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人権は大事なものであり、否定する気持ちはありません。ただ、近頃のテレビドラマ、漫才、トークショウ、映画、小説などが面白味や感動、感激を失っているのは人権問題に過敏になりすぎているからだと考えられます。暴力に対しても同様です。
歌謡教室で女先生から、(しゃっくってはいけないとあれだけ言ってるのに!)とマイクで歌うわたしの肩が叩かれ、わたしも叩き返したことがあります。わたしは彼女への親しみと感謝の気持ちがあり、叩き叩かれても楽い思い出になっていますが、これがテレビ・ドラマの一場面になった場合はそうはいかないでしょう。観てる者がそのあたりの心理を理解していれば問題ではないのですが、クレームをつける者が必ず出てきます。放送局は、不適切な場面があり、申し訳ありませんでした、二度と起こらないように気をつけます、と謝罪し、そんな場面はカットするにちがいありません。
今の世は言った者が勝ちなのですが、言い返す者はいません。
わたしはこの場で言い返してるわけですが、言い返すことも大事です。言い返すことで議論が深まり、真実が現れてきます。その方向性が時代に要求されています。
この疑問はネットで調べると、持てない、と結論が出ている。彼らには本能がないから、自分たちの種を増やしたり守ろうとしたりする能力がなく、ましてや魂などデリケートな部分など持てはしない、と言う。
彼らは感情は持てるし、持っている。機械でも感情表現はしている。特急電車がさわやかな音を響かせて走ったり、20両も連結した貨物列車が苦し気な音を出したり、ユンボ(建設重機)が暴力的に地面を叩き、建物を壊したり、火山が荒々しく爆発したり、晴天のハイな気分、雨の日の鬱陶しさなど日常的に見られる。物質から生命が発生したのであり、アメーバ、魚類、両生類、哺乳類、人類へと進化し、魂というものを持った歴史から見れば人工知能が繁殖力、自己保存能力を持っても不思議ではない。
逆に、人間だけが持っていると言われる(心)(魂)について考えが及んでしまう。愛憎や嫉妬心、共生は動物世界にもあるが、喜捨や自己犠牲の精神はない。グーグルが自動運転の車を開発したりして、人工音声、介護ロボットなど人工知能はすごい速さで進んでいるが、人間の持つそれらの精神が希少なものに見えてくる。
障害者の会で、90歳の男性がペース・メーカーの交換のために入院している。彼は元気で、カラオケの会、グランド・ゴルフの会に出席し、散歩も毎日し、食材の買い出し、自炊もしている。ペース・メーカーは心臓の鼓動数を適切に指示する機械であるが、バッテリーが切れるので10年に一度は交換しなければならない。
知人の男性で、15年間、精神病院に入っている人がいる。若い頃は母親を殴ったり、近所での暴力事件を頻発させていた。今は毎日、治療の一つとして施設入居者の洗濯物を洗濯機の中に入れたりして、授産施設の個室で生活している。毎日、30錠以上の薬を飲み、それが彼の暴力防止の役目を果たし、フラフラした歩き方をしながらも生きている。外出は病院に届け、許可が出れば出来るので時々、実家の彼の部屋に戻ったりしているが、届けを出さずに病院から出ていくので病院から確認の電話が家族に入る。毎度のことなのである。届けを出すことを忘れるか無視しているのであるが、彼は60歳を超えていて、これでは退院は無理で、生涯を精神病院で終えることになるであろう。
彼の病気は治療でも薬でも治らないので、将来的には脳に人工知能が埋め込まれるかもしれない。彼の将来の計画、毎日、やらなければならないこと、その優先順位、してはいけないことなどがデータ化されてペース・メーカーのように埋め込まれるかもしれない。薬は不要である。
