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朝方、寝床でうつつの状態であったころ、j部屋のガラス戸のそばに四、五人の老女が立って、寝床をのぞき込むようにしていた。その前に、自分は布団の中でめずらしく勃起していて気持ちよかったが。女の何人かは顔見知りのようであったので起き上がって声をかけようと考えたが、うつつの時によく見る幻覚であることがわかったので、眠りの世界に戻ろうと考えた。起き上がって手を伸ばせばまちがいなく女達の姿は消えるのである。女の幻覚は楽しくなる。目覚の幻覚はスリルがあるが、そのうち、お迎えが待っていることになるであろう。それも良い。
最近は、午後八時に寝て、午前八時ころにおきるようになっている。八時に株式市場が開き、値はまだつかないが売買の数がスマフォに出るので予想をするのが楽しみの一つになっている。
体調が良ければ、いつものように山の散歩を始める。山に近づいてその入口にある民家の物干し竿をのぞきこむと、必ず白いスリップがかくれるように干してある。真冬でもそこの主婦は腰まで短い下着をはいているのである。肩にかかる紐が細くてセクシーである。その姿で寝床に入っている彼女を想像するのがまた楽しい。何度か顔を見たことがあるが、普通の主婦であった。
少額投資であるが、株価の動きをほぼ一日中見、産直に出したもみ殻の売れ行き情報をスマフォで見る。
屋敷の草や木を切るのも楽しい。
最近は誰も訪れなくなったのでどこに行ってなにをしようと自由であるが、カネがないので遠出はできない。酒に酔って、小倉の船頭町あたりをブラブラしたい。二十年ほど前は週に一度くらい通い、楽しい思いをしたので、十軒ほどある店の呼び込みに声をかけてみたい。名器の女はいるかい?経験したことあるかい?などと話しかければ面白いであろう。
夕方になると、まず、酒を飲み、ツマミを家で食べる。すごく美味しい。飲みながら、スマフォでキムヨンジャの(巫山港に帰れ)を聞くと涙が出るほど感動する。それを聞きながら、夕食の準備をする。昨夜はもつ煮をつくってみたがこんなに美味しいとは知らなかった。ネギは自宅でさいばいしたもになので、自分の人糞をかけているが汚くは思わなくなった。
さて、今晩は何を食べようか?明日、明後日とバイトのない日なので自由である。バイトは社会参加をすることなので楽しいが、バイトを終えれば自由になれる楽しさも含んでいるのでまた楽しいのだ。
年の暮れを迎えようというのに、わたしに庭には冬をこす草がだいぶ残っている。草刈り機でかるので早くできるが、草たちも子孫をふやすのに懸命であることが見えてくる。イノコヅチは黄色い小さな花を草地にたくさん咲かせていたが、今では花を落とし、小さなイガに変わって、運搬人を待っている。まるで小さなクリのようで棘を逆立てているが目にはつきにくい。
一時間も刈って、部屋で休んでいると作業服にイノコヅチがびっしり張り付いているのに気づく。トゲは化学繊維にはつかず、綿の生地に張り付く。考えてみるとイノコヅチは人が綿の衣服を着ることを知っているのである。動物の毛にはつくことが出来ないので、人が化学繊維しか使わなくなれば子孫を増やすことができなくなり、化学繊維につくように変わるであろう。
最初、生地に平行に張り付いていたイノコヅチは人の体の動きに合わせて直角状になり、肌をさすのである。痛いでしょう?早くわたしをとって外さなさいといつまでも痛いわよ!と迫ってくる。そこで、外して捨てると、イノコヅチの勝ちなのである。離れた場所で芽を出し、子供が育っていく。
この戦略は感染症を起こすコロナに似ているが、コロナはウイルス、つまり生物と無生物との間に位置するととらえられているが、どちらも考える力を人並みまたそれ以上に持っていることがわかる。
コロナの新種が現れて、終息を迎えるのでは考えていた人間界は大騒ぎになっている。まさに知恵比べであることがはっきりした。人間の知性と野生棒物の知性はどちらが勝つか?である・・・。人間以外の生命も必死で生きていることに気づかねばならない。
昨夜、眠っていると変な音に、目覚めた。天井裏で、誰かがピュウピユーと口笛を吹いているのであった。何度も吹き続けるのだ。一人住まいなので、怖くなったが、戸外で木枯らしが暴れまくっているのがわかった。庭のバケツや何かがすごい勢いで吹き飛ばされている。
昨日はスーパーでのカート整理のバイトをした。大雨になるとの予報があったのでバイクではなくポンコツ車で行き、予報通り大雨になり、車で濡れずぬ帰宅した。
