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都知事の舛添氏が432万円あまりの公金を私的に流用し、一部を認め、返金するという。マスコミに報道されている。前都知事の猪瀬氏も似たようなことをして、辞職している。二人とも政治評論家であり、都知事になる前はテレビや本で権力側をしきりに非難していたが、結局はコインの裏表であった。批判・攻撃する側とされる側は同じ成分を持っていたのである。
わたしだって仕事で不正行為をしたことがあったので、非難ばかりをする気はない。上記の二人はほんの氷山の一角であり、誰でも似たようなことを日頃、やっているのだ。ただ、彼らは公的な高い立場にあることが問題なのである。
都庁の構造、国家の構造を指摘すべきである。法律は権力側が作るのでかれらの都合の悪い法律は作らず、作ったとしても政治資金規正法みたいなザル法しか作らない。公金横領罪は刑法にあるが公金流用罪はない。政治家たちが自分の仕事に意味と価値を持ちたいのであれば、国会で(公金流用罪)を作って、舛添氏みたいな男を刑務所に入れれば良いのである。
2日前の5月11日はわたしの69歳の誕生日でした。例年、通り誰も祝ってくれず、自らも大した関心はなかったのですが、物忘れがちらほら出始め、これが進行するとどうなるのか興味が沸きました。保険会社と電話で話している時に次男の名前を聞かれ、頭をひねりながらついに出なかった時はショックでした。一週間後に馴染みの名前がやっと出て来て、落ち着きました。
テレパシーという言葉が思い浮かばなかった時がありました。超能力という言葉だから、通信を意味するテレがつくはずだと考えると言葉が頭に浮かんできました。今日の朝は小説を書いていて、シュール・レアリズムという言葉を頭の中で何度も捜すのですが出てこず、超現実という意味だから、スーパーという言葉が最初につくがフランス語だから、・・・と迷ってるうちについに諦めました。認知症の出始めた作者が書く小説はどんなものになるのか?面白いかもしれません。サムエル・ベケットは精神病患者の個性的な言い回しを文体に変えて(名づけえぬ者)という傑作を出しています。
この歳になるまで様々な言動、体験、学習をして、相当な情報量が脳に蓄積されてるわけですから、パソコンの管理のように脳が自動削除をしてるのでしょう。重要度の低いものからやってくれれば良いのですがそうはいかないみたいです。
三つやることがあれば一つは忘れているみたいです。この流れでいけば物忘れがひどくなる一方でついには自分の名前すら忘れるかもしれません。人生体験も次々自動消去され、幼児退行現象に落ちていくでしょう。近所に同姓同名の男が住んでいました。番地も似ていたので誤配が多く、現金の入った封筒が届かないこともありました。彼も老いていき、認知症にかかり、女を見ればどの女にでも抱きつき、精神病院に入れられて亡くなったという話を耳にしました。本当かどうか確かめはしなかったのですが、自分の未来を見せ付けられたみたいで、苦笑しました。
最後は初期化されるのです。産まれる前の白紙に戻るのです。
知らぬは仏、なのです。
それからの再出発は素晴らしいことです。
サプリメント(栄養食品)のセミナーに参加した時、講師の女は次のように話した。?お金はエネルギーなのです、と。わたしもそのように思っていたので関心を向けた。彼女の夫が会社をリストラされ、借金を重ね、1・・円ほどにもなった。彼女は1から下の単位は言わなかったから相当大きいのであったろう。小学生の息子の作文が彼の机の上にあったので彼女は読んでみた。?昨日、学校から帰って空腹だったので冷蔵庫を開けてみた。何も無かったので氷を出して食べた、と書いてあった。彼女は絶句し、悲しみに押しつぶされそうになった。
