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導火美女(どうかびおんな)ー歌謡詩

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-2-10 6:52

          

                導火美女(どうかびおんな)

           

 

 

           襟元つまむ あの女(こ)の指は

           地雷をかくす 導火線

           女児のような うつむき笑みは

           淋しがり屋の チヤホヤ好み

           孫の手引いて 再婚告げて

           年初めにゃあ 名前を変える 大見栄切った

 

           死んだ亭主に 両手を合わせ

           拝む姿は けなげなものさ

           だけど心は ままならねえ

           地雷の華が うづいてばかり

           見返り笑みに ぞっと魅かれえ

           やはりおまえは 火花散らした 導火女

 

           襟足引いて 男目浴びて

           花魁(おいらん)気取り 銀天街を

           祇園祭りの そぞろ歩きに

           ナンパ男が すり寄りゃあーあ

           今日の浮名は 導火美女

           地雷の先が 裾引きながら 流し目送る

            

危険な思想。

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日記
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nakamura 2016-2-5 5:51

 ある飲み会の席で,隣り合った青年と話しこんでしまった。(レア仲間)をスマホで開いて見せ、物理学的に人間、社会、世界の動きを捉えるといういつもの考え方を話したのであったが、中村さんは一人の人とばかり話し込んでいる、と言われ、一つ隣の女から、この男性は、何でも人の言うことを聞く人だから、(洗脳)しないで下さい!と言われた。わたしは驚いた。怒ったのではない。(レア仲間)が(当然、わたしも含めて)宗教、あるいは危険思想としてとらえられていることに驚いたのだ。ここに書いてるブログにはばらつきがあるが、閲覧者数を見ると、日に二百人(68歳の大学新入生)、百人、というのが何件かあり、こんな内容がそんなに読まれるのか?と不思議に思っていた。(幻冬舎)に手紙を出し、レア文庫、というシリーズで取り上げたらどうかと伝えたが、当社では原稿の持ち込みはしておりません、と丁寧な返事が返ってきた。真意はわからないがあまりたいしたことを書いてはいない、と考えた。それで良い。評判になって多数派の側に組み込まれることは歓迎しない。あくまで少数派に位置することがわたしの姿勢である。

 ある男はこう言った。日本は言論が自由な国だから、あんなことを書けるが、中国ならあんたは銃殺されてるよ、と。余命を考えてる身であるから、(見事な死に様)は望むところである。

心で踊る。

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日記
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nakamura 2016-2-5 5:12

 先月の1月31日は記念すべき日になった。岡垣町のサンリーアイのステージで(お岩木山)を歌ったにすぎないのだが、わたしは自分の心を歌ったと思った。カラオケ教室の発表会であり、他のカラオケ会も参加して総勢130人が歌った。

 その日が来るまでいろいろ考えた。どんな姿勢で臨み、どんな歌い方をすべきか?観客席に座ったわたしは他人の歌を聴きながら、表情、手の動きなどを観察した。結論がでた。

 楽屋裏では音響係や案内者、出場者などがごったがえしていた。わたしは舞台に立った。散歩や百姓仕事で腰を痛めていたので歩き方に不安定さを覚えた。きちんと歌おうと言うことに気を囚われてはいけない。声を張り上げてはいけない、などを思い返した。マイクを左手に握ると、右手を軽く持ち上げ曲に合わせて体を軽く揺すった。頭上を見上げ、遠くを見た。観客席はライトが消され、暗闇になっていてまったく見えない。

 山よ、山よ、お岩木やまよ、

 優しく声を出し、笑顔を出した。山と観客席に話しかけるようにゆっくり歌い、その調子に乗り、良い気分で歌った。後で誉められた。

 声を踊らせる、と言う言葉がある。

 歌手は(声で踊る役者である)、引いたり押したり回したり震えさせたり裏声を出したりコブシをきかせサビをだしたり、自由自在に振舞って(心)を歌うのである。

 

権力者はなくならない、交代するだけだ。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-2-5 4:52