今日から十二月に入った。木枯らしにはもう師走の予感があった。年を超えるにはやらなければならないことが多い。産直店に松竹梅の飾りを出す準備やお墓の掃除、屋敷の手入れなど日頃より忙しくなり、年明けは確定申告、車検、免許の更新などが控えている。
木枯らしに起こされた夢の中身は、あい変わらずのものであった。見知らぬ土地で道に迷い、財布がなくなっている、なつかしい友達に出会う、そんな夢を何度も見るのである。日頃の生活の不安がそのまま出ている。
木枯らしに夢も転がる一夜、であった。
昨日、大手スーパーでの買い物かごの整理のバイトを三時間やり、今日は仕事はない。ほっとした気分になり、今日は野良仕事をすることもも街に出かけることもできる。三時間拘束されたおかげで自由のありがたさがわかる。三時間の労働のために体力の保存を考え、仕事に出るまで部屋の中でじっとしているのである。
仕事前、店では障害者の仲間とも出会い、会話も交えた。ヘルストロンの講習もやっているので、電気にもかかり、馴染みになったキャッチセールスの若い女ともしゃべった。仕事がひまになると、レジの女とも初めて、しゃべった。店内や駐車場のカートをあつめ、手で押して、運んだので、体が温もった。
面白いことに気づいた。正面出入口の壁に掲示板があって、お客様のご意見欄になっている。よく読むと、いろんなことが書いてリ、時々読むようになっている。
(レジの背の高い女が台の上に肩肘ついてうわさ話をしている。仕事中にそんなことをして良いのか!)
(まことに申し訳ありません。厳重に注意しました)
と店長の言葉。
彼女は背が高いのですぐにわかり、雲の上の景色はどうですか?といつか聞いてやろうと思っていたが、投書のことは知っている?とレジの女に聞くと、知っていると言い、よく考えると一週間も店で顔を見せていないことに気づいた。気まずくて来なくなったのか?と考えると気の毒になった。
(警備員が店内を回っているが商品を見てるばかりで万引を探してはいない。弁当が半額になると待ってたように買っている)
(申し訳ありません。仕事をきちんとするように申し伝えます。半額商品はとうぜん、お客様が優先です)
店長。
警備員はいつも三名いるが、昨日は一人しかいなかった。
(駐車場でカートをガラガラ引く音がうるさい。おれに嫌がらせをしてるのか?)
店長(舗装が悪くて荒い音が出て申し訳ありません。舗装をし直します)
(買い物かごの整理の男が客室ロビーの椅子に座ってサボっている)
店長(とんでもないことをしていますね。厳重注意します)
仕事をはじめたころ、先輩から、仕事は要領よくやらないかん。ひまになったら見つからんようにそこに座って休めばいい)と言われた。
指摘されたのは自分であったのだ。
犬も歩けば棒に当たる、とはよく言ったものだが、あたった棒を集めていけば小説になるのだ。
夢の中に、居た。
大都会のごみごみしているようで整然とした町並みであった。銀天街には商店が歩道をはさみ、きれいな飾り物が賑わい、晴れ晴れした通行人が行き来している。自分はなにか探しものをしながら、不安げに歩いていた。見知らぬ街で、景色も人の顔も定かではなく、活気に誘われながら、いつも落ち着かなかった。
尿意を催して夢の中から抜け出していた。、布団から起き上がり、トイレに行った。夜中に三度はトイレにいくようになっていて、その都度、夢は中断された。
布団の中に戻ると、ゆめのつづぃきが待っていた。
自分は街に遊びに来たのではなく、新幹線に通じる沿線の駅を探していた。新幹線の切符は持っているつもりであったが、財布の中には見当たらない。何時の出発であったのかもおぼえておらず、もしかすると出発に間に合わないかもしれない。
相棒の男がいるはずであったが、見当たらない。
駅らしき建物の跨線橋がすぐそばに見えた。駅に着けば、そこから先は東京駅まで電車が運んでくれる。
また、尿意を催し、布団から起き上がろうかどうしようかと考え始めた。
相棒の男はどこに消えたかわからない。あまり相手にできるる男ではなかったので同行させるべきではなかった。自分は生まれ故郷に一日かかって帰郷するのである。
思い切ってトイレに行き、小用を済ませた。
五十年まえ、東京で生活していた頃、新幹線の切符を持っていながら、出発時間に遅れて乗らなかったことがあった。また、夢の中に戻っていた、駅を見つけ、ホームに立っていたがなにか変であった。線路に乗用車が走り、人も歩いていた。こんな状態で電車は走れるのだろうか?
