ブログ - 202603のエントリ
俳句です。
私の今の生活は相変わらずの貧乏、老化の中にあり、出口はない、のである。これでも死なずに生きている、朝、布団の中から辛うじて起き上がり、食パンとコーヒーの食事をとる。週に三日のアルバイトをこなし、買い出しをし、食事の用意をし、俳句を毎日書き、投稿する。良い生活じゃないか?という人もいるであろうし、弁当配りのアルバイトをしていて、寝た切りの老人に会うこともあり。自分の幸福度が見えてくる。
自分がなぜ不幸なのだろうか?と考えることがある。すると見えたのは、曇り空が毎日続くような停滞感なのであった。このままの状態が死ぬまで続くという、固定観念であることに気づいた。自分が起き上がれなくて寝たきりになるであろうが、それも停滞感から逃れるのことなのである。
こんな話を聞いた。寝たきりになった父親は二階の天井から叩く音が聞こえると言い、息子が不思議に思っていると、小さな鬼が金剛杖をついて、俺を迎えに来たと言い、数日後に亡くなったという、
一人住まいの私の家でも時々、不審な音が聞こえることがある。
もしかすると、金剛杖を突きながら迎えに来たのかもしれない。
イラン戦争が始まって一週間は経つが、ニュースを見るたびに絶望的な気分になる。ウクライナ戦争が小康状態に入り、そろそろ終戦を迎えるか?という最中である。トランプは数週間で終わると言いながら、戦況は泥沼化の様相を見せている。
毎週、教会に通い始めて、五年にもなるわたしにとっては複雑な気分である。イラン、イスラエル、アメリカとそれぞれ宗教色のある国がその国民が人殺しに巻き込まれ、殺しあうなんて、理解できない。汝の敵を愛せよ、などと聖書で学びながらその言葉はどこにいったのか?と考え込んでしまう。
自分のことを振り返ってみよう。研究のために礼拝していると言いながら、手を合わせながら、自分自身は信仰の前と比較してほとんど変わっていない。過去に憎んだ者への憎しみは消えていないし、女への好奇心は衰えはしない。
台湾有事が起これば、高齢のため戦争には参加できないが、敵国への憎しみや闘争心はあっという間に起こるに違いない。自分以外の者もそうであろう。そこで、汝の敵を愛せよ、などという言葉は浮かびはしないだろう。
うちの庭には農小屋が四つも立っていて、風が吹くたびに叫びだす。以前は屋根にブロックを置いて動かないようにしていたが、その元気もなくなった。
風が吹くたびに錆びトタンは、悲し気に、泣いている。
スーパーでカート整理の仕事をしているが、開店時に店長がマイクで従業員たちに話をする。昨日の売り上げは三百・・万円で前年同期と比較いして十万・・円の売り上げ増です、というような内容で興味深く聞いているが、なにかおかしいな?と考えていた。
前年度より物価はすごく上がっているのにその数字はどこにはいっていっるのか?そのことは持ち出さないのである。物価が上がれば売り上げも上がるのは当然であり、景気が良くなったわけではなく消費者はしかたなく買っているに過ぎない。だから売り上げが増えたというのは嘘であり、深く考えない人たちは信じてしまいながら、自分の生活がますます苦しくなっていると関連付けないであろう。
賃金の場合は実質賃金と名目賃金が区分けされているのではっきりしているが、物価高に賃金は追い付かず、いつも遅れている。まるで朝三暮四のからくりであり、これがあらゆるデータに使われていることは、すべての統計数がでたらめである、といっても過言ではない。これで世の中が狂わされているのではないか?政治家にとっては都合のいい数値を出して正当化することができるのである。
カフカが小説の中でかいているように、虚偽と欺瞞の世界なのである。とくにフエイクが入って来てからは何が何だかわからない世の中になってしまっている。
