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オリンピックをなんとか乗り切ったと思ったら、大雨に襲われて全国的に被害が続出し、雨は降り続き、コロナは感染者を何倍にもして増やしている。緊急事態宣言の適用地域も増え、守らない者には罰則を与えようとしている。
なんともやりきれない令和三年であるが、そこに自己を含めて国家の実相があぶり出されてきている。
合理的な分析と全体を見る目がはっきりしないのである。コロナの新規感染者の中にはワクチン接種者がいるのか?どんな状態で感染したのか?退院者は何人いて現在、何人が入院しているのか?感染をうまく抑え込んでいる外国はどんなことをしたのか?などを分析して、その結果、こうするんだ、という合理的な発想が見当たらない。それをやれば国民も納得すると思うのであるが、どうも弱く感じられる。
太平洋戦争で三百万人の犠牲者を出した構図とよく似ている。テレビの番組ででも、あの戦争のとき、中国の蒋介石は日本の立場と心理をよく読んで、アメリカが日本を攻撃するようにしていたと言うが、その時の情勢とよく似ている。孤島に位置し、長い間、鎖国を続けてきた国は他国や他者を分析し、臨む精神からかけていると言わざるを得ない。民意ですらそうである。込み入った難しい話をするものは遠ざけられるし、本来はコロナ対策の集会や討論会が設けられても良いはずなのにそんな気配はない。
残念としか言いようがない。
この二週間ほど、畑に流れた血を見て、気分が落ち込んでいた。朝、畑を見回ると、スイカが野生動物に食われ、二つに割られて真っ赤な血を流し、転がっていたのである。カラスではなく、いやカラスの次の捕食者が現れて、食っていたのである。その姿は一度も見たことがなく、時間帯は日の出と自分の姿が現れるまでである。
カラスにやられ始めた頃、ビニールかごやプラスチック容器でかぶせ、ブロックや石を載せるようになった。ブロックを一個まるごと載せた箇所もあった。
これで大丈夫だろうと、翌朝、畑に行くと、真っ赤な血が畑のあちこちに見え、ショックを受けたのであった。噛み跡をよく見ると、尖った跡ではなく、丸く削った跡が三条ほどついていた。イノシシか?あなぐまか?と考えたが、猿であると思った。屋敷の中で一度も見たことはないが、町の横断歩道を歩いている姿を見たことがあった。それに、畑のクリがなにものかに食われていることも知っていた。それは殻の中の実ではなく、殻の中からこぼれおちたものであった。
猿は芋を洗うこともあり、かなり知能がある。それでもブロックを両手で持ち上げて、一匹の力で外すであろうか?何匹かでやったのだろうか?猿がスイカを食うくらい別に驚くほどのことではないが、はっきり猿の仕業だと確定できたわけではなく、推測であるが、そこが想像を働かせてちがうイメージまで膨らませ、恐怖を起こしてしまう。昔はスイカドロボウというのがいて、小屋を立てて見張っていたらしいから、もしかすると人間の仕業かもしれない、あるいは新種の動物かもしれないなどと考えてしまう。
ある畝では、ブロックが外され、プラスチックの容器がひっくり返されていた。ところが本体のスイカは食べられず、ひっかき傷もないのもあった。どういうつもりなのであろうか?タケノコの場合でもそんな事があった。堀り出しながら、ほったらかしていたのである。こんなことしても無駄だぞ!と、俺をからかっているのか?
