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ある会の老女から、気持ち悪い、と言われた。彼女はよくその言葉を口にするので、誰のことなのか?と疑問に思っていたら、なんと、わたしを指していたのであった。彼女はどの病院に行って検査を受けても原因のわからない障害にかかり、二本の杖をついてやっと歩ける状態なのである。それで、歩きながらも、方向を変えようとすると、倒れ、起き上がることが出来ない。病名が分からないので障害者の認定もおりない。
ワゴン車の車から乗り降りする時、床から部屋に上がる時、わたしは抱きかかえ、支えてあげる。「どこを触っているの!」と叱られる。そんな態勢になると、どうしても胸や腰を触らなければ介護ができないのである。そのあげく、ついに、気持ち悪い、という言葉が何度も出たことがわかった。
それから、介護はいっさいせず、他の男がやっているが、彼を好きなのであろう、気持ちいい、と言う。
しばらく、頭に来ていたが、それで、解放された。
ある会では、ハンサムとか、声が好い、とか、才能があるとか、脚が長いとか、ともかく、褒められる。ところが、寄付をしてくれ、と言われた。金を入れる封筒を四つも出され、おどろき、ぼくは生活困窮者です、と言うと、いったん、手を引っ込めた。
この二つの例を考えてみると、嫌われることが決して悪いことではないことがわかる。
昨日の毎日新聞の人生相談の欄に、こんなことが書いてあった。二十六歳の息子を母親は溺愛していて、彼女の帰りが遅かった、という理由だけで息子から、「死ね!」と怒鳴りつけられた、という。相談にのった高橋源一郎さんは、その息子に、死ね!と言い返したら、良い、と書いていた。よく、そこまで、書けたと感動したが、わたしは息子からも離婚した妻からも声の一つもかかって来ないのでそんな悩みは一切ない。嫌われることは良くない、という風潮があるが、利点もあり、愛されることも同様の評価があるのです。
あと五日で、令和二年に入るわけであるが、来年はどんな時代か?想像するだけで、すでに読めてしまう。元年は平成の時代と混じっていたが、来年はは本当の令和の時代になる。セクハラ、パワハラ、人権など、細かいことまで書き連ね、同じ記事を繰り返したマスコミはまた、同じ道を歩み、暴力、反抗とは何なのか?と言う事に踏み込みはしないであろう。きれい、幸福、利便性、快感を振りまき、それは資本主義体制の大企業・政権与党と迎合するわけであるが、その方向で書き続けるであろう。
暴力とは、エネルギーの一つにしか過ぎない。良い悪いの次元ではない。否定出来るものではないし、全面否定されれば、パワーさえ失われてしまう。反抗や闘いをきれいな言葉で否定して、得をするのは大企業・政権与党なのである。反抗はダメ、革命はダメと言う事になるから、安部はいつまでものさばっているではないか?きれいごとで搾取されているのは一般国民なのである。
やられたらやり返せ!
三十年前まではこの言葉が通用していたが、今ではまったく通用せず、逆に暴力的だと、烙印を押され、政権や大企業は高級詐欺師としてのさばっていくだけである。この目に見えない巧妙な構造に目を向け、暴力とはエネルギーであり、それがどうなのか?考え直すべきである。
闘いや反抗を忘れたらどんなことになるか?それは奴隷の道に戻ることでしかない。
五十年後に食糧危機がやってくる!その時に、あなたちはだ黙っていられますか?闘わない者から死んでいくことはまちがいない。
食料争奪戦が始まれば、美容整形され、去勢された時代は崩壊するしかない。
この言葉はフランツ・カフカが書いているものである。今、母のことを、推理仕立て風に書いていて、その言葉を強く思った。カラオケ教室に通っている頃、歌うことは祈ることです、と女先生に言って、何妙法蓮華経?ですか?と言い返され、理解されなかった。
私の小説はほとんど体験に基づいているので、書くことは思い出して検証することでもある。心が複雑に屈折した男が主人公、つまり、わたしであるので忘れていたことを思い出し、創作が加わって新たな発見をしていくので、書いてる側の心の中はまさに(獅子身中の虫)にかき回されるような状態である。独りで、パソコンを打ちながら、涙をこぼす。
