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毎週、パソコン教室に通っている。ITボランティア岡垣が運営してくれているので、教材費500円で受講できる。只同然なので私はボランティアの人にすごく感謝している。車の免許を取るのに一年間もかかった私だから、驚異的な記憶力の悪さに唖然とするばかりであるが、隣席の同年齢の男が言うに、(先生、私が死ぬまでにマスターできるでしょうか?)と訊くと、(無理でしょうね)とすげなくいわれたと言い、わたしは自分を振り返り苦笑するばかりであった。ワード、エクセルと一か月間で初級をマスターするように授業が組み立ててあるが、100の内容のうち、1くらいしか頭に残っていない。
近頃はマイクロソフトのツールの体系づけけ、組み立て、重要度順への並べ方のまずさに気づいた。ソフトの年式によってもツールバーが異なり、相手も悪いことに気づいたのだ。わたしのパソコンは古いので帰宅しても、授業の復習も出来ない。こんなツールバーにすれば憶えやすいのにと考えるが、一つの操作に対して、3,4通りのやりかたがあり、また混乱してしまう。
マイクロソフトは独占企業なのである。パソコンを買った時にすでにソフトが組み込まれている。これが世界を制覇した原因であるが、マイクロソフト自体がアメリカの国策企業であり、日本のメーカーにも参入させなかった。それで世界を制覇した。もし、反米的な国家があればネットの通信を遮断することも出来るであろう。
パソコンが使えなくなれば政治・経済も生活も破綻してしまう。ウイルスの問題どころではない。恐るべき時代である。
この一年間くらい、住んでる町から外にほとんど出なくなった。山歩き、野菜作り、草刈り、植木の選定などでほとんど一日を費やすが、自然を見る目が養われていることに気づく。先日は家の前の川に蒲の穂が生えていたので、採り、産直店に出した。一本が百円で5本が売れた。
欄間のあるような和室に生ければさぞ映えるであろうが、蒲の穂はそれを知ってあんな顔形になったのであろうか?と、考えた。花には様々な種類があるが、すべて美しいし、美しくなることで蝶や蜂を呼び、蜜を与えることで交配し、種が出来ていく。人間の場合と同じであるが、醜い花は存在しないし、醜くて蝶や蜂を呼べなければ絶えてしまう。人間の場合もどんな異性も相手にしたくない者がいれば、絶えてしまうのと同じである。
蒲の穂やススキなど美観を意識してあんな姿になったのであろうか?
人の美観に通じているのであろうか?それらには花はつかず、株で増えるのであるから美観など必要がないが、蒲の穂の顔を見ているとつくづく(風流)を感じてしまう。
(風流を知りて揺れしか蒲の穂や)
月に2,3度、英会話教室に通っている。英語のイントネーションは音楽を聴くような心地よさがあって、中学生の時から好きであった。教師はアメリカ留学から帰って来たばかりの若い女の人で、授業は最初からすべて流暢な英語で話し、私は異国の言葉に聞き入っていた。大学を卒業すれば商社マンになりたかったが、私の学力も低く、結局は進路を見つけられなかった。
国際交流会の運営している英会話教室はミス・ティユリンという若いオーストラリア人・女性が講師であるが、授業は生徒の好奇心と思考力を刺激し、物忘れの始まった私を鼓舞する内容である。先週は、何か変わった事はありましたか?話してください、といういつもの内容から始まり、わたしは大雨で木や草が元気になって、選定や草刈りに忙しい、と答え、彼女はその英語を理解し、生徒の中には大雨で菜園が壊された人もいる、と答えた。すべて、英語でやり取りする。
次に彼女はパソコンのプロジェクターを開き、アニメを二分間ずつ、二度上映した。父親が家の机に向かい、山積みになった書類をパソコンに打ち込んでいる。6,7歳の息子はそれをぼんやり見ている。翌朝、父親は出勤し、疲れた足取りで他のサラリーマン達と会社に向かって歩いている。
そばの公園ではバイオリン弾きがうっとりした顔でバイオリンを弾いている。
アニメはナレーションも会話をいっさいなく、画像のみである。
(この作者は何を訴えたいのでしょうか?)