そんな事を考えながら目覚めると、窓の外は明るみ、朝が来ていた。
寝床の中からそばの山が見えるではないか・・・。生まれ故郷の山である。
自分は四十年前に、すでに生まれ故郷に帰っていたのであった。
夢は好きである。もう一つの世界であるが、またもとの現実に戻ってしまう。
四、五歳の頃の夢はちがっていた。当時は隣近所の友達の家にしょっちゅう遊びに行き、かくれんぼうやお医者さんごっこをしていた。友達の女児の尻にしがみついていた記憶がある。
ある夜、布団の中で眠っていていて思い出し、その子の家に行こうとした。すると体が起き上がり、そこに行っているのであった。女の子を押入れの中に見つけ、しっかりと抱きついていた。
いい気分で目覚めると、パンツがぐっしょり濡れていた。女の子の家に行き、抱いたことが体験として残っていた。
夢の中で生き、自分の意志で動くことが出来たら、それはもう一つの人生である。現実と夢と2つの人生を持つことが出来たらどんなにすばらしいか?と思う。だが、現実と夢は決して交われない平行宇宙だと言われているが、そのうち自分の意志で夢をあやつる日が来るかもしれない。その日はあの世に旅立つ日であろうが・・・、その日を待っているのである。
チップ農法に失敗し、枝チップ(木の枝を粉砕したもの)は玄関そばに積み上げられたままになっていた。業者が二トントラックいっぱいにして運んでくれたものなので、量が多く、門扉を塞いでいたが、処理する時間がなくて放置していた。二年間もその状態にしていたので枝チップは腐敗し、堆肥になりはじめていた。そこでその堆肥を玉ねぎを植えた畑に入れることにした。スコップですくってバケツに入れ、運び始めると意外なものが堆肥の中から現われた。カブトムシの幼虫であった。
初めて見る幼虫は奇怪な姿で、手の親指ほどにも大きく、体を曲げてじっとしていたが、小さな脚をもじもじとうごめかし、叩き起こされたことに怒っているようであった。ここ数年、この田舎町でカブトムシやクワガタムシなど見たこともなく住んでいることも知らなかったし、わたしの家に訪れていることも知らなかったのであった。廃材の中からカミキリムシやカブトムシの幼虫が出てくることは知っていたがまさか我が家から出るとは思いもしなかった。
夜、わたしが眠っている間に親虫たちは交尾して、卵を産み付けていったのだろう!
堆肥をほったのはまだ五十分の一くらいで、十匹も出てきたので数百匹がまだ眠っているに違いなかった。掘り出した幼虫は玉ねぎ畑の堆肥の中に埋め、目印に小さな竹棒を立てていった。さて、この幼虫をどうしようか?と考えた。小学校に持っていって子どもたちにプレゼントするのが一番いい。と思った。
来年、玉ねぎが実をつけて大きくなり、収穫する頃、カブトムシも蛹から孵化して、真夜中になるとそばの金比羅山に向かって飛び立って行くに違いない。果報は寝て待て、である。
(贖い)という小説をかきあげて、自費出版系の出版社に送ったところ、最後までブレずによく書き上げられている、との評をもらい、180万円で出版しませんか?という誘いがあった。自費出版をする気はないので、返事はしなかったが、評の中で、欲を言えば人物の造形が弱い、とあり、その言葉が強く印象に残り、書いた作品を思い起こすと、やはり弱い、と思った。
自分の思い込みで、主人公は鏡のようなもので登場人物や社会を公平に映し出さなければならない、との先入観を持っていたので、泥臭い性格の部分はきれいに洗って造形しようとして書いたのであった。そこが、人物の造形に弱いと指摘されたのだと理解した。
二人の個性的な男がわたしのそばにいる。一人は三十年間も精神病院の閉鎖病棟に入っており、もう一人は時々、わたしの畑に父親といっしょに耕しにくる。昨日は約束しながら来ず、電話もかけてこなかた。ぐうぜん、スーパーで会い、問うと、父親の具合が悪かったから来れなかったすみません、とわびた。電話でも何故入れないか?おれは待っていた、といったが、彼が約束を守らなかったことは以前にも二度はあった。