 篠田正浩監督が(無頼漢)の中で吐かせた言葉である。仲代達也さんはこの映画の中では打って変わって、江戸時代の遊び人を飄々とした演技で演じている。彼は演技の幅が広く82歳の今でも映画や舞台に立ち、(無名塾)を開いて後身を育てている。見上げた方である。映画も時代考証が素晴らしく、当時の芝居の世界を丁寧に描き、ボロ長屋の部屋にも浮世絵を大きく描き出し、それだけでも酔わされ、素晴らしい。

 主人公は花魁に惚れ、いっしょに生活するが、大塩平八郎を中心とする反乱に加担する。水野忠邦の粛清政治で庶民の生活が苦しくなり、花火の打ち上げも禁止になる。川原乞食(芸人)や非人達が騒ぎ出し、大塩平八郎の乱を起こすが、あっというまに潰され、主人公は花魁との生活の邪魔になる母親を何度も殺そうとする。主人公に背負われて川に投げ捨てられようとする母は、言う。

 (何度でも殺してごらん、何度でも生き返ってやるから)

 この台詞と(権力者はなくならない、交代するだけだ)と言う台詞で篠田監督は自分の言葉を吐いた。構造主義における(構造そのものが権力である)と言う真理に通じている。

 昨日は小倉の昭和館で(無頼漢)(大菩薩峠)を観た。どちらとも仲代達也さんの選んだ主演の映画である。(大菩薩峠)はわたしが東京で遊学中に観た映画の中でもっとも衝撃を与えたものであった。中里介山が日本が太平洋戦争に突入する時代に書いたものであり、戦争の動乱、惨劇を如実に現した傑作である。原作者、岡本喜八監督、仲代達也という個性があのような映画を仕上げたことにすごく興味を抱いていた。あのような傑作が賞をとらなかったことが不思議でならない。大菩薩峠で老いた巡礼者が祠の仏を拝んでいる、その背後から理由も無く、机竜之介は切り殺す。そこから因果関係が絡み合った修羅場が延々と繰り広げられ、殺戮が終りなく続けられる。わたしは実父の従軍体験、酒と女に狂った一生と重ね合わせてしまい、涙した。

 竜之介は妻のお浜を切り殺す。

 その時、お浜は両手を合わせて竜之介に言う。

 (どうぞ、切り殺してください、あなたが望むなら。あなたに殺されても悔いはありません、愛していますから)

 日本文化、日本美と言うべきか、この台詞を書いた橋本忍さんに脱帽するだけである。

 死ぬも生きるの勝手にせい!と竜之介は妻に向かって言うが、それは勤務していた高校で一億円もの金を酒と女に使い込んだ実父の人生と重なる。虚無的な顔をしていたのをわたしは憶えている。

 竜之介は武家屋敷の中で会った女が切り殺した巡礼の娘だとわかる。巡礼者の鈴の音が聞こえ、すだれや襖に映ったその影が現れる。それに怯え、刀で狂ったように切り回す、その顔の大写しで映画は終る。因果の連鎖である。

 わたしは東京でのあの青春時代、学生運動が暴れまわったあの時代、空手同好会で殺されそうになったあの時の自分の姿を机竜之介のニヒリズムで書いてみたい。

日本の電車の中は不気味。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-1-28 5:12

 昨日は福岡教育大学の公開講座・文化事情Bの最後の日であった。各班の発表会、その三日目で私達の班であった。30分前に集まって打ち合わせをしようと約束していたのにそれを守ったのは一人だけであった。厭な思いになったが、自分の学生時代を振り返ると、こんなものかと納得した。

 4つの班が10分間の受け持ちで発表を始めた。6人の学生が演壇に立ち、背後に韓国の電車内の観客の写真を映し出し、傍に日本人学生が3人立って、スマホを黙って打ってる様子を演じた。背後の写真は子供たちが電車内にあふれんばかりに居て、ワイワイガヤガヤと賑やかであった。

 韓国人学生はこんな違いがあります。日本の電車内は静か過ぎて怖いです、と話した。

 次は傍聴者の質問の時間になった。

 私は手を挙げて話し始めた。電車内だけではなく、日本人は会社の会議でも意見や本音を言わない、50年前頃に、政府が(期待される人間像)というのを国民に示し、道徳教育を持ち出したように人格まで国が強制しようとしている、正論を出してはいけない国である、と言うと、女先生はわたしの長話を察して話を止めさせた。もう一人の日本人学生は電車の中で話すと周りに迷惑をかけるから、と言い、その考え方は良くない、と私は言いたかったが時間の制限があるので黙っていた。