昨日の日曜日は(北九州歌謡グランドフェスティバル)を見に行ってきた。すごく楽しく、カラオケ仲間の歌唱を聞いて有意義であった。最後に作曲家の水森英夫氏が話をされた。彼は審査もされたが、次のように言われた。(その歌に取り組んで二か所くらいどうしても歌いにくいところがあったら、見切りなさい。うまく歌えるのは5曲くらいで、10曲も歌える人は歌手の中にもほとんどいません)と。
治らない精神病や精神疾患には人工知能が埋め込まれるようになるかもしれない。
先月はシャクヤクやビワ、梅飲の実などを産直店に出し、2万円くらいの収入になりそうである。生活費の計算をしてみた。国民年金が居候の分も入れて、月に10万円。週に一度食材の買い出しに行くので、それが一人4千円ほどであり、二人分で八千円、月にすると三万二千円である。電気代、ガス代、電話料金、保険料、ガソリン代、固定資産税など加えても10万円くらいである。井戸水なので水道代は要らない。旅行もほとんどしないし、風俗店にも行かなくなったので大金は要らない。本は町営の図書館で借り、映画はレンタルビデオで借り、アダルトDVDもそこで借りる。ローンも借金もない。
月に10万円で生活ができるなんて想像もしなかったが、実際に出来ている。
知り合いの農家の奥さんが産直店に漬物や野菜を出していて、売れる日で三千円だという。月にすれば9万円である。
池に行って小魚をすくおう。水草をアイスクリームの容器に入れて小魚といっしょにして産直店に出してみよう。7月は七夕であるから、今月の末には山に行って、孟宗竹の枝を取って、七夕用の竹を産直店に出してみよう。マンション住まいの子供たちが願い事を書いてベランダに出すであろう。
原料代はタダである。自然を楽しみながら生きていく、それが一番良い。
昨夜、オカシな夢を観た。大学生たちとイベントの準備のため、集まり、わたしはまな板の上で大根の塩漬けを包丁で刻んでいた。彼らは誰も手伝わず、友達としゃべったり、刻み方に文句を言ったり、非協力的であった。わたしは腹を立て、刻んでいない塩漬けを口の中に入れ勝手に食べ始めた。
昨日の夕食はチャンポンを作った。すごくおいしく出来て、満足していたが、四分の一カットの白菜を刻みながら、それを70円以下で出荷する農家の人に気の毒さを覚えていた。わたしも産直店に出しているので、クレームが来たり、売れ残りを引き取りに行ったり、嫌になることは何度もあった。
昨年、福岡教育大学の(日本事情)の公開講座に参加した。留学生たちがほとんどを占めていて、楽しかったが、女講師と一部の日本人女学生には不快感を持っていた。女講師はわたしが自由討論や質問の場で自分の意見を長くしゃべったりするので、自分だけでしゃべらないでください、と言った.
班の討論会ではまた同じことを私に言った。実はだれもがしゃべらないのでわたし独りがしゃべることになったのだが。レポート提出を義務付けられていたので出したが、評価はどうですか?女講師にたずねても、うん、と言葉を濁したまま返事をしなかった。各班の討論内容を発表することになっていたので、準備のために講義開始の前に集まって打ち合わせをしよう、と言っても学生は二人しか来ず、班がちがう班に合併されたり、講座に来なくなった学生もいた。発表の場は一人の受け持ちが二分間という持ち時間であった。わたしは(美の発生)というテーマで話し始めたが、終わりまで話さない内に、女子学生から、時間です、と言われ、体を突かれた。
上記の二つの出来事が重なり合ってあんな夢を観たのである。合理的に理解は出来るが、誰がどんな理由でその二つを結び付け、夢の舞台を設定したのか?ということに疑問を抱いた。大学の広場で学生たちがバンド演奏をしていたり、大学祭を開いて賑やかな場を楽しんだりしたことは事実であり、そんな体験が夢世界のイベントになったのだが、誰が現実体験を夢ドラマに仕上げるのであろうか?精神分析では、それは無意識だ、と答えるであろうが、仕上げるには意志と意図が必要である。ユングは偶然の必然という考えを持っていたが、なんらかの必然性があったのであろうか?偶然であったのだろうか?