なぜこんなことを書くか?というと、閉鎖病棟の男と彼が非常に似ているからである。二人ともどんな仕事をやっても長続きせず、友達も女もいない、自力では生きてはいない、他人への批判や攻撃は鋭くするし、暴力も振るう、趣味もない、生きても意味のない男と言うべきだろうが、わたしは自分を振り返りながら、ちがう視点を持っている。こんな人物こそ小説の中に登場させて存在感をしめすべきではないか?ということである。
そんなことを考えながら、もう一度、(贖い)に取り組みたいと思う。小説の中には、閉鎖病棟の男のかつての女が登場し、その女と作者であるわたしとの絡みがあり、凄まじい?ラストに進むからである。このホームページに掲載することも考えている。
傑作小説の主人公や登場人物はその時代を現しているから、上記の二人の男だって今の時代を象徴しているのである。
書き始めた小説(醜い花は、いない)が、前進できず、迷っていた。もとより、才能などはなく、好きで書いてただけであるが、文学賞の一次予選にも落ちていたし、書く意欲も衰えてきているのがわかる。なぜなのか?と考えると、あることがわかった。それは、小説らしく書こうとする姿勢が原因だった。いろんな名作を読みながら、真似をしようとしていたのであった。
(レア仲間)というこのホームページにしてもそうであろう。ちっともレアじゃなと言われたこともあった。まだ自分という男の変態ぶりを書ききってはいないし、それはそこに(希少価値)が求められているからである。だから容易に踏み込めないのである。
そこで、梅崎春生の(贋の季節)という小説を思い出した。これまで相当な数の小説を読みながら、強く印象に残っている作品である。読み返してみると、さすが小説家だな!と感動するところを改めて発見した。戦争前のある曲芸団(サーカス一座)が舞台になっている。いろんな曲芸師をかかえて、旅から旅へと興行をして回るが、客の入りは悪く、倒産寸前である。そこには芸人として力持ちの男や猿や馬やオットセイなどがいるがどれとして冴えないものばかりであった。主人公の男が、老いた猿に洋服を着せてみては受けるのではないか?と提案する。老いた猿はなんの芸もできず、目の前のハエをつかもうとしたり頭をかいたりするばかりでムダメシを食っていた。洋服屋を呼んで、背広を団長が注文し、金貸しから借金をするがびっくりするような額であった。ところが、洋服屋が出来上がった背広を猿に着せると、猿は驚いて、逃走するという結末である。
人間なんて洋服を着た猿にしかすぎない、という作者の訴えがわかりすぎるほどわかる。これが作品なのである。(醜い花は、いない)は奇形顔の男が、その顔は生まれつきのものだと、からかわれ、友達が言ったその老婆を障害者の会から追放し、また、奇形顔の男はある女から救われる、という筋立てであるがこれを変えようと考えた。ハッピイエンドを狙ってはいけない。奇形顔の男は見世物小屋に引き取られ、いろんな出来事に会いながら、奇形とは何なのか?という結末に持っていくべきだと思い直した。
明後日は衆議院選挙の投票日であるが、だれに投票して良いのかわからず、投票日だということも忘れていた。大学時代に左翼にかぶれ、政権に反発ばかりしていたが、中国や北朝鮮の実態を知るにつけ、共産主義思想は失敗であったと認識せざるをえなくなった。歴史をみれば、いつの時代でも、時の政権は底辺にいた者から権力を奪われ、政権をとった者はまた奪われるという循環を繰り返しているに過ぎないのである。
わたしはある左翼政党の党員になったこともあるが、その上層部が党費を使って贅沢三昧の生活をしていることを知り、懐疑的になった。ある時、学習会で、この政党はある宗教団体とたがいに批判をしあわないという協定を結んでいるのではないか?と発言したところ、そんなこと言うたらいかん!と支部長から怒鳴られた。その出来事をこのブログの欄に書いたところ、削除を命じられた。岡垣町支部長と書いているのが個人の特定に当たるというのでとりあえず削除した。そこで、言論の自由のない団体には興味がないと叫んで、脱退したのであった。ある日、古い党員が、あなたの言ったとおりその宗教団体とはたがいに批判はしないという協定を結んでいると教えてくれた。
