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菅氏が総理を辞め、岸田氏に変わったが、世間は新しい時代を迎えた気がしない。逆に株は四日間も下がり続け、海外の投資家は評価をしなかったし、国内もそうであった。菅氏の支持率は総理になったころは高かったが、やめる頃にはその半分にも満たなかった。コロナ対策に対してはマスコミが先導して彼を叩き、退陣に追いやった。
世間の評価では、彼は携帯電話の料金を三分の一にまで下げてくれ、次はNHKの受信料も下げてくれると期待していたのに残念だという意見が聞かれ、わたしもそう思った。菅氏がわたしとほぼ同じ歳で大学も同じであったということもあるが、彼は時代が前代未聞のコロナに襲われ、それを防ぐことだけでも精一杯だったとおもう。その点、岸田氏はコロナがひとまず収まった時にあらわれ、難関が去った頃であった。
今回の事態で感じるのは支持率も含めて数字へ考え方である。現代生活はすべて数字によってつくられ、成り立っているので数字をおろそかにしたり否定するj事はできないが、われわれは信仰にまで高めてしまっていることに気づかねばならない。小学校に入った頃から、数字への信仰を叩き込まれ、死ぬまで支配されているのではないか?ほぼ、神にも近い存在である。イエスであっても否定されることはあるのに、数字はなぜ否定されないのか?否定すれば現在の生活、生き方をすべて否定しなければならなくなり、それは体制の崩壊を意味することになる。思えば、数字は神以上の権威を持ってしまっているのである。
海外のニュースで、ある国の首相が金を出して支持率を操作させ逮捕されたことがあった。本来、厳正中立な手法で測定しているのであれば操作はできないはずである。
一つの例を出してみよう。日本はGNPは高かったのに、自殺率も高かったことがあり、現在、GNPはだいぶ下がったのに自殺率はあいかわらず、高い。GNPは国民の経済的豊かさを示して国民の幸福度を現しているはずなのに、なぜ、自殺率が高いのか?その矛盾を数字で説明することはできないのである。ここに数字の弱点がある。それは数字はある一面から見たものにしか過ぎないということでなのある。
こうなると数字によって世の中を動かすことができるのである。総理を追い落とそうとおもえば、彼の政治に対して不利になる数字だけを持ち出せば良い。今や、数字はりっぱな権力を持ってしまった。
町の仕事で、高齢者への弁当配りをはじめておよそ一年になるが、彼らの実生活に触れることができるし、自分の立ってる場所も見えてくる。およそ16軒を一時間半で回っている。運転手の行く先に従って回るので楽だし、気軽である。
配食先の老人たちとも顔なじみになり、毎週、顔を合わせている。昨日の未亡人は、いつも別れ際に、玄関に立って、いつまでも手をふってくれるきれいな人である。ただ、お金(300円)を出すときに手提げ袋をかきまわして財布を探し出し、その中から小銭入れを取り出し、百円玉がないので十円玉ですいませんと言って、出してくれる。女の人の服には大きなポケットがないので面倒だな、と考えたりしたが、昨日は家にどろぼうがいつも入ってお金がないのよ、と言って、十円玉をたくさん出し始めた。家の向かいに住んでいる老婆が服や靴や金をいつも盗んでいく、と言い、妄想ではないか?とかんがえながら、一人住まいの寂しさを考えた。次はいつも玄関先にベンツを停めている主人が、ご苦労さまです、と何度も言いながら百円玉を三枚、出した。高齢の妻の食事を作るのが面倒で、本人はベンツに乗って美味しいものを食べているようである。次は主人が奥の部屋で寝ているので、お弁当です!上がります、大声を出して、中に入り、玄関そばの部屋においてある三百円を手に取り、弁当を置いて、家を出た。次は配達先が変わっていて、いつもの老人は入院していたが、前回、おれは病院に入るのは大嫌いだ!と言いながら、歩けず玄関先で尻もちをついていた。それからどうなったかわからない。最後は、遠く離れた農家の老婆で、耳が聴こえないので、声をかけながら上がり、部屋の中を探して、食堂間にいるのを発見して、変えをかけ、弁当を食卓の上に置こうとすると、冷蔵庫を指差した。耳を近づけると、保冷剤を上に乗せてくれ、と言っているのがわかり、そのとおりにした。この人の様子を見てくれ、と職員に言われていたので、そのことを報告したが、そのうち、自分にその順番がまわってくることを知り、何年先までこの人と出会えるか?と考えたりした。
