ブログ - 最新エントリー
コロナ事変がだいぶ落ち着きをみせはじめ、スカート姿の女が目につくようになったので嬉しい。
もちろん、わたしはスカートをはいたことはないから、はいてみればどんな気分になるか想像してみると楽しくなる。風が足元から脚、腿と伸びていって陰部に触れる感触はどんなものか?想像するだけで楽しい。冷たい風も温い風もあるだろうが、季節との一体感が味わえるであろう。スカートをはいた者にしかわからないだろうが、どんな感触ですか?などと聞けば、まちがいなく、エロジジイという言葉がかえってくるにちがいない。
女とセックスをした時の話である。行為の時、一人の女の膣には中指を入れ、親指は肛門に入れたことがあった。気持ち悪い、と言われ、やめた。もうひとりの女の場合、ホテルの風呂に入っていて、女は風呂いすに腰を下ろしていた。そこで、背後から抱きつき、石鹸をつけた指を肛門に這わせながらペニスを肛門に入れたのである。すごく気持ちよかったので、気分はどう?と聞いてみると,沈黙していたので、やめた。
そこでいつも自分は、男も女も両性具有だと考えていたのであるし、わたしはまちがいなくそうである。そこで今日、スマフォでニュースを読んでいると、スカートの文字をストーカーと読んでしまってるのに気づき、着想がわいたのである。
(スカートをはいたストーカー)という題で変態小説を書いてみたい。
(醜い花は、いない)という題で小説を書いている。前のブログで同じタイトルで書いているが、小説風に仕立てている。
奇形顔の男が野菜づくりをしていて、スイカを百個作ろうと頑張っている。カラオケが趣味であり、カラオケ教室に通い、障害者のカラオケ練習会にもかよっている。
障害者のカラオケ会で、認知症の老女にいじめを受ける。その顔は生まれつきだ、と悪評を流され、彼はショックを受け、部屋に閉じこもってしまう。じつは小児がんにかかり、患部を切り取られてしまったのである。他方、スイカはカラスに突かれ、ぜんぶ腐ってしまう。隣室の男や貧困救済組織から助けられ、彼は立ち直り、彼を庇護している奥様といっしょに、スイカ(腐った部分を取り除いたもの)を食べながら、昔の百姓は、一粒は鳥さんのため、二粒はモグラのため、と話していたとしゃべりながら、なぐさめあう。
彼はカラオケ発表会に出場し、ライトの消えたステージで、吉幾三の(雪国)を歌う。
奥さまは彼の奇形顔を怖がっていたが、彼の心に惚れる。顔は醜さを失い、奥さまは体を交える。
これで、ストーリーはじゅうぶんであるが、彼が畑に人糞をまいて野菜を育てる場面を入れたいと、かんがえているが、スムーズには筆がすすまない。
女友達から電話がかかってきて、(お願いがあるんですけど)、と神妙な口調になった。何事か?やばい話か?と考えていると、娘が四匹の野良猫を飼い始めたが、会社の中なので飼いきれなくて、里親を探している、それで預かってくれないか?という。
(何だそんなことか?猫島という猫の住む島も近くにあるし、今は猫ブームだからもらい手も多いんじゃなか?)というと、どうやら娘はその猫が好きで飼いたいのだが、家では旦那が反対するので、あなたの広い家でとりあえず飼ってもらったら助かると、いう。
その電話の後、娘は愛人の男といっしょに我が家を訪ねてきた。手土産を持ってくるわけではなく、愛人の男はどこか無愛想な感じで、庭の椅子に三人で腰を下ろし、猫騒動についてしゃべりはじめた。その猫の前にはちがう猫を会社で飼っていて、彼はオールドミスの女と餌をやっていて、二人はできてるんじゃなか?と、噂が立っていた。そこにその娘が入社し、男から仕事を教えてもらいながら成長し、担当部署を与えられたのであった。娘と男は愛し合い、男は離婚して娘と結婚するという。絶えず口喧嘩をして別れると言いながら、別れきれないのである。
もちろん二人の関係は評判になり、男はその不倫が原因で降格させられ、給料も半分になってしまった。娘は自分たちの恋のせいで降格されたことを知り、野良猫を男と二人で飼っていることは余計に目立つと考え、手放すことにしたのであった。