追体験したいという願望と不愉快な気持ちが入り混じったのであろうが、それにしても印象深い作品であった。異次元宇宙での光景が重なり合い、過去の出来事は違う宇宙で生き、進行しているのかもしれない。
夢とは不思議な世界である。
(忠臣蔵)は仇討ちの事実であり、舞台で何度も上演された。主君に対してのものであり、個人に対してのものではない。それに引き換え、アメリカ映画、文学には復讐劇が多い。メルビルの(白鯨)にしろ、映画(ケープ・フイア)にしろ、(危険な情事)にしろ、西部劇にしろ、盛りだくさんである。個人に対してのものが多いが国家的な規模のものもある。ストーリーや内容も執拗で復讐は当たり前だという視点である。
アメリカは英国から発祥した。英国は資源の貧しい気候の厳しい国であるから海外に居住地を求めた。侵略した。アフリカ、アメリカ、オーストラリアなどいたるところに進出し、植民地にした。異教徒はサタンであり、キリスト教に改宗させなければならない。アメリカ大陸に上陸し、インディアンと戦い、彼らが反撃すれば、加害者の視点を失って被害者になり、復讐を始める。広島・長崎への原爆投下、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イスラム教徒・タリバンとの闘いも真珠湾攻撃をした日本への復讐、共産主義への対抗、9,11事件への復讐である。
その執拗さ・効果的な作戦は狩猟民族・肉食系に由来しているが、現代では経済侵略にテーマを変えた。人権民主主義を標榜し、お互いに経済的に豊かになって幸福になりましょう、と訴えて世界の経済の富を手中に収めようとしている。
熱しやすく冷めやすい日本人には復讐劇は少ないし、銃の規制もあるから、大量殺人は起こらない。
その意味では平和な国である。復讐はある意味では情熱でもあり、(持続する志)でもある。志を持続させた者の方が勝ちである。
ほとんどの日本人男性は公式の場に出ると、背広にネクタイ姿である。何故なのか?不思議に思う。みんながそのようにしてるからであろうが、変人のわたしから見ればあまりに不自然である。そこにまで欧米の価値観、文化が入り込み、グローバリニズムのお手本、忠誠を示しているとしか考えられないし、わたしは反グローバリニズム、反欧米主義であるから従いはしない。
わたしは外出する時、いつもツナギの作業服の姿である。女友達から、そんな服装は止めなさい、ヤーサンみたいだと噂されているのよ、と忠告してくれる。ある時、福岡教育大学の広場で作業服姿の男子学生が寄ってきた。?あなたも作業服が好きなのですね!僕も好きです!と言って握手を求めて来たので、私も笑って握り返した。首を絞めるネクタイは絞首刑を思わせて嫌な気分になる。ネクタイはマフラーが発展したものだと思うが僕の首にはなじまない。近頃、冠婚葬祭には出会わないが、そんな時にはツナギ姿で通すだろうか?ツナギ服で参加すれば必ず非難を浴びるであろう。
僧侶が高価できらびやかな和服を着ているのにも腹が立つ。そんな金があるのならご飯を食べれない子供たちに食べさせてやれ、と言いたい。キリスト協会には貧民救済施設があるのに、仏教業界にはない。葬式仏教と非難されている。
わたしはお寺とは縁を切っている。戒名なんていらないし、葬式もいらない。
K子は一戸建ての家に住んでいたが、三十歳すぎの次男が暴力を振るうので安アパート越してきた。彼は私立大学を出て、自営業に就いていたが人間関係がうまくいかなかった。国家試験の資格を取って就職する、と言い、7年間も受験勉強をしていた。ストレスがたまり、K子を時々、蹴ったり叩いたりしていた。
70歳のK子は亭主と死別していた。面倒見が良く、アパート住まいを始めても近所の古老たちにおかずを作って持って行ってあげたり、調理ボランティアをしたり、歌謡教室に通ったりしていた。次男は国家試験に合格し、仕事につき、結婚して家を出ることになった。K子は二ヶ月後に、アパートを引き払い、前の家に戻ることにした。
アパートの隣室は空家であったが、ある日、孤老の男が越してきた。K子の部屋の戸をノックして開け、今度越してきましたのでよろしく、と挨拶し、入浴券を持っているのでいっしょに行きませんか?と言った。彼女は驚き、部屋には風呂があるので行く必要はありません、と断った。日曜日であったので水道屋が休みで、男の部屋の水道栓が開けられなかったのだ。
男は身の上話を始めた。妻や子から捨てられ、トラックの中での路上生活を始めた。大工をしていたが、老いて、週に二回しか働けない。、トラックの運転席で寝泊りしたが、畳の上で寝たくなったので貯めてたわずかな金で安アパートに入居した。彼女はその話に聞き入った。
男は礼を述べて、トラックに乗って出かけると、500円もするイチゴを買ってきて、K子に差し出した。お金がないのだからそんなことはしなくて良い、と言いながら受け取った。男は水道が止まっているので水をくれ、と言い、バケツを借りて入れ、もらって帰った。洋服ケースが必要になったので買いに行くという。K子は来月には戸建ての家に戻るのでタンスはいらないから、男にあげると言い、ソファ・ベットも要らないからあげると言った。男を部屋の中に入れて、二人で運び出した。
まるで小説の書き出しのような事実であるが、これから二人の関係はどうなるのか?わたしは興味と心配をもっている。深情けの初老女と路上生活をしていた男が隣同士の住まいになったのだ。何かの巡りあわせを思わせる。
ヨーロッパのことわざに、Pity is akin to love.というのがある。?哀れみは恋愛に近い、ということわざである。
先日、ステージに立って、歌った。不思議な気分になった。マイクが流す自分の声を耳で確認しながら歌ったわけであるが、自分の声とは違うような声が流れていた。澄み渡った声、と言われる声ではなかった。まさか他人の歌が流れてるはずはない。おかしい!緊張してるのか?と考えてるうちにますます緊張し、喉が狭まり、声が震え始めたのに気づいた。
観客席を見ると暗く、人の姿もまばらで、死んだような静けさしかなかった。その闇にまた恐怖を覚えた。
失敗だ!