四十年ほど前、アルバイトで、ある宗教団体の信者たちを本部に送迎していた。その宗教に関心を持っていたわけではないが、講演を聞いていた時、ある言葉が印象に残り、今でも思い出すことがある。人間はタンパク質を食べなければ生きれない、というものであったが、他の生物を殺して食べなければ生きていけないことだとわかった。
高校時代まで親や親類、近所の者たちの考え方にイヤケがさしていた。家柄や学歴、職業、出自などで人を判断し、因習なども絡んで腐った水のようなものに見えていた。そこで家を出、東京に行って大学に入り、卒業してもアルバイトをしながら、二十年間も遊学していたようなものであった。何をやってもダメで良い女も見つからず、負け犬になって帰郷した。NHKの集金業務をして、退職し、老後を迎えた今である。畑を耕し、アルバイトをしながらなんとか食いつないでいる。自然の中に戻ったわけだが、川から魚は消え、魚釣りも魚とりもできず、田んぼにはアメンボもミズスマシもザリガニもおらず、草の一本も生えていない。これは私達が殺したのである。だが、スーパーで米を買い、新米を食べるときれいな白さで食べるのがもったいないくらい美味しい。
これは農薬のせいなのである。稲刈りも半日くらいで終えている。
殺さなければ生きていけない人間、なのである。
今年も自信を持って応募した小説が、第一次予選で落ちた。若い頃は、二度ほど第一次予選を通過したことがあったが、近頃は老いたせいもあって、ダメである。だが文章を書きながら、時代が読めたことは一つの収穫にもなった。
それは現代を取り巻く社会が見えた、ということでもある。暴力、戦争、差別は絶対に肯定してはいけないし、肯定するものは社会から追放されるということであり、芸術や文化もその権力からを免れられないということである。だが、芸術や文化はそれらの社会概念とは異なる世界のものであり、ある時はそれらと戦ったのである。本来、それらが良いこととか悪いこととか言う基準は本来、もっていないところで成立していたのである。これが平成、令和の時代になって完全に崩されたことがわかった。
自費出版系の出版社に文学賞を応募したら、当選はしなかったが、180万円出せば出版したいという話があり、その書類をよく読むと、不適切表現があれば削除させてもらいます、という文面があった。これはプロの作家に対しても了解をとっているはずである。
今、わたしが取り組んでいる作品は、奇形顔を持つ男のドラマであるが、そこで作者が主人公に良い結末を迎えさせてあげたいと考えたり、唇が裂け神社の狛犬のような顔、と書くことに不適切表現として戸惑うのであれば書く資格はないと思う。
近頃、問題作や話題作はすっかり消えてしまった。当然である。文学や芸術は牙を抜かれてしまった。あとは衰退し、死滅するしか無い。このことに何人かの作家は抵抗したが、大学の講師や食いぶちの職を与えられて抵抗力を失ってしまった。反骨者はいなくなった。
小説はこれまで社会に大きな影響を与えてきたがもうその役割を終えたのかもしれない。社会概念が検閲になり、出版社もそれを先導する役目を持ってしまい、戦後の抵抗精神をあれだけ賛美していたくせにこの(転向)に気づかず、問題提起もしなくなった。
本当の作品が出るとすれば、既成概念への(抵抗精神)を持つ者に違いないし、それが自分であればこれまでの不遇が報われるというものである。
五十年まえ、職業訓練校に通っていた時、自動車整備学科で(負圧)というものを学んだ。キャブレータの構造を学んでいる時であったが、その不思議な構造に生命に似た役割を知り、驚いた。ドイツ人の考え出した構造であったが、車が坂道を登るときには負圧の原理を利用して混合気を濃くするのである。通常の走行では薄くし、効率的な仕組みであった。
正圧と負圧というものがあり、正圧は流れ込むエネルギーを持ち、負圧は逆に引き込むエネルギーを持つのである。風が吹く場合、高気圧から低気圧に流れるのと同じ原理であり、生命体の場合、♂と♀の性器の構造を考えればその役割は具体的にわかってくる。同時に、男女平等、差別はいけないと世間はそれを社会システムの根底にしているが、差別ではなく区別であるという捉え方が出てこないと社会はぎくしゃくしてしまう。