結局は左翼とか右翼とかの問題ではない。どちらの政党も同じように貧しいものを助け、豊かな社会を目指してしているのであるが、やり方が異なるのである。自民党は大企業のおかげで豊かな生活ができると言い、左翼は貧しい者たちが頑張るから大企業は成り立ってるといい、どちらも一方的で違う視点から見ることができない。本来は、力のある大人が子供を助け、成長したこどもが老人を助け、力のある健常者が要介護老人や障害者を助け、金持ちが貧困者を助けるなど、相互扶助を循環させれば活性化するのである。循環こそエネルギーの根源なのである。自然界が循環してエネルギーを産んでいるように人間界もそれを見本にすれば良いのである。 今の民主主義社会はある程度、そのようになっているが、大企業と金持ちが自民党に政治献金をし、また票を入れているために大企業の内部留保金は銀行に眠り、個人のタンス預金も眠っている。その金が死んでいる。そのことが格差を生み、いくら頑張っても貧乏から這い上がれない歪みができ、社会を沈滞化させている。
自民党は大企業から票をとることばかり考えないで、国民全般から普遍的な票を取れることを考えなければいびつな社会は変わりはしない。政権の別な派閥は力を持ち、ちがう政策を提案し、左翼政党も与党の批判ばかりせずに、政策への提案をして、自分たちならこんな社会にできると訴えなければならない。右翼も左翼も自己改革を求められているのである。
(中村さん、あなたは今こうして集金の仕事をしているけど、もう一つの宇宙では附属中学校に通っていたあの頃の世界がそのまま続いているんですよ。その世界とはけっして交われない並行宇宙ですけどね)
三十年前、kさんの家にNHKの集金のために通っていた頃、彼のつぶやいた言葉が頭の中にはっきり残っている。あれ以来、彼の言う多次元宇宙が少しずつわかってきた。親と担任教師のすすめで地元の中学校に行かず、電車で二時間もかかって通った小倉の附属中学校はわたしの人生を大きく変え、劣等者の烙印を押し、陰気な性格を強めた。無遅刻無欠席で送った生活であったが成績は130人中、100番くらいであった。通学電車の中では英単語のカードを必死でめくり、歴史の年号をおぼえることに努めたのに・・。結果的に評判の良くない大学に入り、肉体労働を転々としながら、帰郷して集金人になり、なんとか妻子を養ったが、今はアルバイトと年金で食いつないでいる。
それをどのように評価するかは自分次第であるが、孤立無援の生活になると、やはり、あの頃と同じく負け犬であったと思わざるを得ない。が、自分には考える力が与えられたと思う。四、五年前、福岡伸一さんの(動的平衡)という本を読んで感動したのである。動的平衡とは、ウイキペディアによると、物理学・科学などにおいて、互いに逆向きの過程が同じ速度で進行することにより、系全体としては時間変化せず平衡に達している状態を言う。ミクロにみると常に変化しているがマクロに見ると変化しない状態である、と載っている。
Kさんが言ったように、附属中学校に通って真面目に勉強していた自分であるが六十年後も同じように真面目にアルバイトをしながら食いつないでいるのである。優秀であるとささやかれていたわたしが今では精米所に通ってもみ殻を袋に詰め、売っているのである。それが平行して同時に流れているとすれば面白い。違う世界を持っていることは世界を広げるのである。
時々、附属中学校に通っていたころの自分の姿を思い出すことがある。グレーの制服で通勤電車に乗り込むと大人の中で目立ち、人目を引いたのであった。今、それがわたしの姿であったと知る人はほとんどいないし、わたしはその頃の自分と現実的に対面することはできない。パラレルワールド(平行宇宙)なのであるが、そこで生活をつづけていることは本当であろう。朝の目覚め時に人の姿を見ることがるが、それは幻覚ではないのかもしれない。
海にいってみると、浜辺に空き缶やゴミが浮いている。波に遊ばれている。上がったり下がったりして、いつまでも同じことを繰り返しているが、場所はいつも同じ所であり、位相は変わらない。ミクロでみると変化しているように見えるがマクロで見ると変わりはせず、いつも同じ動作なのである。お釈迦さまの手のひらで踊っているのである。
これは(無常)というものであろう。神や仏は科学が生まれる前から真実を捉えていたが、今回のコロナ事変に意味づけを与えきらない限り、力を取り戻すことはできないであろう。