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電通の女子社員の過労死は驚きであった。超一流企業のガバナンスが疑われるが、どこででも起こりえることである。わたしはNHKの委託集金人を23年間勤め、NHKに生活を支えてもらった、いやそれだけ貢献したとも言えるが、巨大組織と戦った実績はある。勤め始めた頃は事情もわからずに御用組合に入ってしまい、そこの委員長は仕事を頑張るようにいつも話した。(この組合に入っているのといないのとではどんな違いが出ますか?)と職場集会の場で質問した。彼は答え切らず、そんな組合なら脱退すると言って、その場を去った。
全国一般労という組合に入り、15人の組合員を集めた。組合委員長の指揮でNHKと闘い、抗議行動を3回やった。NHK側の防衛も強かであったが、管理職や職員たちは私たちの機嫌を取るようになり、わたしは相手の意図や手口がじゅうぶんに見えた。わたしは学生運動の時代に青春を送ったので(造反有理)の気持ちを持っていたが、それ以降の世代は(会社にも組合にも良くみられたい)と言う者が多く、最後は彼らに梯子を外された形になった。
電通の労組は何のコメントも出しておらず、御用組合であろう。組合費だけ取って、組合員が自殺しても頬かむりじゃあ話にならない。自分の身を守るためには戦うしかない。戦えなければせめて資料作りをし、被害の記録くらい取っていて、いざとなれば出せるようにしておかねばならない。
NHkの委託集金人をやめて4年になる。23年間継続し、豊富な経験・出会いを残した。こんな経験もあった。福岡市内の貧しい借家にいきなり訪れた。優しそうな奥さんが出て来て、上がり框に座って契約書を書いてくれた。わたしはちゃぶ台の上に、四、五人分の夕食が茶碗に盛られていて、ラップがかけられているんを見た。家族が帰ってきて、一緒に食事をするのだな、と思った。ラジオから鶴田浩二の古い歌が流れていた。契約書の記入が終わると、礼を述べて帰った。たったこれだけの10分もないほどの時間であったが、わたしの胸の中には深くしみわたって、残っている。自分にはない家庭の場面であった。
あの場面は違う宇宙に残って人生を続けているにちがいない。
自分の人生をふりかえってみると、何人かの女達と恋をしてきたが、今になるとあれは本当の恋だったのか?恋の幻想に酔っていただけなのか?と考え直すことがある。確かにお互いに愛し合ったことは間違いないが、会う前や会った後の時間にこそ酔いが回っていたように思う。実際に合ってみると期待外れがあったが予想もしなかった魅力を発見することもあった。
今の時代は恋人を持たない男女が多いようだが、その理由はわかる。愛した後に起こる面倒さ、相手の様々な要求が多く、ついていけないし、女自体に貞操観念・信頼感がなくなっているから何時他の男に行くかわからず、繋ぎとめる自信もない。愛の極限は無理心中だが、現代では全くなくなった。
それよりSNSやフェイスブックで仮想恋愛をしてるほうがましであろう。
恋がそうであるから生きてる実感も薄れている。生活保護の制度もあるから、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされることも少なく、ただ(死なないから生きてる)そんな表情になりがちである。
それを打ち破るには、すべてを忘れることの出来る事を見つけるしかない。
私の周りには女と友達関係だけで付き合ってる者がかなりいる。が、わたしは性関係なしに付き合ったことは趣味仲間・親戚以外にはない。女と友達として付き合ってどこが良いのか?男友達とくらべてどこがちがうのかわからない。女の考え方、趣味、感性などわかり、男とは違う世界があることはわかるがその程度であれば友達にならなくてもわかる。
女は細かいことにもよく気がつくが、すごく鈍感な部分もある。夫婦として個性を認め合いながら暮らすのは良いし、一夫一婦制の利点はそこにある。男が金を稼ぎ、女が男の身の回りの世話をやき、子育てをするというのは相互扶助の良い形である。その場合、役割が逆であっても良い。女にも色んなタイプがあるがわたしの知ってるKさんは妻と死別し、80歳で一人住まいであるが、女はもう諦めたと言う。わたしがある女を再婚相手として紹介したい、と言ったことがあったが彼は笑ってるだけで返事をしなかった。ある時、彼はわたしに次のように言ったのが印象に残っている。女は過去の男と自分を比較し、あの男はこうだった、など平気で話すからもう相手にしたくないと言う。