縁があって、サプリメントの紹介販売をはじめた。顔の広い友達が買ってくれ、買ってくれた人がまた次の人を紹介してくれ、その人からの利益も入り、収入はネズミ算式に増え,年間一億円の収入だ、と言う。美顔で高級ドレスを身につけ、余裕のある表情を絶えず見せていた。
わたしはその話に納得したが、疑問も抱いた。金は確かにエネルギーを与えてくれるが、逆に心配も抱え込むことにもなる。盗まれたらどうしようか?金を貸してくれ、と言われたらどうしようか?などであるし、使わない金はエネルギーがなく、紙切れと同じである。
ここに一万円の紙幣があったとする。一ヶ月分の米を買うのか、おしゃれをするために洋服を買うかによって価値が大きく変わる。計り知れない価値の差がある。氷しか食べれなければ、何とかして金を作ろうと考え行動して、エネルギーを燃やすのであろう。金欠もエネルギーを与えてくれるのだ。先進国と呼ばれる国、後進国と呼ばれる国があるが、顔を見比べてみると後進国(開発途上国)の人々の顔の方が輝いている。お金は単なる数字で計られるわけではないし、すべてのものの数字には計り知れないものが潜んでいる。
心臓のバイパス手術を受けて、約四年になりますが心臓の調子は良いです。執刀をしてくれた医師にはすごく感謝していますが、ここに至るまでの体験に対して医療業界に不信を覚えたままです。高血圧で15年以上、開業医に通い、糖尿病まで併発しました。一度、大病院に行って心臓の検査をしたほうが良い、と開業医はわたしに告げました。わたしは10年前に検査した時には、健康な人でも不整脈は出るし、心電図で冠動脈狭窄症の表示は出ると言われた、と応えると彼は黙りました。
ここまでは問題はないのです。ところがわたしが狭心症の発作を起こした時、開業医は彼が以前勤務していた遠賀病院を紹介したのです。そこには循環器科はあっても、心臓血管外科はなく、カテーテル治療しか出来なかったのです。ここで彼はわたしの心臓がカテーテル治療の段階ではなく、バイパス手術だと知ってたはずですが、彼は業界・派閥の利益を優先したのです。
遠賀病院でカテーテル治療を受けました。ところが近藤医師は二度も治療に失敗し、三度目は治療後に心筋梗塞を起こさせました。緊急治療で血栓を取り除き、一命を取り留めましたが、肺に水が溜まったままの状態で退院させました。わたしは自宅で肺炎を起こし、また、遠賀病院に入院しました。やっと治り、自宅に戻り、散歩をしてる時に狭心症の発作を起こしました。遠賀病院にいくと、近藤医師はやっと大病院を紹介し、バイパス手術で助かりました。
近藤医師にわたしは尋ねました。
「最後のカテーテル治療を行った時、血栓がステントから外れて血管の中を流れ、詰まったのですね?」
「そうです」
「あなたはそれを放置したのですね?」
わたしはそのせいで心筋梗塞を起こし、あと二時間経っていれば死んでいたのです。
「・・・・・」
「血栓吸入器で取らなかったのですか?」
「血栓が脂濃すぎて取れません」
「そのまま放置したのですか?」
「・・・・」
このやり取りは今でも、記憶しています。それ以降、近藤医師はその病院から姿を消しました。