わたしは猫は大好きなので、飼いたいとおもいながら、逃げたらどうしようか?病気になったら治療費がかかる、と心配になってきた。
そんな不安の中に、娘から、餌だけ食べに来ていたその野良猫を捕獲したので、明日の夕方、持っていきます。とメールが入っきた。わたしは驚き、怖くなった。考えた末、自信がありません、と返信した。すると娘そのことを母親に相談し、ご心配をおかけしました、わたしたちでなんとかします、と返信してきたのでやっと安心したのであった。
猫騒動の中で、考えた。
自分が年老いて、猫を飼うことに苦痛をおぼえるようになったということである。
同時に、生き物を愛し、飼うことが怖くなっているということであった。いずれ自分は死に、互いに離れ離れになるのであるから。
今年の夏はスイカを100個つくり、一個を千円で売って10万円ほど儲ける、という計画を立て、実行に移した。4月の初めに苗を100円(振り返ると安すぎた)で二十株ほど買い、植えた。一ヶ月ほどたって成長が遅かったので見ると根がついていなかった。全部捨てて、一個が200円のを17株ほど買って同じ場所に植えた。
成長し、つるを周りに伸ばして、黄色い花を咲かせていった。受粉させてやろうかと考えたが、小さな蜂が飛び回り、交配していってくれていた。花は小指ほどの実に変わり、40日はどで大玉スイカになることを知り、女友達に話すと、予約客を5人ほど作ってあげたと言い、うれしくなった。昨年は一株に5個できたのでこのまま大きくなると、7万円になると読んでいた。
三週間ほどで20個の玉を見つけ、夢を膨らませていると、異変が起こった。畝の端の一番大きなスイカがカラスに突っつかれていた。驚いて、20個スイカにバケツや鍋をかぶせていった。昨年はカラスに突っつかれたことはなく、そんな防御策でじゅうぶんであった。一週間は無事であったが、ある朝、バケツや鍋がひっくり返され、赤くなり始めた実が食われ、むき出しになって放置してあった。ショックを受け、悲しくなった。
キラキラ光るテープを畝の周りに張り、魚の釣り糸もまいていった。これで大丈夫だと思っていたら、夜明けに、食われ、枯れ草に隠していたスイカまで無残に食われてしまっていた。無傷のスイカが3個、突っつかれたものが4個で、売り物になりそうなのは四個だけになった。電話で女友達に話すと、泣き声をあげ、カラスを怒った。
一週間後、心が落ち着いていつもの生活に戻った。
部屋の前の庭を見ると、白い猫が座り、自分をじっと見つめていた。時々見かける捨て猫であった。
カラスの食べ残しを自分が食べ、捨てていたのをその猫が食べ、自分が猫のために置いてくれたと考えて自分の気持を読み取ろうとしていたようである。静かな落ち着いた目で自分をみつめ、連れ合いを求めているようであった。
今回のコロナ事変はまだ収束したわけではないが、人間界の思想・考え方に大きな変革をもたらすにちがいない。すでにスピリチュアルや新興宗教の世界では、コロナは精霊である、という考えが出て、変化の兆候を現し始めている。既成の大宗教は沈黙し、これまでの権威と考え方を必死に守ろうとしているだけであるが、思考を深め、精神は物質の作用であった、ということになれば、巨大宗教はあっという間に崩壊するしかない。
わたしはこのホムページを開設したときから、精神は物質の作用であると書いていたので、自分の考えが正しかった、と思いかえしている。コロナが証明してくれたのである。コロナは目に見えない霊ともよべるものであり、風にのって動き、人や動物に憑依し、細胞に乗り移って増えていく。ワクチンが開発されると、新種の生命体を生み出し、感染力を強めている。コロナは人間と同じように考え、行動しているのである。その思考の過程は人間の脳と同じく、化学反応によるのである。これが人間以上になった時、人類は崩壊するしかない。次はワクチンのきかない種を生み出し、人間はそれに対抗するワクチンを開発し、イタチごっこを続けるかもしれないし、コロナが収束すれば新たな菌が生まれるであろう。