その言葉はわたしにすごく理解出来た。ほとんどの女は過去の男との出来事を平気で話し、現在の男の前で品定めをしてることに鈍感である。男でそんなことをする者は稀である。男は女の感情を害することを知ってるからであるが、女にはこの気配り、繊細さがない。
夫と10年前に死別し、男漁りをしている老女がいる。熱しやすく冷めやすいタイプである。男にすぐに惚れるが、性交渉を持った時には飽き、欠点を探す。男の側は本気になっているが相手にされず、ストーカーになる。女は手の平を返していて、次の男を探している。71歳で子供三人、孫6人持っているが死ぬまで男漁りを続けそうである。彼女の場合,性の不一致もある。すぐに逝ってしまい、再びやる気がなくなる。性格の一致は性の一致でもある。
相模原の障害者殺傷事件のことが朝刊に書いてあったが、この事件は多くの問題提起をしている。犯人は殺傷することで障害者を介護する人達を助けて苦痛を減らし、障害者の死を(介錯)してやるようなことを述べている。現代の人権制度の矛盾をついている。
障害者は一つの個性であり、健常者の社会での異種混合と捉えるべきではないか?ニグロ、という言葉は差別用語になり今は使われておらず、ブラックという言葉に変わっている。白人たちは色の白いことが正常だと思うがアフリカに行けば色の黒いことが正常なのである。どちらが多数であるかによって正常と異常の区別・差別が起こる。
わたしはドモリという障害者であるが、肉体労働、集金、営業の仕事をして、自力で稼ぎ生きてきた。障害者という劣等感は学校時代にはあったが世間に出て克服してきた。この点からみると、障害者とは肉体や精神にハンディがあることが理由ではなく、自力で稼ぎ生きていけるかどうかではないかと考える。色盲や身体・精神障害者という区分は多数派の価値基準であって、半数以上が障害者になったとすれば健常者の方が障害者になってしまうであろう。見えないはずの者や物が見え、聞こえるはずのない声や音が聞こえるとなると妄想患者と呼ばれるように。
この点から障害者への捉え方を変えなければならない。
心を自然の一部、つまり天気模様に例えるとよくわかる。美容整形をしたとして、(秋晴れの爽やかな青空)のような心にしてみたとしよう。世の中にはそんな顔つきの人がいる。顔そのものが笑顔で優しい。ところが心の中は異なり、相手を疑っていたり悪意を持っていたりする場合がある。確かに(秋晴れの爽やかな青空)の心であれば心理的にも楽しいし、物事も客観的・楽天的に見える。同時にそれが油断になる場合があり、天候も急変して雨・雷に変わる場合があり、備えのない楽天家は傘の用意もなくびしょ濡れになる。
心が曇り模様であれば雨に備えて傘を持つことになる。雨に濡れなくてすむ。
顔の整形美容をした人は老顔になることへの備えがなく、年取って皺が寄り醜い顔になってる場合もある。その時はまたお尻の皮膚を顔に付けたりしてやり直すであろうが。
心は天気模様と同じように晴れたり曇ったり雨になったりすることで、(晴れ)のすがすがしさもわかるのであって美容整形など必要がないし、意味がないということである。
一部の人達、被害妄想にかかっていつも人の動きを猜疑心で見て間違った判断をする人や南極・北極の天気みたいに冷酷な気持ちで他者を見る人は心の美容整形が必要かもしれない。(ペース・メーカー)の代わりに人工知能による(ハート・メーカー)が必要であろう。すると自分の心がどんな間違った判断をしていたかが良くわかる。
人間は心を持っているから、私など、俳句の会やカラオケ教室、英会話教室、障害者のグランドゴルフに通い、すごく楽しい思いをさせてもらっている。人間であることの有難さを感じる。
先週の英会話教室では講師のテュリンが人工知能について話をし、スライドにマネキン人形みたいな女性が出て日常会話をしていた。ミス・テュリンは24歳の女性でオーストラリア人であるが、英会話学院の講師をしていたと言い、授業ではほとんど英語でしゃべり、この言葉は理解できないだろう、と予想する場合にのみ日本語を使い、教え方が抜群に上手である。(スタンリー・キュウブリックの2001年宇宙の旅というい映画は知ってるか?)(人工知能に心は持てるか?)など私は質問し、おおいに興味を持った。