ミス・テュリンは60歳前後の生徒達に向かって言った。
わたしはすぐにはわからなかったが、やがて言った。
(父親も息子も不幸である)
(何故ですか?)
彼女は尋ねてきた。
(物質主義、資本主義が彼らの心を壊している)
と言いかけて、物質主義と言う英語が浮かばず、半端な答えしか出来なかったが、彼女は理解したようであった。
(この授業はミス・ティユリンが自分自身で考え出したものですか?)
(アニメはウェッブから取ったが、全体は自分で考え出した)
(それはすごい!)
こんな内容で一時間半の授業はあっという間に終わった。
今の学校教育は昔の暗記主義から脱出し始めているであろうが、まだ点数主義に振り回され、社会に出た場合の成果主義の予備軍になっている。物事の本質に立ち向かう思考力を奪い、コミュニケーション力や個性への評価はしない。学校自体が一般開放され、世間の人が自由に授業を観察し、生徒にもなれるようにすべきである。公開状態になればイジメもなくなるに違いない。
この女性は70歳を過ぎた人だが、近所に住んでいるので詳しくは書けない。A子と呼んでおこう。わたしは彼女の主人と友達であったので親しく付き合うことになったが、彼女の人生の軌跡を知るたびに人間とは人生とは不思議なものだとつくづく思う。
彼女は商売をしていて、従業員の女が金に困り、借金の連帯保証人になった.悲劇の始まりであるが、彼女の優しさと義侠心は人生のどこかで悲劇を生むか人になったと考えられる。金を借りた女は返せずに自殺まで計りかけたが逃亡してしまった。A子は金を返せず、家を売ったがそれでも借金は残っていた。主人は超一流企業の管理職であったが、給料でも返済は追いつかなかった。彼女は友達から生活費を借りるようになった。彼女は、自分は美味しいものを食べなくても人には食べさせるタイプなので、商売も利益を抜きにして客に振舞った。多重債務者になり、数十人から借金したが、それはよほどの親しみを持たれていたのだと考えてしまう。わたしなど貸してくれる人はいないし、借りる気持ちもないが。ある女はA子は見栄っ張りだと陰で言った。自転車操業になり、彼女の噂話好きも加わって、客は離れ、店をたたんんだ。同時に彼女の体調は壊れ、白内障にかかった。わたしは彼女の借りてる家の連帯保証人を頼まれ、いつも、(一人で食べるのは寂しいでしょう?食べにおいで)と言われていたこともあって引き受けてしまったのだった。一年後から家賃の滞納が始まり、私は不動産屋から請求され、払わないでいるとついに簡易裁判所に呼び出されることになった。被告席に座るのだ。結果的にA子はまた借金して払ったが、なぜ、自己破産をしないのか?と尋ねると、そうしたら借金を返せなくなると言い、わたしは彼女は返したいのだと考えた。亭主は年金生活に入っていたが、三つのアルバイトをこなし、年金も借金の担保に取られていた。
A子は大きな借金を返し終わり、白内障の手術もし糖尿病も快方に向かっているが、借金は片付いていない。少しずつ返している。
わたしは優しさが悲劇を生んだのだと考え、小説の主人公にするのであればその観点からとらえてみたい。
都議会選において自民党は惨敗し、小池派が圧勝した。権力の交代、循環であり、良いことである。議会においてチェック機能がなく、議案が脚本通りに進むというのは一党独裁でしかない。全国地方議会はほとんどがこのようにして進んでいるのが現状であり、小池氏はそのことも問題として取り上げている。
先日、岡垣町のある議員と出会い、話をした。
「あなたは駅南開発の議会において、地下通路の建設は八幡のある街でも利用者が多くて成功してるといったが、通路が出来て半年になる今、日に何人が通っているのですか?」
「通っている人はいます」
「何人くらいなんですか?町の予算の三分の一以上も使った開発じゃないですか?自分で答弁したのなら人数くらい調べるべきじゃないですか?」
「・・・」
実際、地下通路三十分間に二人くらいしかと通っておらず、南口の道路も車は二十分に一台しか通っていない。
「自分の答弁に責任を持つべきじゃないか!」
「あなたにそんなことを言われる筋合いはありません」
彼は言って、去った。
これが現実であり、彼は隣町の役場の職員をやっていたが退職し、年金も少ないので議員になった男である。この町を良くしたいからではない。
(町会議員がいるのといないのとではどんな違いがでますか?)