読者の数倍は笑い、泣くのであるから、作家と呼ばれる人々の心中がすごくわかる。まさに地獄と天国を行ったり来たりしてるようなもので、芸術家の中でもっとも自殺率の高いのが小説家であるという事実は納得できる。けれども、その心の動きは、祈りに近いものであろう。一昨日、洗礼を受けた日、その有様をスマフォで撮ってくれた人がいた。それをメールで観ると、勝気なわたしが、両膝を折り、頭を垂れて、神にひざまづいていた。
まさに、祈り、であった。
親しくなった信者達から、洗礼を受けたらどうですか?声をかけられるようになった。洗礼を受けると、自分の立場はどうなるのですか?義務が生じるのですか?など疑問が湧いて、積極的にはなれなかったが、引き受けてしまった。
昨日が、その式の日であった。おめでとうございます、と信者達から声をかけられ、賛美歌を歌ったり、牧師の説教を聞いたりしてるうちに、自分が神の子になることへの感動がわいてきた。創世記には、天地創造や生命の誕生など、それらが神の意思であったと書いてあるが、人の手による科学では地球の誕生さえ解き明かされていない。それを二千年前に、明かしたのであるから、聖書の力は二千年後も衰えていないのである。
三十人ほどの信者達があつまっていた。
わたしは、その前に立って、牧師の三つの問いかけに、従います、守ります、と大声で応えた。
あなたみたいな、自我の強い人がここに来たのは初めてよ、と女信者から言われた自分が頭を垂れて、自我を折ったのであった。でも、心の中では、私は,神をしっかりと観察させてもらいます、と同時に考えていた。
膝を曲げて、ひれ伏すと、牧師は私の頭に、冷たい聖水を、三度かけた。
女信者が寄って来て、タオルで持ち、拭くように言ってくれた。
令和の時代に入り、夜が変わろうとしている時に、自分が余命を考える時に、心を洗い、浄めて頂くことに感謝します。と皆に、述べ、あの世に逝く準備である意義を知った。
聖餐に入り、信者が一人一人にパン切れとぶどう酒を回しはじめた。洗礼を受ける前、それに手を伸ばすことは暗黙のうちに止められていたが、手を伸ばし、キリストの体と血を、体の中に入れた。
(物忘れ物が無くなる不思議さよ)
近頃、物忘れがひどくなった。今日が何曜日かは、わかる。それは日曜日が教会に行く日、水曜日が障害者のカラオケ会、金曜日がパソコン教室、ときまっているからであるが、日にちとなると、スケジュールに当てはまる日がないので必然的にわからなくなる。こんなことが考え切れるということはまだ、本格的な認知症には進んでいないと言うことであろう。
知り合いの婆さんは妄想が出て、屋根裏にドロボーが住みついていて、醤油や酒を盗み、屋根裏でスキヤキをやっているとよく言っていたが、近頃はそんな話もせず、黙ったままで話しかけると、ニッコリ顔になる。昼の弁当はコンビニで買って来ているのに、昼前になると部屋を抜け出して買いに行き、皆を心配させる。
今日の朝、いつもの山道を散歩していると、その婆さんと夫がイノシシノ箱ワナを見に、坂道を上って来た。私は彼に、イノシシが獲れたか?と話しかけ、四匹獲れた、という話をした。婆さんは、黙ってニッコリ笑っていたが、私のことを憶えているかどうか定かではなかった。
夫は婆さんが小学校二年生ほどの知能だと言ったことがあったが、目を離せない生活をしているから、大変であろう。食事は作って上げているし、目を離せば徘徊して回るのである。
でも、よく考えてみると、婆さんは幸福である。金の心配もなく、健康の心配もなく、死ぬことを案ずるわけでもなく、心配事はいっさいなく、だから、いつもニッコリ幸福顔なのである。彼女が不幸であるはずはない。いつか、わたしもそのような笑顔になって、この世から去るに違いない。
残り少なくなった一年の、九月から今月・十二月までの四ケ月間は、すごい速さで時が通過して行った。楽しかった旅行や出会いはもう戻ることは無く、記憶からも薄れ、消え去って行くしかない。思い出として、残るだけである。
今年の年頭に唱えた夢は,かなわず、列車の中に置き忘れられたまま、来年も走り続ける。たくさんの夢は、私の隣の席に座ったまま、わたしと手を取り合い、来年も、仲睦まじくおしゃべりを続けるのである。
新しい女と出会い、再婚すること、文学賞をとって五百万円の懸賞金を手に入れ、海外旅行をすること、チップ農法が成功して企業化し、名がとおり、金を稼ぐこと、キャンピングカーを買ってカラオケを出あった人たちと歌いながら、全国旅行をすることなどの夢は、来年にまた、持ち越された。
良いではないか!