そこで私は自分の心を厄介さを抱いていたのだ。
人生には良いことも悪いこともない、と言いながら今年は最悪の年であった。株式取引で大損をし、遠出が出来ず町の中をうろつくだけ、家の賃貸契約の連帯保証人になっていて借主が家賃を払えず、不動産屋や簡易裁判所から督促、呼び出しがかかったこと、付き合ってた女から裏切られたことなどであるがそれらを通して自分の心の頼りなさ、利己的さをうんざりするほど思い知らされた。生きる気もなくなっていた。
わたしは自分の心が嫌になり、すごい自己嫌悪に陥っていたのだ。だから顔を整形するように心も美容整形出来れば嬉しいと考えたわけだ。こんな願望を持つ者は私だけではないはずであるから、新興宗教が次々と現れる流れにのって、(心の美容整形)業が出来るであろう。
十件前のブログ(愛がないからセックス出来る)に戻ってみよう。そこでは、あなたが好き、あなたは彼氏、愛人と女から言われていた男が女からの告白を受け、ショックを受けてウツになった出来事を書いている。わたしはそのことについてずっと考えていた。結論が出なかった。
だいたいわかってきた。
誤解とリップ・サービスである。女が男に好きだと言った場合、ほとんどの男は(愛してるんだな)と受け止めるし、逆に男が女に好きだと言った場合は(愛してる)ということである。ところが女は好意を持っているだけの場合でも(好き)と言い、男は愛されていると信じる。
(愛がないからセックス出来る)に登場する女はともかく男好きの女で、出会った男のほとんどには名刺を渡す。紹介販売をしてる会社の名前、ケイタイの番号、住所が入っている。旦那と死別した後には4,5人の男と性関係を持っている。ただ彼女は熱しやすく冷めやすいタイプであり、行為を1、2回して、男がまた会いたい、と想う頃には心が冷めて、あの男はケチだとか強引すぎるとかあら探しをして男から離れようとするが男はすっかり燃え上がっている。彼女は男にもう付き合わないでくれ、と言い、男は彼女の家の周りをうろついたりしてストーカーになる。3件ほどそのケースがあった。
誰からもチヤホヤされていないとウツになる女であるから、誰とでも長話をし、食事に誘い、相手を持ち上げる話をする。リップサービスである。男であれば愛されていると錯覚し、今回の場合のように裏切られて精神的ダメージを受ける。彼女は自分の身内の不倫でも誰にでもしゃべるタイプである。
すごく相手に気を使いながら無神経な女である。気が利きすぎて間が抜けている。
逆に男の方が慎重だし優しい部分がある。(気を付けよう!女の甘い言葉)である。男がストーカーになるのはこんな行き違いの場合である。
これも先ほど浮かんだ句である。誰にも見せていないし、わかってもらえるかどうかもわからない。最初は(川流れ遅く早くも海に着き)であったが、季語がないから伝統俳句の対象にはならない。歳時記を開いて季語を探しても見つからなかった。朝刊を開いて俳句の欄を読んでいると一茶に出会った。(秋の夜や旅の男の針仕事)であった。驚くと同時にすごく感動した。一茶が俳句指導のために旅をしてる時に詠んだと書いてあった。日常的光景に近いものであるが一茶の手にかかると立派な作品に仕上がっている。(秋の夜)という冒頭句がすごい効果を出している。(蟋蟀声旅の男の針仕事)でも面白い句になると考えた。
タイトルの句は山から流れる水は曲がったりくねったり迂回したりして、複雑な道筋を通る。が、すべては結局大海に導かれ、皆一つになって平等な結果に至る。これを箴言じみたもので現したかった。その意味合い・意図が出てるかどうかはわからないがともかく考えることが楽しい。
俳句の素晴らしさに出会って、日々が新鮮さを持ってきた。
今朝、庭に落ちた銀杏を拾い集めながら、こんな句が浮かんだ。銀杏、栗、ドングリなどすべての木の実は落ちても重なり合わない。たがいの芽立ちと成長を認めているからである。それが豊かな自然につながっていく。人間の場合も女は同時に違う男の児を孕むことができない。受精時、数億の精子が卵子にぶっつかっていくが、先着したものだけが独占し残りは死に絶えていく。
だが、植物界の生存競争は動物にも劣らないほど激しい。ヤブガラシやドクダミをみてるとよくわかる。同種同志の蔓は巻き合わないが野菜などの異種となると全身に絡みつき、絶やしてしまう。ヤブガラシと言う名前が(藪を枯らす)ことに由来してることを考えるとその凄まじさがわかる。