今度、会ったら訊いてやろうと思う。
人間の体も含めて、自然界、そして宇宙は絶えず、循環している。循環しなくなった時は、死、である。動物の血液、体液も循環し、呼吸をして外気と循環をしている。地球は自転しながら太陽の周りを回り、太陽系そのものも回っていると思う。静止しているものが発見されていないから、太陽系が回っているとは言えないだけである。
人間社会には革命が数百年に一度は起こっている。それにに対してはさまざまな見方があるが、自然現象の一つ、自然科学の一つであると私は考える。天を仰いでいた木の花が実に変わり、地面に落ちる。あるいは鳥に運ばれて遠くに行く。実は芽を出し、天に伸びていく。花を咲かせ、実になって同じことを繰り返す。
人間界の階級制度も、上層部にいた者が蹴落とされて、下層に行き、下層が権力を握って上層に行き、上層部上と下が回転し、循環している。それはエネルギーの循環であるが、日本では革命は起こっていない。明治維新は幕藩体制と薩長の政権交代であり、アメリカに戦争で負けて、与えられた憲法は日本人が考え出したものではない。だが、平等思想、言論の自由の世になった時の日本人の歓びは当時の白黒写真に発揮されている。
革命も変革もない今の日本人の表情は世界一冴えないものだろうが、負が蓄積されれば循環作用に入ると思う。そこで戦後のような生き生きした顔が戻って来るはずである。
知人から頼まれて、(年金の会)に入った。カラオケ、旅行、マージャンなど娯楽が七分で後は年金闘争をしているということだった。何でも言える集団だと判断しての上だった。
先週、年金制度の勉強会があり、参加した。講師は元社会保険庁の役人で、労組闘争もやっていた男であった。年金制度の始まりから、将来的に額が減っていくと言う話をした。
そこで、質疑応答に入った。
(私は国民年金に入っていて、月額6万円をもらっているが、その中から1万円の介護保険料を取られている。俺に飢え死にしろ、というのか!介護なんて望んでもいないのに酷いじゃないか!生命保険会社の個人年金の運営はうまくいっていて、解約しても全額に利子がついて返ってくる。社会保険庁の役人は放漫経営をして、巨額の赤字を出した。何の責任も取らない。自分たちは煉瓦建ての高級住宅に住んでいながら、貴族並みの生活をして、俺たちを搾取しまっくている!)
これだけのことを一気に捲し立てた。すると、講師はわたしの話を認め、自分が元保険庁の役人でありながら怒らなかった。
(年金に入っている人は国庫から金を出して保険金を払い、貰ってない人には返金して廃止し、困窮者には生活保護を与えると言う一本化にしたほうが良い。役人に無駄飯を食わせることはない!)