百個のスイカを作る予定であったが、けっきょく、二個を盆前に知り合いに差し上げ、買ってもらった。真っ赤に熟れて蜜を食べるように美味しかった、と電話をもらい、複雑な気持ちになった。本来は百個が蜜になったはずであるが自分が食べたものもふくめて十個もなかった。
今日のネットのニュースに、インドネシアでコロナ感染が急増し、政府が感染者に保険金を出すようにしていたところ、わざと感染する者たちが増え、支給を止めたという。世の末?ではないか。狡猾な猿を責めることは出来ない。日本のわたしたちだって起こり得る。
命のために命を捨てる。
畑で食われたスイカはそのまま放置しているが、流れた血はなにか不吉な予感を漂わせている。
今日も朝早くから、庭一面で、クマゼミが鳴きわめいている。まるで嵐が来たような煩さである。環境破壊の中で多くの生物が姿を消していく中で、セミだけは地面の中で生きているせいか減ってはいない。
昨日のコロナの感染者で全国で9583人になり、その中でオリンピック競技が行われ、日本は多くのメダルを取り、国民の憂さ晴らしになっている。日頃、競争原理を否定する自分もテレビを見ながら、時には涙する。アルバイトを週に三日やり、産直店に売りに行き、畑の草取りをし、時には伸びすぎた木を切る。そのほうが部屋の中で扇風機にかかっているより、過ごしやすいが,疲れがぐったり来ることがある。
40本ほど出たスイカの半分はカラスに突かれてしまった。店には出せず、ショックだったが、おかげで自分で好きなだけ食べれるようになった。畑の椅子に座って、食べながら、種は吐き出すので来年はそこから芽を出すかもしれない。何粒かはそのまま胃の中に入れるわけであるが、そこで考えた。種は咀嚼されず、胃や腸の中で分解もされず、排泄されて地面に巻かれ、命の芽を再び出すのである。ふつうの食べ物であれば必ず咀嚼され、分解されて吸収されて体内に取り込まれるのに、ほとんどの果実の種は
大地にもどされる・・・。この仕組は誰が作り、自然のシステムにしたのであろうか?
人間ではない。超人的な者の作用である・・・。
種に、生きよ!生き延びよ!と指示している者がいるにちがいない。
自分にはその声が聞こえてきそうである。
スイカが体を緑模様にまとってカラスや人に見つからないようにしているのも不思議である。
信仰者であればそこで神や仏を持ち出し、やはりそうだったではないか!というであろうが、考えれば考えるほど不思議である。謎めいた自然の働きはそれ以外にもたくさんある。
そこでコロナを持ち出すと、コロナを出現させた者はどんな意図があったのか?ということである。これが解釈されないかぎり、コロナは去りはしないのである。
コロナ事変がだいぶ落ち着きをみせはじめ、スカート姿の女が目につくようになったので嬉しい。
もちろん、わたしはスカートをはいたことはないから、はいてみればどんな気分になるか想像してみると楽しくなる。風が足元から脚、腿と伸びていって陰部に触れる感触はどんなものか?想像するだけで楽しい。冷たい風も温い風もあるだろうが、季節との一体感が味わえるであろう。スカートをはいた者にしかわからないだろうが、どんな感触ですか?などと聞けば、まちがいなく、エロジジイという言葉がかえってくるにちがいない。
女とセックスをした時の話である。行為の時、一人の女の膣には中指を入れ、親指は肛門に入れたことがあった。気持ち悪い、と言われ、やめた。もうひとりの女の場合、ホテルの風呂に入っていて、女は風呂いすに腰を下ろしていた。そこで、背後から抱きつき、石鹸をつけた指を肛門に這わせながらペニスを肛門に入れたのである。すごく気持ちよかったので、気分はどう?と聞いてみると,沈黙していたので、やめた。
そこでいつも自分は、男も女も両性具有だと考えていたのであるし、わたしはまちがいなくそうである。そこで今日、スマフォでニュースを読んでいると、スカートの文字をストーカーと読んでしまってるのに気づき、着想がわいたのである。
(スカートをはいたストーカー)という題で変態小説を書いてみたい。
(醜い花は、いない)という題で小説を書いている。前のブログで同じタイトルで書いているが、小説風に仕立てている。