(見果てぬ夢)として、死ぬまで私に付き添ってくれるのであるから。
このタイトルの本を読んだ。
期待通りの内容で、グレタさんのすごさと努力に敬服した。こんなことを行った彼女は、(現代のイエス)と呼ばれるようになるかもしれないし、まわりの同調者たちが彼女の言動を記して、(現代の聖書)が出来上がるかもしれない。
先日、わたしは小さな高菜を畑で取って洗い、(無農薬100%です。サラダに良いですよ)と書いて、産直店に4袋ほど出した。一袋が100であったが、一袋も売れなかった。虫食いだらけを客は敬遠したのであろうが、農薬の害より、きれいさ安さに人々は、まだまだ、関心があるのである。
そろそろ方向が変わっても良いのではないか!
グレタさんは彼女が自閉症、発達障害、アスペルガーであることを告白しているが、(私は多くの点で、私たち自閉症児のほうがノーマルで、その他の人たちの方がかなり変だと思っています)と書いていて、まさに真理を言い当てていた。この異常な世の中において、正常であると言う事は、ヒットラーの時代の親衛隊員のような者であろう。
グレタさんの主張の中で、少し私と異なることがあった。(温暖化)というテーマで論ずるべきであろうか?炭酸ガスが増え、氷が解けて水位が高まり、異常気象になって自然が破壊され、昆虫も消えて言っていることは(自然破壊)と言った方が的確なのではないか?それにわたしたちは温暖化の弊害を訴えると同時に日常生活においては何をなすべきなのか?ビニール袋を使わずに、買い物袋にするとか石鹸や化粧なども自然のものにするとかエアコンをつかわないとか、様々なことが考えられる。
要するに、利便性・快適さ、それを産んで金儲けをしている資本主義・現代文明そのものが問題にされなければ的を得ているとは言えないのである。
あることがあって、その精神病院に行った。大部屋のドアは施錠され、(第二病棟)と書かれていた。
ロックが外されて、中に入ると、広い部屋の中に、老人ばかりが、四、五十人ほど、長いテーブルに向かってすわり、小声でおしゃべりをしたり、ぼんやりしたりしていた。老人ホームを訪れたような気になったが、彼らの姿が小学生のように小さく見え、どこか幼さが感じられた。
面会の相手は、となりの間の椅子に背中を見せて座っていた。
婦長が私に、会うように言った。
「一対一で対面させるんですか?この男が過去にどれだけ暴力をふるったか知らないんですか!」
私は言ったが、婦長は取り合わなかった。
男の向かいの椅子に私は座った。
「あんたは・・病院のガラスを割った」
全く身に覚えのないことをその男は言い始めた。
「そんな病院なんてはいったこともない!」
と言って、彼が妄想状態になっていることを知った。
いよいよここまで来たな?と考えていると、
「 ・・洋服掛けが欲しいので買って来て下さい」
と言う。前回、彼は私と口論したことをすっかり忘れているのであった。
「その前に、やることがあるだろう。俺との関係をきちんと整理しろ!」
「そんなに興奮しないでいいじゃない」
彼は薄笑いをしながら、言った。
彼は開放病棟に15年ほどいたが、女患者や男達とトラブルがたえず、ついにその閉鎖病棟に移されたのであった。
男と話はつかず、これまでどおり無視することにした。彼は閉鎖病棟に入っている限り、外に出て、暴力をふるうことは無いであろうが、許可がでれば外出できるという。
私は心臓が震えるほど興奮していたが、椅子に座った老人たちの姿が胸の中に残っていた。徘徊癖やトラブル癖のあるものたちであろうが、この世から離れて生きている彼fらの、その姿が世間に出ることはない。
部屋から出ようとして、ロックされていて出れなかった。一人の老人が立ち上がり、職員を読んで、開錠させてくれた。
彼らは、夕食を前にして、座っていたのであった・・・。
誰からも見放され、(飼育)されている人々を見て、自分の行く末とも重なった・・。
