ブログ - 202512のエントリ
私の部屋にはエアコンもヒーターもない。ストーブだけしかない。灯油を入れて、寒い朝だけ、暖をとる。昨日は鍋をかけて、ビーフシチューをつくった。畑でとれたジャガイモを入れ、ニンジン、玉ねぎ、だしを入れて炊いた。ストーブのつぶやきを聞きながら、布団の中で考えた俳句を思い出し、パソコンに打っていくと楽しくなる。教会のライングループに毎日、投稿している。七、八人しか、、読んでいないが、そのカウントを見るのも楽しみである。
墓掃除枯葉拭いて心清む
この句は中学三年の女信者から、良い句だと誉められた。
町報にも毎月、自分の句が出ていて、良かった!と言ってくれる老人もいる。九十歳で庭の草むしりを毎日やっている人で、俳句を教えてください、と言ってきたときは感動した。そこで、図書館から芭蕉について書かれた本を今、読んでいるが面白い。古池や蛙飛びこむ水の音、などそのが耳に伝わってくるほど、素晴らしい。一度でもそんな句ができたらうれしい!
こんな老人が減っていく蓄えと命を案じながら、句をつくっている。
出来上がったシチュウをたべると美味しかった。自分がつくったジャガイモは小さかったけど、、鍋のつぶやきを聞きながら食べたのであった。
わたしが二流大学の政治学科に入学したのは、外交関係は人間関係に近いと考えたからであった。当時は学生闘争の盛んな時代で学長を団交でつるし上げたり、リンチ殺人事件などほぼ日常的に発生していたv。自分は一時、左翼思想にかぶれていたが、連合赤軍事件が発生してから、これで革命闘争は終わったと、判断した、今、ウクライナ戦争や中国、北朝鮮などのやり方を見て、当時から考えていたことであるが、共産主義とは独裁主義である、という結論に達している。
外交関係は人間関係に等しいという考えは変わらずに持っている。高市総理の発言をめぐって日本の核武装や軍備化の意見がメディアに出ているが、レアな考えは出てこないし、マスコミも取り上げようとしないことが問題である。大勢に流される怖さが見えてくる。わたしがレア仲間の創設者であるとするなら、世界に先駆けてv中国と相互不可侵条約を結び、世界の見本を示すべきだと思う。そんなことをしても中国は侵略してくるさ、という反論があったが、文書として残ることはそれだけの効果を産むのである。条約を破れば領土をあたえるなどの文言は効果がある。
以前、わたしはけんかっ早い男として知られていたが、今、七十八歳になり、そんな元気もなくなって事態が冷静に見れるようになったと思う。
ここしばらく熊騒動が落ち着いてきた。熊は冬眠に入ったかもしれないが空腹で震えているかもしれない。じつは、落ち着いてきてから、ひょんなことを思い出したのである。米の収穫時期から田んぼにいつも立っていたカカシを見かけなくなったのである。カカシは中国由来で、田畑の作物を野生動物から守っていたという。そう言われればよくわかる気がする。童謡にも謡っている通り、一本足で天気のいい日にもみの笠をかぶっていた。道祖神にもちかい彼らが消えたことは熊騒動に照らしてみても考えさせられる。今は、家庭や野山で火を燃やすことが厳禁にされ、町道には枯葉一枚でも残さない時代である。農薬の使用率も世界一である。要するに、遊びのまったくない時代。その歪はいたるところに現れている。青少年の自殺率が世界一高い、出生率の低下、年金生活者たちの経済苦、社会の活気のなさ、などおびただしい。
なぜなのか?
田畑を守るかかしが消えたからである。生活が不安になり、守護神が消えた、いや消ししたからである。人々は何を支えに生きているのだろうか?不思議というしかない。ドングリや椎の実がじゅうぶんい育ち、熊が餌に困ることが無くなれば熊は襲いはしない。今年は渋柿が豊作で、人にあげようとしても、干し柿なんて剥くのが面倒だと言って女たちは受け取ろうとしない。干し柿ならもらうという。わたしは百個以上干し柿にしている。もっと作るつもりだから来年は甘いものに困ることはないであろう。、
昨日は大手スーパーでのアルバイトの日であった。午前十時からであるが早めに行って、待機していた。トイレに行って排便をし始めたがいつものように出が悪かった。力みながら、これでは脳溢血を起こすのではないか?と案じながら、それが起これば自分の経済的ショックの悩みも消えて楽になる、という考えになった。バイパス手術をしたのが十年以上前だから、脳梗塞や心不全がそろそろおこってもおかしくはない。大腸にポリープができているというから、大腸がんになるかもしれない。それらは若いころは怖いことであったが七十八歳になると寿命も短くなり、死ぬのは当然だという気持ちになる。いや逆に苦悩を解決してくれる大切なものになるのである。キリスト教会で牧師に、死なない人生は幸福ですか?と聞いたところ、そうではない、と答えた。
日本は太平洋戦争で数百万人の命を失い、それが後遺症になって今だ死を拒否しているが国民が高齢になったことを後悔している。が、そろそろ氏の価値を認めるべきではないか?と思う。
ある日、庭を歩いていて、イチョウの葉が色づき、落ちているのを見た。
(銀杏葉や舞ひを舞うては散りしかな)