医療ミスで訴えたい気持ですが、医療業界には消費者センターみたいのがありません。こんな被害を受けて悩んでる人はたくさんいますし、病院は治療結果の公表もしていません。三菱自動車が燃費の不正行為をして大問題になっています。国が燃費を企業の申告制にしてるのは企業献金を受けてるからではないか?医療業界に消費者センターを設けず、治療結果の公表もさせないのは政治献金をうけてるからではないか?などと、考えてしまいます。
昨日は竹の子山に行きました。暖かい木洩れ日の射す山で、今年最後の孟宗竹の竹の子をすべて堀りました。帰宅して庭のかまどで枯れた孟宗竹を燃やして、大なべに三杯の竹の子を米ぬかと水で湯がきました。火を燃やしながら、晴天の春日和の下でくつろぎ、幸福な気分でした。
心臓のバイパス手術を受けて、四年になることを考えました。会社を退職し、カラオケ会、英会話教室、身障者の会などに通い、畑で野菜作りをし、友達としゃべり、旅行もし、時には寂しくなりますが、友達からは、良い生活をしてるね、と言われます。確かにそうですが、振り返ってみるともっと早くダイエットが出来ていれば、あんな悲劇はなかったのにな、と後悔します。怖い手術を受け、手術後には迷妄状態になり、精神錯乱を起こした出来事を思い出すたびに、少し前までは泣くこともありました。
退院後は自炊生活の中で調理の方法を変えました。砂糖、塩はいっさい使いません。調味は酢、唐辛子などで行います。鍋に肉や野菜を入れ、水は入れません。焦げる寸前まで煮詰めて、最後に醤油を少量たらして、仕上げます。野菜を甘味がじゅうぶんに出て良い味になっています。ご飯は以前の三分の一に盛り、肉、野菜、魚、海草はじゅうぶんに食べます。三十回以上噛み、満腹感を出します。現在、身長は170センチ、体重は65キロで血糖値は正常です。体調は以前より良く、心臓も安定しています。
間食は時々しかしません。空腹になればその状態を続けさせます。すると、胃は先ほど食べた食物の味を思い出します。余韻として、残っているので食べた後のような満足感が出てきて、昔のように空腹にイライラしたりすることはありません。
これが貴重な発見でした。
ダイエットに苦労してる方は、ご飯の量を半分にして肉・野菜は十分に取る、三十回以上噛むことをやってみてはどうでしょうか?
このブログは三年前に書いていましたが、加筆し直して送信すると消えてしまったので、もう一度書いてみました。
昨夜はぐっすり眠れた。文芸同人誌の仲間達と旅に出かけた夢であった。知らない地域に行き、珍しさを楽しみ、しゃべり合ったこと、風景まで見えたが、目覚めと同時に消えた。カーテンの向こうに陽ざしを見ながら、また目が覚めたしまった、と名残惜しさを感じた。毎日、こんなふうにして目覚めるが、いつかそんなに遠くない日にこんな日は無くなるのである。人もわたしもそのように考え、考えるように常識として組み込まれているが果たしてそうなのであろうか?違う世界で目覚め、やはり夢の中味を想いうかべ、名残惜しさを感じてるかもしれない。その世界と現世は平行しているので決して交わることも出来ず、おたがいに見返すことも出来ない。もしそれが出来たとしたらそれは本当に楽しいし、過去、現在、未来などという時間を乗り越えることが出来る。
ある男が言った。あなたの過去は違う世界でそのまま生きつづけているのですよ。あなたが中学生であった頃、あなたは中学校の制服を着て、電車に乗って、座席で教科書を開いて読みながら、小倉までの長い道中を過ごしているのですよ。
これが本当であれば過去を生き直すことが出来、素晴らしいことだ。時間に可逆性はないのであろうか?