奇形顔の男が野菜づくりをしていて、スイカを百個作ろうと頑張っている。カラオケが趣味であり、カラオケ教室に通い、障害者のカラオケ練習会にもかよっている。
障害者のカラオケ会で、認知症の老女にいじめを受ける。その顔は生まれつきだ、と悪評を流され、彼はショックを受け、部屋に閉じこもってしまう。じつは小児がんにかかり、患部を切り取られてしまったのである。他方、スイカはカラスに突かれ、ぜんぶ腐ってしまう。隣室の男や貧困救済組織から助けられ、彼は立ち直り、彼を庇護している奥様といっしょに、スイカ(腐った部分を取り除いたもの)を食べながら、昔の百姓は、一粒は鳥さんのため、二粒はモグラのため、と話していたとしゃべりながら、なぐさめあう。
彼はカラオケ発表会に出場し、ライトの消えたステージで、吉幾三の(雪国)を歌う。
奥さまは彼の奇形顔を怖がっていたが、彼の心に惚れる。顔は醜さを失い、奥さまは体を交える。
これで、ストーリーはじゅうぶんであるが、彼が畑に人糞をまいて野菜を育てる場面を入れたいと、かんがえているが、スムーズには筆がすすまない。
女友達から電話がかかってきて、(お願いがあるんですけど)、と神妙な口調になった。何事か?やばい話か?と考えていると、娘が四匹の野良猫を飼い始めたが、会社の中なので飼いきれなくて、里親を探している、それで預かってくれないか?という。
(何だそんなことか?猫島という猫の住む島も近くにあるし、今は猫ブームだからもらい手も多いんじゃなか?)というと、どうやら娘はその猫が好きで飼いたいのだが、家では旦那が反対するので、あなたの広い家でとりあえず飼ってもらったら助かると、いう。
その電話の後、娘は愛人の男といっしょに我が家を訪ねてきた。手土産を持ってくるわけではなく、愛人の男はどこか無愛想な感じで、庭の椅子に三人で腰を下ろし、猫騒動についてしゃべりはじめた。その猫の前にはちがう猫を会社で飼っていて、彼はオールドミスの女と餌をやっていて、二人はできてるんじゃなか?と、噂が立っていた。そこにその娘が入社し、男から仕事を教えてもらいながら成長し、担当部署を与えられたのであった。娘と男は愛し合い、男は離婚して娘と結婚するという。絶えず口喧嘩をして別れると言いながら、別れきれないのである。
もちろん二人の関係は評判になり、男はその不倫が原因で降格させられ、給料も半分になってしまった。娘は自分たちの恋のせいで降格されたことを知り、野良猫を男と二人で飼っていることは余計に目立つと考え、手放すことにしたのであった。
わたしは猫は大好きなので、飼いたいとおもいながら、逃げたらどうしようか?病気になったら治療費がかかる、と心配になってきた。
そんな不安の中に、娘から、餌だけ食べに来ていたその野良猫を捕獲したので、明日の夕方、持っていきます。とメールが入っきた。わたしは驚き、怖くなった。考えた末、自信がありません、と返信した。すると娘そのことを母親に相談し、ご心配をおかけしました、わたしたちでなんとかします、と返信してきたのでやっと安心したのであった。
猫騒動の中で、考えた。
自分が年老いて、猫を飼うことに苦痛をおぼえるようになったということである。
同時に、生き物を愛し、飼うことが怖くなっているということであった。いずれ自分は死に、互いに離れ離れになるのであるから。
今年の夏はスイカを100個つくり、一個を千円で売って10万円ほど儲ける、という計画を立て、実行に移した。4月の初めに苗を100円(振り返ると安すぎた)で二十株ほど買い、植えた。一ヶ月ほどたって成長が遅かったので見ると根がついていなかった。全部捨てて、一個が200円のを17株ほど買って同じ場所に植えた。
成長し、つるを周りに伸ばして、黄色い花を咲かせていった。受粉させてやろうかと考えたが、小さな蜂が飛び回り、交配していってくれていた。花は小指ほどの実に変わり、40日はどで大玉スイカになることを知り、女友達に話すと、予約客を5人ほど作ってあげたと言い、うれしくなった。昨年は一株に5個できたのでこのまま大きくなると、7万円になると読んでいた。
三週間ほどで20個の玉を見つけ、夢を膨らませていると、異変が起こった。畝の端の一番大きなスイカがカラスに突っつかれていた。驚いて、20個スイカにバケツや鍋をかぶせていった。昨年はカラスに突っつかれたことはなく、そんな防御策でじゅうぶんであった。一週間は無事であったが、ある朝、バケツや鍋がひっくり返され、赤くなり始めた実が食われ、むき出しになって放置してあった。ショックを受け、悲しくなった。