そのようにわたしは言った。
年金の会の県本部にいるという男一人が、その考えにが反対です、と言い、参加者30人ほどは黙っていた。アメリカには年金制度はないし、日本にはNHKや交通安全世会など不要な団体が多すぎる。もういい加減に削除すべきである。
若い頃(団塊の時代)と比べて時代が大きく変わったが、中でも顕著なものはマスコミも含めて大局的視点から細部の視点に方向が変わったことである。要するに哲学の不在であるが、現代に哲学があるとすればプラグマティズム・功利主義・利便主義である。
憲法9条問題、共謀罪、少子高齢化、精神疾患者の増加の問題などは大局視点から、(軍備を持たない国があるのか?戦争はなくならないのか?人間は死なないか?暗いことはいけないのか?)という論点から話をすすめれば結論は早いのに、(戦争は悲惨だからしてはいけない。暴力はいけない。非武装中立。病気をしてはいけない、長生きする社会。根暗はいけない)など細部・縮んだ穴から社会や人間を見ていて、そこに政治家、評論家やマスコミ、医療業界が付け入り、ビジネス・チャンスが増えるわけである。
北朝鮮は間接的に日米、中韓に利用されているではないか?アメリカはフセインやビン・ラディンを殺したが、金正恩を暗殺しようとはしないようだ。自国の軍需産業、自国防衛の精神高揚のために必要としているのではないか?北朝鮮がミサイルを日本海に投下すれば危機感が募り、日本の軍備強化の理由になるわけである。
昨年の2月頃、産直店でウコンを安く売っていたので買ってみた。健康に良いという事しか知らなかったが、試しに畑に二畝ほど植えてみた。小指サイズほどに切り、穴を掘って植えた。6月頃に芽が出て、大きく伸び始めた。葉は背丈の半分ほどまでになり、生命力が強いのであろう周りに雑草がほとんど生えなかった。十一月頃に葉が枯れ、倒れた。掘り出してみたものの食べ方がわからない。ネットで調べると肝臓強化の効果があり、全体的には内臓に良いということくらいで、詳しくは買いてなかった。食べ過ぎると良くないと書いてあったので小さなスプーン一杯ほどを毎日、生で、食べた。すごく苦かったが私は何でも食べるタイプなので、苦痛ではなかった。
二月頃から、ペニスが以前より大きくなり、自然に勃起してることに気づいた。食べた期間は2か月ほどで、心臓のバイパス手術後は性欲も消え、ペニスを刺激しても半立ち、中折れ状態であったがロケットのように真っ直ぐ立っている。ウコンの効果としか考えられず、一日に二度も射精をした日もあり、精液が若い頃のように大量に出るのである。ネットや新聞記事にはウコンの効果の正確なテストはしたことがないと載っているが、テレビではよく宣伝してるらしい。現在、二人の友人に効果を話し、プレゼントしているがまだ一週間にもならないので結果は聞いていない。
バイパス手術をする前にはバイアグラを飲み、確かに効果はあったが、術後の者は絶対に飲んではいけないことになっている。降圧剤は血圧を下げるために血管拡張作用があるが、バイアグラには血管を縮めて血流を良くする作用があり、相反する作用がぶつかって心臓に打撃を与え、停まるかも知れないので禁じられているのである。
ウコンにはそんなことはなく、私に春を復活させた。術後には嫌なことばかりが多かったが、このことは最高の幸福を与えてくれたわけである。ただ、相手がいないことが残念であるが、回春の季節が廻って来たことは何とも言えない。
これはおよそ四十五年前、全共闘運動が盛んな頃、谷川雁と言う詩人がつくり、活動家の間で口にされた箴言である。私の心の中に今でもはっきりと残っているが、憶えている団塊世代は少なくなっている。
時代が大きく変わり、イジメが流行り、自殺する被害者が後を絶たない。他者を孤立させる者が増え、被害者は孤立・疎外に耐えきれず、自殺するのである。小学校時代、明らかに知恵遅れ(これが差別用語であれば撤回します)とわかる生徒が孤立し、イジメられることは無かったし、餓鬼大将がいて、彼は弱い者を守った。障害があって飯を食えない者は乞食になって、道端に座り、どんぶりなどを目前に置いて、金が投げ入れられるのを待ち、それで生活をしていた。今では禁止されているのかそんな光景は見ない。暴力団の善悪を論ずるつもりはないが、働くことが嫌で、嫌がらせや暴力を好む者はその組織に入り、生活をした。世間沙汰にしたくなくて彼らを利用する者や団体がある限り、暴力団が消えることはないし、そのホームページを読んでみれば、任侠道を信念にして日本を守っていると書いている。
どこで、何故、イジメが流行るようになったのか、不思議であり、よくわからないが、資本主義体制との関係が強いと、思う。自然界にはきれいも汚い、死や病気や暴力は悪いという考え、利便性・不便、快適さ不快適さもないのに資本主義はその差異を強く訴え、商品を買わせ、病院・介護施設を利用させようとする。汚さや死、不便さ、不快適さを認める者は(変わり者)として、排除・差別・排他しようとする。
おのずから、そこからイジメが発生し、進行しているのだ。(魔女狩り)に見られるように社会には異端者を排除する傾向があるが、現代のイジメは異常である。