一昨日の午後9時頃、地震による大揺れが起こった。和風のがっちりした我が家が揺れ続いた時には、おどろいた。揺れが収まった時に窓を開け、軒ひさしを支えている大黒柱を見た。びくりともしていなかったので安心したが、数時間後にはケイタイ電話から緊急災害情報が出て注意を喚起され、町のスピーカーも大地震が来ると注意を喚起した。何ヶ月かぶりにテレビをつけると、熊本県の災害現場の光景が何度も放映される。布団に入って眠りかけると、地震が起こり、叩き起こされた。
よく考えてみると、地球の重力が起こしたのであった。断層が1メートル以上ずれた。重力の法則によって重い物が軽い方へずれ落ちたエネルギーが地上に衝撃を与えたわけである。すごいエネルギーであるが、これが地球に自然をつくり、人類を誕生させた根源(神)でもある。高い方から低い方へ移動するベクトルは山と谷の高低をつくり、水の流れをつくり、海に水を貯め、蒸気になって山に戻し、また雨を降らせ、海に貯めるという循環力を作った。心臓が鼓動を打ち、呼吸をし、食べた物が胃に流れ、栄養が体内を巡り、脈を打って血液、リンパ液が流れ、また胎児を押し出し、生命の活動を司っている。
すべての活動の根源は重力にあり、それが自然の動きになり、私達の活動もその一つにしかすぎない。
今日の毎日新聞、その朝刊で、興味深い言葉を発見した。12ページに掲載されているのだが、「地球の磁場が最後に逆転した証拠」という記事の中に書いてあった。少し難しい内容であるが、地球のN極、S極は360万年に少なくとも11回ほど逆転しているのである。N極がS極なり、S極がN極になったのである。千葉県の養老川沿いに逆転した地層が発見された。
記事の中に(磁性鉱物が地磁気の向きを正確に「記憶」しているからだ)と言う言葉があり、わたしは物質が記憶する、と言う言葉に興味を抱いた。記憶は物質の働きであったのだ。人間もその働きによって記憶してるわけだが、働きの回路が狂ってしまった者はこちらがしゃべってもいないことをしゃべったと言い、しゃべったことをしゃべっていないと言い、会話の通路が成立しないことがある。発達障害者にそんな人がいる。そんな場合はテープ・レコーダーのような機械・物質の方が間違いがない。人間の場合は自己保存本能(エゴイズムに通じる)が強すぎるからそのようにブレてしまうのであろうが、岩が記憶する、というのであれば、次には(岩が考える)とか(岩の心)という言葉が現れてくるであろう。(我が心は石にあらず)という言葉があったが、(我が心は石である)と言ってみたい。
待機児童の受け入れ先が少なくて、社会問題になっている。こんな問題が解決出来ない政権や政治家のレベルの低さに腹が立つと同時に外国ではどのようにしてるのかを書かないマスコミにも同様に感じる。
戦時中には学童疎開というのがあって、都会の児童が田舎でホームステイをしていた。乳幼児や小学生、中学生など田舎で預かるのだ。週末には親が来れば、彼らも田舎生活を味わえるから良い考えだと思う。乳幼児の世話や事故が起こった時などいろんなリスクはあるが、戦時中に学童疎開の経験があるのだから、十分な調査、試行を経て取り組んでみたらどうかと思う。田舎には暇な老人もいるし、子供たちにとっては自然体験も出来るし、田舎の活性化にもなる。親たちは畑に野菜を作って、自作自食ができるのだ。
まず、両手を真横に伸ばしてみましょう。それぞれの端は右手、左手だと習っていますよね。
では、ぐるりと180度回って、右手、左手を確認してみましょう。右手だった位置が前の位置から見ると左になり、左手だった位置が右になっていますよね。同じ位置が場所を変えることによって呼称が反対になったのです。
政治や集団の世界、個人の生活においても同じことです。わたしは共産党を信じてるわけではありませんが、情報を知るために赤旗をとっています。ある時、共産党の町会議員に、(共産党は今、共産主義に対してどのように考えていますか?)と尋ねたところ、(むずかしい質問ですね)と言って頭を抱えたまま答えきりませんでした。わたしは、やはりそうだったのか?と考えましたが、上記の理論から考えれば、左翼も右翼も与党も実は同じ位置(本質)であったのです。民主主義体制において投票で政権をとるためのは、国民の生活権を保障し、票を取らねばなりません。生活権も利権、利益なのです。経済的な繁栄が必要になってきます。精神的利益で満足する国民がいる場合は別ですが、現代では経済的利益に満足するように洗脳されています。その流れで満足させるには政治体制、経済体制の構造は同じでなければなりません。
共産党がもし政権をとったとしたら、民主主義をやめて共産主義体制にするでしょうか?すると、現在の中国、北朝鮮みたいに共産等幹部が利益を吸い取る結果になります。
日本共産等はそのあたりをどのように考えているのか、赤旗に電話して聞いてみようと思います。