わたしのまわりには、精神は物質の作用である、そのことを証明する人間は何人もいるし、自分もその中の一人であるに違いない。精神病院に三十年以上入院したままで、退院をみじかにしながら同じ過ちを繰り返して、閉鎖病棟に入ったままの男、部屋に閉じこもったまま誰とも口を利かず、そうでありながら周りの人間を部屋の中から双眼鏡で見張っている女、など異常な者たちは多い。
彼らを精神科医が治療することは不可能だと思う。なぜなら、そこで精神の構造や人間の幸福、生き方を持ち出しても、結局は通じない事が多いからである。人間機械論ではないが、彼らの病気は脳の化学反応のせいなのである。ここでロボトミーのことなど持ち出せば、人権団体から総攻撃を受けて、殺されるかもしれないが、コロナによって世界は変わっていくのである。
友達がパーキンソン病にかかり、動きが緩慢になり、社会生活にも不安が出始めた。その病気はまだ原因がはっきりせず、脳のドーパミンの減少であると言われているが、治療法は確立していない。彼は、精神も少しおかしく、過去のトラブルを何度も持ち出し、それに囚われ、まさに悪霊にとりつかれたような状態である。
これは精神病理学の分野で治療するよりは、脳外科の分野で治療すべきではないか?脳腫瘍などは手術で治しているわけであるから、精神の異常は脳の検査でわかるはずである。ワクチンはコロナのDNAに手を入れて改造し、攻撃能力を抑えているのであるから、すでに脳外科では精神改造に着手しているにちがいない。
人権思想の果たした役割は大きい。が、そろそろ見直しをされ、巨大宗教も神・精神と物質の関係をはっきりさせない限り、存続は難しくなる。
コロナ事変が世界を変えていくのはこれからである。
醜い花は、いないし、醜い動物も川も山も機械も、ない。だが、人間界には美男美女という言葉があるように、顔形に美がが存在し、一生、つきまとうのである。美しい顔、美しい体、美しい生活、美しい政治などすべての分野にかかわっている。
人間社会以外にはない、ということは普遍性をもたないのであろうか?
視点を変えて、美醜の基準がなくなったらどうなるか?である。美を基準にすることがなくなり、その基準から外れた人々に自由を与えるに違いない。今日はどんなメイクで服装で出かけようか?など考える必要がなくなるし、顔が醜い、といって劣等感を持つこともなくなる。
(醜い花は、いない)の小説を書いていて、強く思うのは、人間にとっていかに顔が重要か!いかに支配されているか!であった。さらにその基準から外れた人にとっていかに苦痛であるか!であった。今の時代はほとんどの男女が植毛眉毛で眉をきれいな山形にしているが、わたしはそんなことはせず、爺さん顔で生きていくつもりである。
これは怖い時代である、と思う。テレビの画面など見ていて、自然の眉毛がほとんどない。コロナの緊急事態宣言や小さな出来事にチャチャを入れる風潮を見ていて、異端を排除する傾向が強まっていると思う。こんな時こそ、レアが威力を発揮するのである。
こんな俺のどこが悪いか?である。
ニヶ月前から新作の小説を書き始めたが、題名やストーリーに迷い、何度も書き直していった。今、やっとそれらがはっきりして、方向性ができた。題名は、(風蘭)、から(真夏の黒蛇)、に変わり、(醜い花は、いない)に決まりそうである。主人公は男好きの未亡人・君枝から、奇形顔の作男・鉄ちゃんに変え、主題も彼女の男たちとの遍歴から鉄ちゃんの人生に変わった。難しい作品ではあるが登場人物も身近な人々であり、体験も十分にあるので不足はない。ただ、あまりにも体験が多いので材料負けしないように気をつけねばならない。
鉄ちゃんは三歳の時に小児がんにかかった。顔にできたので顔中にメスを入れられ、無残な顔になってしまった。学校に通わせればいじめられると母親は考え、学校にはいっさい行かず、農作業と家事手伝いで三十五歳まで生きたのであった。結婚し、離婚し、ホームレスになり、救援組織に拾われて安アパートに住むようになった。そこで、隣室に住んでいた君枝から生活の世話を受け、彼女の実家の農作業をするようになった。
スイカを百個つくり、売ることが君枝と鉄ちゃんの夢になり、彼はいつの間にかその家で昼ごはんを食べるようになった。いろんな世間話をまじえているうちに、こんな話が出た。
(奥様、醜い花、ってあるんですかね?)