 わたしも日本の電車の中は静か過ぎて不気味だと思うが、静か過ぎることに満足してる日本人が多いのであろうし、弱い者が苛められていても関わらないのが日本人である。自殺者が毎日、百人以上いて、孤独死も多い、家庭内暴力も多く、セクハラやストーカーも多い、これらが(不気味さ)が正体を現している。

特攻人形。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-1-20 6:26

 木枯らし吹きすさぶ3日前、部屋の寒さに耐えかねて外に出た。こんな日は町営の風呂に行くか図書館の暖房にひたるかであったが、わたしはカラオケ・スナックに行った。馴染みの店はシャッターを下ろしていたので地下の店に入った。

 初めての店であった。88歳のママがわたしを迎えてくれた。店内には同窓会をしてた10人くらいの中年男女がおしゃべりをしていたが、他には93歳の男と中年の男がカウンターに座ってるだけであった。

 わたしが7曲ほど歌うと、ママはわたしのそばに腰を下ろした。60年前に呉服屋で働いていたわたしの母を知ってるとか、彼女も心臓にペース・メーカーを入れていてわたしと同じ身障会に入っているとかがわかり、話が盛り上がった。

 (今、特攻人形を作っているの)

 というので怪訝な顔をすると、17、18歳の特攻隊員たちが死ぬ覚悟で出かける時、女たちが御守りにして人形を作ってあげたのよ、と言う。今度、公民館でその話をするので準備してるの、特攻人形は毛糸を編んでつくるのよ、風船爆弾の話もするの、など、午前12時から午後五時頃まで話し込んだ。

 翌日は英会話教室の日だったので、そこでその話を英語ですると(特攻隊)を知らない女もいてわたしは驚き、相手も驚いた。オーストラリア人の教師も驚いていた。片手くらいの人形らしいが、スナック・ママは今度わたしのために作ってあげると言うのでうれしかったが、自分はそれを抱いてどこに行くのだろうか?人生の目的もほとんどないわけであるから、老死に向かっていく時の支えになるであろうか?

 特攻人形の話は小さいながらも大きな出来事であり、わたしの世界を広がらせたのだ。風船爆弾の写真集も貸してくれたので、今、読んでいる。

 文化人類学者の書いた本に次のような一節があった。雄ゴリラが雌ゴリラに求愛する時、雄はバナナを両手に抱えて持ってくる。雌に差し出す。雌は喜んで食べる。雄はその背後に回って雌の体を抱き、交尾をする、と言う。雌はバナナをむしゃむしゃ食べながら、体を任せてると言う。なにか人間社会に通じていて面白く、その一節は強く印象に残っていた。

 新年会に馴染みのスナックに行った。カラオケを歌い、赤飯、焼酎のお湯割り、コーヒーなどいただいて、千円だからママは商売抜きの営業であった。わたしと不仲になっていた初老女が店に入って来た。少し酔っていたわたしは手を挙げて呼び、わたしの隣に座らせた。お互いに言いすぎた言葉を詫び、仲を取り戻した。

 ?新年はねえ、三人の息子、娘、その孫たちを呼んだのよ。正座させて座らせ、婆ちゃんはねえ、今年こそ、・・の名前を捨てるから覚悟しておきなさい。

 彼女は私に言ったので、おれはその候補者に入ってるよね?と言うと彼女は返事をしなかった。主人と死別し、遺族年金で生活していたが厚生年金基金がなくなることをきっかけに(再婚声明)を出したのである。73歳になり、孫が5人もいるのになんとも逞しい女である。近頃では珍しくないが、彼女は5年前に初めてそのスナックを訪れた時、ママにいきなり、良い男がいたら紹介して!と言ったのだからママも驚いていた。それから五年間あの男、この男と良い仲になり、自ら性行為も含めてしゃべり、噂を撒き散らした。どの男とも結ばれず、男にはコリゴリした、と懺悔していたのに、新年のこの声明である。

