人が組合長になっているのです。JAは独占企業に近い存在だからでしょう、関心もないみたいです。わたしは自動車の組み立て労働を5年間ほどしました。今、何時なのか腕時計を見る時間もないほどの極悪労働でしたが、改善提案活動がさかんで週に3、4件の提案を会社が求めてきました。会社は評価し、金を出します。労働を買うと同時に知恵も買うのです。日本の自動車産業が世界的に強いのはそこにあります。
わたしは産直の店に電話で問い合わせれば良いのでしょうが、小額の商品のために毎日電話など出来ません。17時に閉店するので竹の子が売れたかどうかバイクで行ってみるでしょう。早めに行って売れてなければ値段を下げて完売の状態にも出来るのです
ここに日本の農業の現実の姿があります。政府が補助金など出して農業を依存症にするよりは知恵を出させる方向に進めるべきです。わたしは自宅の庭を歩きながら、何か買ってくれるものはないか?と毎日考え、創意工夫に頭を使っています。
わたしの家には百坪ほどの畑があり、敷地が七百坪なので色んな果樹が植わっています。山も二千坪くらいあります。すべて先祖が築いたものですが、国民年金しか収入のないわたしは出来るだけ活用して収入にしようと考えています。五年間ほど産直店に出荷し、日本の農業が少しずつわかってきました。
先ほども産直店に行きました。昨日は小雨の中、カッパを着て竹の子を1kgほど堀りました。まだ出始めで探すのに苦労しましたが、足先で見つけた時はすごく嬉しかったです。皮を剥き、米ぬかを鍋に入れて1時間も湯がき、アク抜きをしました。350グラムずつビニール袋に分けて入れ、午前8時に店にバイクで行きました。9時に開店なのですが店は開いていて、生産者達が採れたものを並べていました。竹の子皮を剥いてない状態で10袋も並んでいて、片手半くらいのに700円の値段がついていました。わたしの竹の子は皮が剥いてあり、アク抜きもしているのでわたしは一袋に680円の値札をつけました。
さて、売れるかどうか、結果が楽しみです。
そこはJA系の店なので、70歳近い女の主は組合長と呼ばれています。2年前に生産者との懇親会があり、会費2000円を払って、飲んだり食ったり、カラオケで楽しみました。その前に話し合いの場が設けられ、生産者の発言の場がありました。
「わたしが出品しても売れたかどうかがわかりません。システムを入れてスマホやパソコンで情報がわかり、売り切れていればすぐにでも持っていける体制にしたほうが良いのではないですか?」
わたしは質問しました。
「それはあなたが自分でやれば良いじゃないですか?」
組合長は答えました。
わたしはその答えの意味がわかりませんでしたが、組合長もわたしの発言の内容がわかっていなかったのです。
明治時代以前は、天皇など高貴な人が死ぬと(お隠れになった)という言葉を使った。その言葉を思い出すと、すごく興味深く日本という国の魅力をおぼえるが、それは自分が(お隠れ)になる年を控えているからであろう。何年後になるのか予想はつかないが(死ぬ)のではなく、(隠れる)のであればどこに隠れるのか(かくれんぼ)をするような期待感もある。蛇足であるがこの町の海岸べたに(かくれんぼ)というラブホテルがあり、よく利用させてもらったからそこに隠れることが出来れば幸福だと思う。
量子力学や超ひも理論ですでに証明されているように異次元世界は存在している。私達にはそれを受信できる受信機(テレビ)がないために見ることは出来ないが、わたしは心臓のバイパス手術後のせん妄状態の中で体験した。(観察室)という病棟のベットに寝ていたのだが、出入り口の先に公民館の受付窓口が見えた。茶色い板張りの壁に掲示板が見え、盆踊りの練習やソフトバール大会への誘いのポスターが張ってあった。わたしは確かに見たのだ。母の実家の近くを仕事で戸別訪問した後、公民館はどこにあるのか考えたことがあったのが原因だろう。
ところが白衣姿の看護婦達が何人も行ったり来たりしていて、おかしいな?と考えた。何日か後にいつもの掃除婦が来て、床のモップがけを始めたので聞いてみた。この近くに公民館はありますか?と。掃除婦は不機嫌な口調で、ありません、と答えた。わたしは自分の脳がおかしいと判断し、それに似たせん妄を一つずつ確認し頭の中を修正していった。
今ではもうそんな譫妄はないが、明け方に目覚めかけた頃、布団の周りを見回して人の姿をみることがある。パソコンデスクや束ねられたカーテン、ハンガーにかかったツナギ服などが人の姿に見え、恐くなることがある。妄想と現実が重なり合っているだけかもしれないが、異次元世界が見えたのかもしれない。パソコンの画像でも縮小し重ねることができるのである。