キラキラ光るテープを畝の周りに張り、魚の釣り糸もまいていった。これで大丈夫だと思っていたら、夜明けに、食われ、枯れ草に隠していたスイカまで無残に食われてしまっていた。無傷のスイカが3個、突っつかれたものが4個で、売り物になりそうなのは四個だけになった。電話で女友達に話すと、泣き声をあげ、カラスを怒った。
一週間後、心が落ち着いていつもの生活に戻った。
部屋の前の庭を見ると、白い猫が座り、自分をじっと見つめていた。時々見かける捨て猫であった。
カラスの食べ残しを自分が食べ、捨てていたのをその猫が食べ、自分が猫のために置いてくれたと考えて自分の気持を読み取ろうとしていたようである。静かな落ち着いた目で自分をみつめ、連れ合いを求めているようであった。
今回のコロナ事変はまだ収束したわけではないが、人間界の思想・考え方に大きな変革をもたらすにちがいない。すでにスピリチュアルや新興宗教の世界では、コロナは精霊である、という考えが出て、変化の兆候を現し始めている。既成の大宗教は沈黙し、これまでの権威と考え方を必死に守ろうとしているだけであるが、思考を深め、精神は物質の作用であった、ということになれば、巨大宗教はあっという間に崩壊するしかない。
わたしはこのホムページを開設したときから、精神は物質の作用であると書いていたので、自分の考えが正しかった、と思いかえしている。コロナが証明してくれたのである。コロナは目に見えない霊ともよべるものであり、風にのって動き、人や動物に憑依し、細胞に乗り移って増えていく。ワクチンが開発されると、新種の生命体を生み出し、感染力を強めている。コロナは人間と同じように考え、行動しているのである。その思考の過程は人間の脳と同じく、化学反応によるのである。これが人間以上になった時、人類は崩壊するしかない。次はワクチンのきかない種を生み出し、人間はそれに対抗するワクチンを開発し、イタチごっこを続けるかもしれないし、コロナが収束すれば新たな菌が生まれるであろう。
わたしのまわりには、精神は物質の作用である、そのことを証明する人間は何人もいるし、自分もその中の一人であるに違いない。精神病院に三十年以上入院したままで、退院をみじかにしながら同じ過ちを繰り返して、閉鎖病棟に入ったままの男、部屋に閉じこもったまま誰とも口を利かず、そうでありながら周りの人間を部屋の中から双眼鏡で見張っている女、など異常な者たちは多い。
彼らを精神科医が治療することは不可能だと思う。なぜなら、そこで精神の構造や人間の幸福、生き方を持ち出しても、結局は通じない事が多いからである。人間機械論ではないが、彼らの病気は脳の化学反応のせいなのである。ここでロボトミーのことなど持ち出せば、人権団体から総攻撃を受けて、殺されるかもしれないが、コロナによって世界は変わっていくのである。
友達がパーキンソン病にかかり、動きが緩慢になり、社会生活にも不安が出始めた。その病気はまだ原因がはっきりせず、脳のドーパミンの減少であると言われているが、治療法は確立していない。彼は、精神も少しおかしく、過去のトラブルを何度も持ち出し、それに囚われ、まさに悪霊にとりつかれたような状態である。
これは精神病理学の分野で治療するよりは、脳外科の分野で治療すべきではないか?脳腫瘍などは手術で治しているわけであるから、精神の異常は脳の検査でわかるはずである。ワクチンはコロナのDNAに手を入れて改造し、攻撃能力を抑えているのであるから、すでに脳外科では精神改造に着手しているにちがいない。
人権思想の果たした役割は大きい。が、そろそろ見直しをされ、巨大宗教も神・精神と物質の関係をはっきりさせない限り、存続は難しくなる。
コロナ事変が世界を変えていくのはこれからである。
醜い花は、いないし、醜い動物も川も山も機械も、ない。だが、人間界には美男美女という言葉があるように、顔形に美がが存在し、一生、つきまとうのである。美しい顔、美しい体、美しい生活、美しい政治などすべての分野にかかわっている。
人間社会以外にはない、ということは普遍性をもたないのであろうか?