 わたしも彼女に似た男だがその逞しさには勝てない。わたしは68歳であるが、生きるのが面倒くさくなっている部分がある。彼女はサプリメントのマルチ商法に手を出したり、女友達を招いて部屋の中にいつも花を咲かせている。(姥桜)である。

 わたしも(女にコリゴリ)しているが女への夢は捨てきれない。エロ・ビデオで寂しさを紛らわせながら、作品の構成やリアリズムを学んでいる。小説作法と共通しているから学ぶべき部分も多い。

 (年明け宣言)を出した女とわたしはどんな年を迎えるのか、期待もこめてウオッチしていたい。

インスタント食品になったTV番組。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-1-2 6:55

 昨年末は二年ぶりにテレビのスイッチを入れ、(紅白歌合戦)を観た。カラオケが好きになったせいもあったが番組をどんな作り方をしてるかに興味があった。三山ひろしの(お岩木山)を今年の一月に町内の多目的施設の舞台で歌うことになっていて、彼が紅白でどんな歌い方をするか初めての出演でどんな顔をして出るか、同じく初めて出演する山内慶介の歌い方にも興味があった。二人とも観客席の祖母を映し出して気持を聞いたりして感動した。それから先は舞台の上であふれるほどの出演者を出したり、小林幸子が鳳の背中に乗って天井から現れたりとか技術的に頼る部分が出てきたので、スイッチを切った。

 NHKそのものが役人の世界で、放送法に守られているから、新味のある作品や創造性のある作品をつくるとは期待していなかった。パンツ一枚だけの俳優を登場させていたがその意図はなんだったのだろうか?と考えた。あちこちの場面に出して、女のはくようなピンクの小さなパンティをはいていたが、単に奇をてらう意図であったのか?それにしては貧弱な発想である。脳性麻痺の歌手(いるかどうkは知らないが)や身体障害者のグループを登場させたりしたほうがもっと盛り上がったはずである。異種混合、多様性の考えが欲しかったが残念な気がした。マスコミ自体がインスタント食品になっていく傾向がある。

次回作(磁界)

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-1-1 6:51

              明けましておめでとうございます。

 年が変わってもわたしに変わりはなさそうですが、やはり期待感を持ってしまいます。昨年は(ガラパゴスの女)を書き上げ、応募しました。自信があります。タイミングがすごく良かった。女主人公との現実での出会い、彼女がもっとも悩んでる時であった、ボランティアとしての自然な付き合い、差別・イジメという誰でも関心のあることなど書き手にとって好条件でした。小説として書き上げることでわたしの心の整理が出来、わたしも救われ、現実の場でもわたしは彼女をイジメから救いました。

 執筆中にもう一つの作品にも取り組んでいました。製作にまとまりが付かないのでタイトルも変わっていきました。(片割れ)から(番ーつがい)へ、それから(反物質)、それから(磁界)へと変わり、このタイトルで進み、ストーリーも決まりました。宇宙の塵が集まって地球が出来た。大きな丸い塊になり、太陽のような火の玉であったが、自然冷却し、今のようになった。地中にはマグマがまだ燃えていてその鉄分が磁石の作用を起こしている。その力で重力(引力)が出来、当然ながら人体もその作用を受け、磁性を持っている。微粒子の原子核の周りを電子が回っているのもその作用であるし、人間関係、人間のもつ波動(テレパシー)も磁力の作用である。不仲であった夫婦の一方の妻が死ぬが、手術後の麻酔の後遺症を残した夫は妻は生活の物音を聞く、というストーリーです。つまり人間同士の磁力を現したい。一般的に恋愛とか友情、親密感、反発力などは磁力のせいであり、物理化学作用として表現したいのです。

 書き上げればこれもわたしの心の決着、整理になります。不幸や錯乱、孤独が肥料です。それが傑作を生む場合もあります。始めのうちは体験にとらわれて材料負けの状態ですが、モルトを何年間か寝かせておくと、次第に作品としての視点に変えることが出来ます。

 今年も毎日、取り組みます。

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