ブログ - 202511のエントリ
昨夜、寒さをおぼえて、押し入れの中から冬布団を持ち出して、体にかけた。だいぶ暖かくなったが室温は七度であった。電気毛布を低温でいれていたがそれでも寒かったのである。暖い布団の中で死ねれば良いな・・と思いながら、あの中村さんはこの寒さでどうしてるだろうか?と考えた。昨日、彼の部屋に弁当を配達してきたのであった。それまでは公共施設の部屋で仲間たちと麻雀をやった。健康マージャンと言われ、賭けない飲まない吸わないの場であるが暇な老人たちの間でブームにもなっている。楽しかった。
三件目に中村さんの部屋に着くと、閉じられたサッシ戸をノックした。彼はベットのカーテンを開けて顔を出した。表情はなかったがやさしい顔をしていた。ズボンのポケットの中からチリ紙に包んだものを出しかけた。チリ紙に包んで用意していた三百五十円であった、新聞紙もチラシもないからチリ紙に包んで用意していたのであろう。礼を述べて受け取ると、わたしはポケットの中に用意していた吊るし柿二個を差し出し、自分が吊るしたものです、と言った。彼は笑顔を見せて、受け取った。今度、ゆっくりお話をしに来ていいですか?というとうなずいた。
自分の部屋の布団の中は花園みたいである。知り合いや出会った女を想像し、野山を散歩し、集金仕事で訪れた地域を思い出し、どんなところにも自由自在に行けるのである。中村さんの優しい顔はそんな状況ではないか?と思う。
彼との出会いがどんなことになるか?想像すると楽しい。
一つ前のブログで中村さんのことを書いているが、明後日、彼に、弁当配りをすることになっている。また、うちの屋敷では渋柿がびしょなりで、売っても今年は渋柿がすごく多い年だから売れそうにない。吊るし柿はたくさんぶら下げているので彼に持っていってやろうと考えた。
彼のことを考えると、経済的ショックを受けて死ぬことを考えている自分に似ているのではないか?と思い、ドッペルゲンガーという言葉を思い出した。七十八歳になっていつ死んでもおかしくないし、そのテーマはこのホームページに二十年前に小説として書いていたのであった。城山峠という小説である。閲覧者者数は七千ほどあるがたいした反響はなかった。ウイキペディアでドッペルゲンガーを調べると、(自分自身の姿を幻覚で見る幻覚を示し、古くは死の前兆と信じられていた)と書いてあり、もしかすると自分がもうすぐ死ぬ身であって、中村さんがドッペルゲンガーとして現れたのではないか?
それに、一か月間で片方の靴が三度も消えてしまったのである。
そのように考えると現実が次第に身近になってきた。死ぬ前に死期を予期できることがあるという話を聞いたことがあったが、そうかもしれない。心不全や脳梗塞が起こる可能性が強い自分である。あの世の存在を信じるのでもしかすると、あの世が待っているのではないか?
週に一度、弁当配りのアルバイトをしている。社会福祉協議会の運営で町内の担当区域を分け、受け持ちは十件ほどであるが、思わぬ人を訪ねることがある。今回は中村という独居老人のことが心に残っている。あなたも中村さんですね、とわたしの名札を見て、言い、少し笑顔を見せ、この辺りにはおなじ名前が何軒かありますね?と初めて、ベットの中から声をかけてくれたのであった。その人たちとはつながりはありませんが・・、とこたえた。
二部屋ほどの安アパートに住んでいて、いつもサッシ戸を叩いて、声をかけ、カーテンをめくると、彼はかけ布団をゆっくりめくって、安物の意財布の中から硬貨出すが、そこに札束やカード類が入っていたことは一度もなかった。別の財布に入っているのかもしれないが痩せた白い指で三百五十円を数え、出すのである。わたしはかけ布団の上に広がった硬貨を数え、ありがとうございました、と言って受け取り、車に戻るの。
それが二日前のことであったが、今日、わたしは布団の中に潜り込んだまま、その中村さんのことが思い浮かび、おれも同じだなと考えていた。
実は数日前わたしに経済的なショックが見つかって、役場に生活保護受給の相談に行ったのである。
中村さんの部屋にはテレビもストーブもなく、布団一枚きりしか見当たらなかった。わたしのテレビは故障したまま放置している、パソコン、スマフォはあるがひじ掛け長椅子に寝転んで、ラジオを聞いたりしてことが多い。
いつの間にかわたしは中村さんになり、彼のどこかのんびりした表情になりきるのである。もしかすると、私と同じように死ぬのを待っているのではないか?いつか彼の部屋に立ち寄って、おにぎりでも持って行ってやろうか、と思う。
人生を七十八年間生きてきていろんな出来事に会い、不思議な人間にも出会ってきたが今回の出来事は結果がどうなのか?はまだわからないが、その一つに数えられるかもしれない。
三週間前のこと、朝、目が覚めて庭に出ようとした。ところがサンダルが片方だけ見当たらないのであった。猫も犬も飼っていないがどちらかが侵入して、咥えていったのではないか?と考えた。庭には果実が実るので猪かアライグマがいたずらをしたのかもしれないと思った。
ところがその一週間後、農作業の時に履く運動靴が片方だけ消えていたのである。嫌な予感がしたが猫も犬も人の体臭が好きなことを思い出し、そのままにしていた。
すると、昨日いつも愛用している運動靴が片方、消えていたのである。人間の仕業ではないか?フエンスを開けて、侵入し、怖がらせるために一方の靴だけを持ち去った・・・?
過去に何度かいたずらをされたことがあった。四十年前、新車を買ったとき、何か月後かに車に塗料剥離剤がかけられ、ボディが傷つけられた。犯人はわからないまま。それから、今の家に越してきてから、買い替えた中古の車のガラスにひびを入らせられた。それから、家の前の歩道に町が監視カメラを取り付けたのでもういたずらはされないだろうと考えていた矢先のことであった。
わたしを狙う者が、いることは想像できるが、この出来事はホラー小説になる!と考えて興味がわいてきた。書き出しは片方の靴が消えたことから始めればよ良い!
こうしてまず、ブログに書いたわけです。
