ブログ - 202512のエントリ
ここしばらく熊騒動が落ち着いてきた。熊は冬眠に入ったかもしれないが空腹で震えているかもしれない。じつは、落ち着いてきてから、ひょんなことを思い出したのである。米の収穫時期から田んぼにいつも立っていたカカシを見かけなくなったのである。カカシは中国由来で、田畑の作物を野生動物から守っていたという。そう言われればよくわかる気がする。童謡にも謡っている通り、一本足で天気のいい日にもみの笠をかぶっていた。道祖神にもちかい彼らが消えたことは熊騒動に照らしてみても考えさせられる。今は、家庭や野山で火を燃やすことが厳禁にされ、町道には枯葉一枚でも残さない時代である。農薬の使用率も世界一である。要するに、遊びのまったくない時代。その歪はいたるところに現れている。青少年の自殺率が世界一高い、出生率の低下、年金生活者たちの経済苦、社会の活気のなさ、などおびただしい。
なぜなのか?
田畑を守るかかしが消えたからである。生活が不安になり、守護神が消えた、いや消ししたからである。人々は何を支えに生きているのだろうか?不思議というしかない。ドングリや椎の実がじゅうぶんい育ち、熊が餌に困ることが無くなれば熊は襲いはしない。今年は渋柿が豊作で、人にあげようとしても、干し柿なんて剥くのが面倒だと言って女たちは受け取ろうとしない。干し柿ならもらうという。わたしは百個以上干し柿にしている。もっと作るつもりだから来年は甘いものに困ることはないであろう。、
昨日は大手スーパーでのアルバイトの日であった。午前十時からであるが早めに行って、待機していた。トイレに行って排便をし始めたがいつものように出が悪かった。力みながら、これでは脳溢血を起こすのではないか?と案じながら、それが起これば自分の経済的ショックの悩みも消えて楽になる、という考えになった。バイパス手術をしたのが十年以上前だから、脳梗塞や心不全がそろそろおこってもおかしくはない。大腸にポリープができているというから、大腸がんになるかもしれない。それらは若いころは怖いことであったが七十八歳になると寿命も短くなり、死ぬのは当然だという気持ちになる。いや逆に苦悩を解決してくれる大切なものになるのである。キリスト教会で牧師に、死なない人生は幸福ですか?と聞いたところ、そうではない、と答えた。
日本は太平洋戦争で数百万人の命を失い、それが後遺症になって今だ死を拒否しているが国民が高齢になったことを後悔している。が、そろそろ氏の価値を認めるべきではないか?と思う。
ある日、庭を歩いていて、イチョウの葉が色づき、落ちているのを見た。
(銀杏葉や舞ひを舞うては散りしかな)