いきなりの問に彼女がこたえられるはずはなかったが、彼の顔とのつながりは感じた。
(聞いたことはないけどね。あるのかしら、あっても買う人はいないでしょうけど)
(でも、興味を示す人はいるかもしれないですね)
(何人かの人が興味をもっても商売にはならないわね)
(そうですね。ところで、醜い、って誰が決めるのでしょうか?)
(人が決めるのでしょうけど、どうやって決めるのかね?)
鉄ちゃんはいつものように顔にマスクをして、切れ上がった唇と潰れた左目を隠していた。マスクに触れて隠れているかどうか確認してみた。
会話はそこで止まってしまったが、君枝は友達の大村に聞いてみた。
(それはばくも考えたことがあるんですよ)
彼は痩せてすごく小さい男で、そのことにコンプレックスを抱いていた。
(花は球根や種で増えるから、蝶や蜂が寄ってくるように魅力がなければいけない。寄っていく花はその種によって決まっているけど、新種の花ができた場合、どうするのだろうか?初めてだけど匂いや色、形を見るに違いない。そこで惹きつけられるか?どうかだな)
(面白いわね。実験してみたらどうかしら?)
(そう、やってみなくてはわからないけど、逆に花の立場なんだな。どんな匂いや色・形が効果的なのか?どうやって考え、知るんだろうか?誰かが、神みたいなものが指示を出すのだろうか?でも、ちがう考え方もできるかもしれない。つまり結論を言うと、きれいな花の場合は交配をされて増えるであろうけど、醜いと判断された場合は放置されて絶えてしまう)
(だから、醜い花は存在しない、っていうのね)
(うん)
(でも人間社会ではそんなことはない)
大村は視線を強めた。
(役立たずの者でも絶えることはないし、生きている)
大村はそこから先は自分の命題として、残し、ある時、思いついたのであった。
(役立たずでも醜くても対立物としての存在価値はあり、それがなければ社会は成立しないのだ。醜いものが消えれば、美しいものとしての判断はできず、消えていくしかない)、
立花隆氏が81歳で亡くなり、知の巨人、としての偉業をほめたたえられている。田中総理大臣の仕事を書いて世間に出し、政権がつぶれたのであるから、巨人の言葉にふさわしい仕事をしたことはまちがいない。よほどの勇気がないとそんな事はできない。殺されたかもしれない仕事なのである。
立花氏より7歳若い自分はどんな人生であったのか?と問われれば、小説家志望でありながら文学賞予選に二度ほどとおり、最底辺の労働をしながら貧困のうちに亡くなった、という答えになるであろう。自動車組み立て工場で腕時計を見る時間のない労働をし、それが終われば遊び、女に熱中し、帰郷してからはNHKの集金業務で警察をよばれるほどの仕事をし、ついには恵まれない結婚生活を送った、ということになる。
それが世間の目であるが、実情は少し異なる。自動車工場の更衣室で着替えをしながら、隣の無口な若者が子供の人形を中から取り出し、帰っていったこと、その時、無口で陰気な彼に家庭があることを知ったこと、受信料の集金現場で警察を呼ばれて説教され、後に警察官舎を訪ねて彼から支払い拒否を告げられたことなど、机上では思いつかない体験をしたことは貴重なものであった。
転んでもただでは起きない、とたえず思っていたし、自分の人生はフィールドワークであると考えていたのでもあった。このホームページのブログも千を超えていて、すべては人生経験から出ている。立花氏は自分と比較にならないほどのフィールドワーカーであり、人間研究、社会研究に一生を捧げ、東大似価値はない、自殺を夢見たこともあると正直に書いておられる。