自信を持ち、何度も練習した(海の防人ー鳥羽一郎)の歌が台無しになってしまった。楽屋裏の待合室から外に出て公園の空気を吸った。
数日間、知り合いにそのことを話したりした。皆、歌が上手すぎて、150人の歌を聞いて退屈したし、低音が強すぎて心臓に不快感を与え、気分が悪くなった。
ほとんどの人がそんなことを話した。
考え直してみると、音痴だと考えていたある男が上手に歌ったことに気がついた。彼が前回、ステージに立った時、声が弱弱しい上に音階がづれ、わたしに優越感を与えてくれた。そんな人が5、6人はいたのに今回は一人もいなかった。
音響業者が前回と変わっていた。
オート・チューンのシステムが入っていた?と、後にわかった。
上手に聞こえるように機械が音程を操ったのであった。人工音声にちかい歌にアレンジしたのである。人工知能が歌ったのである。虚しくなったが、3、4人は胸にジーンと来る歌い手もいた。しかし、彼らの与える感動も美容整形をされて力が弱かった。
死なない人間、病気をしない人間、悩まない人間、考え込まない人間、いつも笑顔で幸福な人間ばかりになってしまうであろう。それが(新人類)であろう。もう間近である。
昨日の日曜日は町内の歌謡大会に出場した。口からマイクを離し過ぎたようで、声が響かず失敗だったが、知り合いの歌いぶりを研究し、彼らとも出会えて楽しかった。午前九時半から18時まで150人ほどが歌った。
(海の防人)を歌い、それは海上保安庁で働く人の心が歌のテーマだった。私は黒のツナギ服を着ていた。知り合いと会うと、まさかそんな格好で歌うんじゃないでしょうね?と言われ、これで歌う、と応えると、白のジャッケトでも着てもっと良い格好で歌いなさいよ、と言われ、あんな格好はバカみたい、と言い返した。ぼくは変わり者だから、と付け加えた。
わたしは多数派たちの揃いに揃った服装にうんざりしていた。女たちは皺くちゃ顔に厚化粧、派手な色のドレスを着、床に長い裾を曳いて歩いていた。男たちは背広にワイシャツ姿であった。まさにグローバリニズムを象徴し、大量生産、大量消費、みんなの幸福、その思想に載せられている。
皆、歌い方が上手であった。音階、歌詞のとおりに歌い、バイブレーションやサビを入れ、海の波が揺れるように歌い、歌謡教室の先生の指導の通りであった。始めのうちは興味を持って聞いていたが、途中でウンザリしてきた。これでは(人工音声の歌手)であり、マネキン人形たちではないか?
NHKののど自慢は長寿番組になっている。農夫が鍬を担いで出てきたり、漁師が網を担いで出てきたりして、様々な仕事、人生、老若男女の心が社会の模様を描いているからである。
世界で男は背広姿が制服になっている。そのこと自体が他の思想を排除するという考えになっているのだ。北朝鮮をはじめ、数カ国の人々は背広姿ではないがそれもじょじょに消えている。
まさに美容整形された歌であった。3、4人ほどは心が入っていて、胸にジーンときたが、それ以外は(人工音声の歌手)であった。