異次元世界をはっきりさせなければならない時代にきている。
ドイツ、フランス、オランダには(飾り窓の女)という世界があって、売春を国営にしている。合理主義が徹底しているのだ。日本には風俗業というのがあって届出をすれば売春行為の営業ができるようになっている。性行為はしないという建前だが現実はやっている。わたしもじゅうぶん活用させてもらったが、そろそろ売春防止法など撤廃して合法化すべきである。女性が身売りさせられて気の毒だという考えはわかるしそんな時代があったことは確かであるが、お金に切迫したり男が欲しい女はいるし、女が欲しい男もいるのである。性を否定することは出来ない。従軍慰安婦の問題におけるように強制してはいけないが、需要と供給がある限り、この世界はいつの時代にもどんな国にもあるのである。税収にも貢献する。
性の世界はむずかしいし、魔力があるゆえに怖い部分あるが、半端な性教育しかしていない現状では逆に悪い効果しか起こしていない。男が起こす殺傷事件やレイプ、セクハラなどの多くは性の不満足、性のストレスから起こっている。今、わたしはパソコン教室に通ているが、便利な反面複雑な操作に疲れる時がある。性教育もそうであり、性の世界もそうである。(性講座)でも設けて、まじめに性に取り組むことが若者にとっても大事なことである。
わたしが変わり者のせいでしょう、周りに変わり者と知り合うようになりました。傘をさして風呂に入る女は七十歳過ぎですが、その人が特定される可能性があるので詳しいことは書けません。彼女は亭主も一人息子も持つ普通の家庭の主婦ですが、五十歳前後から認知症にかかったようです。自分の家の屋根裏にドロボウが住みついていて、食堂間に下りてきて冷蔵庫を開けて肉や野菜を盗んで屋根裏でスキヤキを作って食べているとか、主人の飲む焼酎も飲んでいるとかしゃべるのです。天井板は主人にすべてガムテープを貼らせたり、家の周囲に監視カメラを何台もつけているのです。主人は定年退職していて、おまえは頭がおかしい、などと言うと彼女は道に出て金切り声をあげて騒ぐので主人も言うなりになっています。彼女の知り合いの女が認知症を指摘すると、ここには書けない差別用語を吐いて風評を撒き散らし、金切り声をあげて怒鳴りつけます。
被害妄想以外では普通の能力があり普通の生活をし暴力も振るわないので警察も手を出せないし、彼女は屋根裏のドロボウの件で警察にも相談に行っています。
「あの人は風呂に入る時は傘をさして入るんだってよ」
「ヘー、でもどうやって体を洗うのかしら?」
「傘をさしたままでは洗えないわよね」
「主人にさしてもらって入るのかしら?」
「どうしてそんなことまでするの?」
「屋根裏のドロボウが裸の体を見てるからよ」
などという女どうしの会話が一週間前にありました。
テレビとは不思議なもので、人には見えない電波を捉えて違う世界を観せてくれますが、その老婆の頭のチャンネルには一般とは違う世界が入っているのです。それは若い頃貧乏生活に苦しめられたこととかセクハラにあったとか、そんなことが引き金になって脳がノイズを起こし妄想世界を展開させているのです。故障した受信機(テレビ)なのです。本人はそのことがわからず、妄想世界の映像を観続けているのです。認知症の人がすごく増えています。わたしだって最近物忘れをするようになり、認知症に進むことが考えられます。本来、老死すべき者が生きていることが認知症の原因なのですから、安楽死を積極的に取り込み、死の価値を認めるべきです。
近頃、新しいことを発見しました。珍しいことではなく自分が知らなかっただけのことかもしれませんが、貴重なことでした。ここは閉鎖的な町なので噂が飛び交うので具体的な事例は書けません。
男女が異性に惹かれる場合、イケメンだとか美形だとか言ってさも顔形に原因があるように話しますが、わたしの場合、実際それが理由恋愛が成立したことはほとんどありませんでした。付き合いが始まり、いろんな打ち明け話などしている時、女がふと見せた表情にすごい可愛さを覚え心の中の映像に焼き付けられることがあります。それは一瞬ですが一瞬だからこそ凄い効果をもたらします。
人の心の風景を現すのは顔形ではなく表情なのです。現実社会や映画の中で素晴らしい景色に出会うのは自分の心と反応し合っているからです。人と出会って心が晴れ晴れするのもそれが原因です。散歩しながら鼻歌が出るような日がありますが、それは何にでも変えがたい時間です。