市井の研究者としての生き方は世間の人もしているし、皆がフィールドワーカーなのである。虫のいろいろ、人のいろいろ、なのである。
民間企業は商品の売買で利益を得、国家や行政は税金で運営されているから、両者はちがう、とほとんどの人は考えているが、実はどちらも同じなのである。民間は信頼できる商品をつくらなければ利益は出ないし、税金を払ってくれる国民・市民がいなければ国も行政も成り立たず、消滅してしまうしかないのである。
岡垣町の議会を傍聴すればわかるように、議案提出権は議員、町長、各課の課長にあり、評決をとってもすべては賛成多数で通ってしまうようになっている。議員の質問も通ることが前提であり、その施設にはトイレを何箇所設けますか?くらいで、肝心の費用対効果はどれくらいですか?などの質問は一切でないのである。それであれば、最初からこの仕事はいくらの予算で、どれくらいの期間がかかり、どんな効果がありますか?という案件で民間会社に入札をしたほうが、経費もすくなくてすむし、明確になるのである。だから、建設課、水道課などか可能な部署から民営化に取組むべきではないだろうか?
NHkが、集金人の個人委託契約から不動産業者などの法人に業務を委託して、数百億円の利益を出した前例もあるのである。NHKの集金人は長い目で見れば、使い捨ての立場であったが、職員に近い待遇を得ていたのでもあった。わたしはかつて集金人をしていたので、減収になってしまったが、国民・市民の立場にたてば行政の民営化は、やるべきである。役場の職員も派遣で入っている者が増えているのである。
今日のニュースで、長野県のスーパー・イズミが店舗の一部を市に無償提供し、集客効果と行政支援に乗り出す、と出ていた。わたしは大手スーパーでカートの整理のバイトをしていて、常々、考えていた。そこはモール式の大きな店で日に、二、三千人の客が入り、賑わっている反面、閑散としている店舗が半分を占めているのである。洋服屋、本屋、靴屋、食堂、遊技場など客の姿はいつもほとんどないが営業はしている。
ここの一つのフロアに行政を入れて、町民に利用してもらえば良いな!考えていた。民間会社が老人の買い物送迎や福祉事業をやり始めた時代である。もとより、民と官はどちらも地域貢献の目的であるのだから命題では同じなのである。わたしの友達が街のスーパーで働いていたことがあって、いつもこの街ではどのスーパーが伸びるか?を議論していた。安売りなのか?サービスなのか?と喋りあったが、わたしは民間が福祉事業を始め、地域に貢献するようになれば、町民はそちらの方を選ぶ、と主張していた。
来年、この町の町会議員選挙がはじまるが、わたしは町会議員などいらない、といつも主張している。いい街にしたい、ではなく自分の生活費が欲しくて立候補するのがほとんどなのである。それなら現在の職員の仕事で間に合っているし、議員の報酬を削減するだけで一億円ちかい金が余るのである。この前の選挙でも、ある女の立候補者が言っていたように、パートの仕事をするよりはまし、なのである。
町役場をモール式のスーパーの中に入れてしまえば、便利になり、経費の削減にもなる。会議室やイベント広場を共有し、買い物ついでに行政の手続きができ、子供を遊ばせることもできる。