昨日、赤間教会で牧師と会った。わたしは洗礼式へすすむ流れをきき、心構えも含めて、私の宗教観も話した。
悪党に近かったあいつが洗礼をうけるとは?旧友は、やっぱり、あいつは落ちぶれて、イエスに拾われたのか?と思うかもしれない。それはそれで、良い。
わたしは聖書にはすごく興味があっても、日常的に神を感じることはまれにしかない。それはすごく気分が良い時に、神が元気を与えてくれているのか?あるいは、山道を独り歩きながら神のエネルギーといっしょにあるいているのではないか?と想像するくらいのものである。
地球は回転する太陽から離れ、火炎となって太陽の周りを回るようになった。炎が消え、冷えていって、雨が降り、山や谷ができ、泥水の中から生命がうまれたという科学的な解明は聖書の創世記に書かれていることに通じるものが多い。創世記では、神が山や谷をつくり、すべての生命をつくって、人に管理を任せるようになった。(光あれ)と言われて、光が現れたことなども科学的観点につうじている。
牧師は神学課の大学院卒で、すごく包容力のある人で、洗礼を受けても、楽しみながら聖書を学んでください、と言ってくれた。
(神とは地球上の総エネルギーではないでしょうか?E=MGという方程式がありますよね。エネルギーは質量×定数、というわけですが、地球上でもっとも重いものは地球ですから地球そのものが神ではないでしょうか?そして、その一部が人であり、人のエネルギーではないでしょうか?
などのことを話し合った。こんな話を世間でしてきたが、ほとんどの人は、顔をそむけるような具合で、屁理屈屋、変わり者、という烙印を押してくれた。だが、教会ではこんな会話は日常的なものである。わたしは自分の古里に帰ったような気持で、神探しを続けようと思う。
私の身の上は、72歳にして妻子に逃げられ、金銭苦、孤独という状態で、それは不幸と認定される主要な条件を満たすのに十分すぎる。それは多くの人が、不幸の定義を植えつけられていて、最初から先入観をもっているからである。
確かに朝、目が覚めて、なぜ、目が覚めるのか?覚めなければいいのに・・、と悔やみに近い心境になることがある。特に、良い夢を見ている時で、昨晩は、教会で賛美歌を歌いながら、私の好きな叔母が笑顔で私のそばにいてくれた。眼覚めはそれを打ち破ったのである。その夢をそのままあの世に持っていければさぞ、(幸福)であったろうと思う。
新聞の人生相談を読んでいると、なぜ、そんなことで悩んでいるのかわからないことがある。生活費がきちんと入ってご飯が食べられているではないか?わたしなど、昨日、産直での売り上げが240円であり、これでは肉が買えないと不安になるが,そんな不安がないなんて、幸福ではないか?と反論したくなる。
ある女の人は、しゅうととうまくいかないこと悩みなのであった。ではそこに、生活費の悩みが加わったとすれば、しゅうとの悩みは半減するのであろう。
また、ある講演で聞いた話が印象に残っている。
その女の人は息子が障害児で排泄や入浴の面倒を看ている。まわりの人のほとんどは、大変ですね!というが、彼女にとってそれは嫌いな言葉である。
なぜであろうか?
彼女はその介護に満足感と幸福感を持っているからである。
が、他者にはその気持ちがわからず、既成概念と表面的な部分で判断しているからである。これに類する事例はたくさんある。もう一度自分や他人の悩みを考え直してみると、ほとんどの悩みは消えるはずである。
空腹の状態であれば、どんな食べ物を見ても美味しく見える。(空腹は最大の味覚を作る)のである。これは、(動的平衡)という言葉で総括される。不幸であればあるほど、幸福の味わいは、それに比例して強くなるのであるから、不幸は幸福の触媒作用を起こす、と言うことである。逆に幸福であればあるほど、不幸はどん底感に変わる。人生の最高潮にいる人が自殺するのはこの原理に基づいている。