視点を変えて、美醜の基準がなくなったらどうなるか?である。美を基準にすることがなくなり、その基準から外れた人々に自由を与えるに違いない。今日はどんなメイクで服装で出かけようか?など考える必要がなくなるし、顔が醜い、といって劣等感を持つこともなくなる。
(醜い花は、いない)の小説を書いていて、強く思うのは、人間にとっていかに顔が重要か!いかに支配されているか!であった。さらにその基準から外れた人にとっていかに苦痛であるか!であった。今の時代はほとんどの男女が植毛眉毛で眉をきれいな山形にしているが、わたしはそんなことはせず、爺さん顔で生きていくつもりである。
これは怖い時代である、と思う。テレビの画面など見ていて、自然の眉毛がほとんどない。コロナの緊急事態宣言や小さな出来事にチャチャを入れる風潮を見ていて、異端を排除する傾向が強まっていると思う。こんな時こそ、レアが威力を発揮するのである。
こんな俺のどこが悪いか?である。
ニヶ月前から新作の小説を書き始めたが、題名やストーリーに迷い、何度も書き直していった。今、やっとそれらがはっきりして、方向性ができた。題名は、(風蘭)、から(真夏の黒蛇)、に変わり、(醜い花は、いない)に決まりそうである。主人公は男好きの未亡人・君枝から、奇形顔の作男・鉄ちゃんに変え、主題も彼女の男たちとの遍歴から鉄ちゃんの人生に変わった。難しい作品ではあるが登場人物も身近な人々であり、体験も十分にあるので不足はない。ただ、あまりにも体験が多いので材料負けしないように気をつけねばならない。
鉄ちゃんは三歳の時に小児がんにかかった。顔にできたので顔中にメスを入れられ、無残な顔になってしまった。学校に通わせればいじめられると母親は考え、学校にはいっさい行かず、農作業と家事手伝いで三十五歳まで生きたのであった。結婚し、離婚し、ホームレスになり、救援組織に拾われて安アパートに住むようになった。そこで、隣室に住んでいた君枝から生活の世話を受け、彼女の実家の農作業をするようになった。
スイカを百個つくり、売ることが君枝と鉄ちゃんの夢になり、彼はいつの間にかその家で昼ごはんを食べるようになった。いろんな世間話をまじえているうちに、こんな話が出た。
(奥様、醜い花、ってあるんですかね?)
いきなりの問に彼女がこたえられるはずはなかったが、彼の顔とのつながりは感じた。
(聞いたことはないけどね。あるのかしら、あっても買う人はいないでしょうけど)
(でも、興味を示す人はいるかもしれないですね)
(何人かの人が興味をもっても商売にはならないわね)
(そうですね。ところで、醜い、って誰が決めるのでしょうか?)
(人が決めるのでしょうけど、どうやって決めるのかね?)
鉄ちゃんはいつものように顔にマスクをして、切れ上がった唇と潰れた左目を隠していた。マスクに触れて隠れているかどうか確認してみた。
会話はそこで止まってしまったが、君枝は友達の大村に聞いてみた。
(それはばくも考えたことがあるんですよ)
彼は痩せてすごく小さい男で、そのことにコンプレックスを抱いていた。
(花は球根や種で増えるから、蝶や蜂が寄ってくるように魅力がなければいけない。寄っていく花はその種によって決まっているけど、新種の花ができた場合、どうするのだろうか?初めてだけど匂いや色、形を見るに違いない。そこで惹きつけられるか?どうかだな)
(面白いわね。実験してみたらどうかしら?)
(そう、やってみなくてはわからないけど、逆に花の立場なんだな。どんな匂いや色・形が効果的なのか?どうやって考え、知るんだろうか?誰かが、神みたいなものが指示を出すのだろうか?でも、ちがう考え方もできるかもしれない。つまり結論を言うと、きれいな花の場合は交配をされて増えるであろうけど、醜いと判断された場合は放置されて絶えてしまう)
(だから、醜い花は存在しない、っていうのね)
(うん)
(でも人間社会ではそんなことはない)
大村は視線を強めた。
(役立たずの者でも絶えることはないし、生きている)
大村はそこから先は自分の命題として、残し、ある時、思いついたのであった。
(役立たずでも醜くても対立物としての存在価値はあり、それがなければ社会は成立しないのだ。醜いものが消えれば、美しいものとしての判断はできず、消えていくしかない)、