女を見る時、年齢、化粧、服装などいろんな点を見るが、そのときには一般的な価値基準である。ところが現実に恋愛をして、どこにひかれたのか?と振り返ると、一般的な視点が基準になっていない場合が多い。一般的な美の基準とは異なって、醜い、老いているなどが負圧の作用を起こしている場合がある。八十歳に近い老女がいる。貧乏で病気がちで、顔にシワが多く、無口で愛想はないがわたしは車での送迎を重ねながら、背後から抱きしめてやりたい気持ちになる時がある。杖を突きながら車に乗るので抱きかかえてやろときもある。そのときに強い負圧に引き込まれそうになる。
これはある意味で色気でもあるし、現代の女性は虚飾にとらわれて本当の美を忘れていると言わざるを得ない。
私の家のそばは遊歩道になっていて、散歩者がよく歩いている。二、三年前、路面をこするゴロゴロ音でT先生の散歩だとわかり、話を交えた。おれはもう95歳やけね、死ぬのを待っとる、と言って去っていった。中学校の体育の先生をしていたが、兵隊から帰ったばかりで、生徒を叩くことで有名であり、元気いっぱいの男で、その人の妻と私の母が従姉妹であった。老いて元気を失い、もうすぐ老人ホームにはいるとも言い、その言葉を残して消えていった。ある時は、カラオケボックスの階段に独り腰をかけていたこともあった。淋しげであった。
わたしの右の奥歯は歯槽膿漏にかかっていて、明後日、抜くことになっている。はじめての抜歯なので経験者にきくと、抜いた後、コップ一杯の出血をしたと聞いてゾッとしたが、もう歯が腐っていてぬくしかない。一本だけでは済まないかもしれない。
自分も死に近づいているのがわかる。
コロナで大勢の人が苦しみ、死んでいった。それは食物連鎖の構造の中で人間に順番が回ってきたのである。増えすぎた種は減らされるしか無い。人間はこれまで何万種類もの生物を絶滅させていったのにその反省がない、人間中心主義である。田んぼにアメンボもゲンゴロウもジャンボタニシもいなくなったことにほとんどの人は気づかない。
そろそろそんな観点からコロナを見、農薬を使わない農業、ビニールや化学薬品を使わない生活を始め、コロナ後の新しい生き方をすべきである。
人間たちがワクチンの接種をはじめ、全世界の人口の半数ほどに増やした頃、コロナは戦略を変えた。そのままの体制では感染者を増やし、人体の体内でRNA(彼らにとっての人口)を増やせないと考え、ワクチンの効果より感染力の強い種をつくり、対抗し始めたことはニュースでも見られることである。だが、そこには重症者、死者をへらすという戦法が見える。彼らにとって、生かさぬよう殺さぬよう、というのが狙いであるから死者が増えすぎては彼らは餌をうしなうことになるのである。
最近、わたしはスマフォで猫の動画を見ることが趣味になった。母猫を起こそうとする子猫や食べ物をねだる猫やネコジャラに興奮して飛びかかろうとする猫など飽きない動画に自分で驚いている。別に珍しい光景ではないが、動画にされるとすごく印象的になる。動物が人間以上に人間的に見えるし、動物に劣る人間の姿もニュースで発見したりして、人間の生き方を動物たちに学ばされることが多い。
そんな観点からコロナを眺めると、コロナに振り回されるのではない新しい光景や考えが生まれてきそうである。
扇風機の風から秋風へ、生まれ変わるこの季節のはずなのに、ひぐらしのなき音がまったく聞こえてこない。毎年、まちがいなく、カナカナと鳴いて寂しい余韻を送り届けてくれたセミはどこに行ったのか?不思議である。
直近のことなので振り返るという言葉は適当でないかもしれないが、(今年の夏)ほど、中身の濃い季節はなかった。うなじに垂れる脂汗、しつこい蚊の攻撃、いつのまにか消えてる蚊取り線香、コロナ感染者の悪の数字、草刈り、夏バテ、貧乏たれ、その挙げ句に今日はバイクの自損事故を起こした。バイクを助走しながら家を出、停めて、門扉を閉めるつもりであった。それからがわからなかった。停めてるはずのバイクが動いていて、体ごと石垣にぶつかりそうになっていた。慌てて、エンジンを切ってバイクを止めたから、大事に至らなかった。腕と足に六箇所ほどのかすり傷ですんだが、そばに人や車がいれば大事故になっていた。
それからシルバーの弁当配達のバイトに行った。一時間ほど、後部席で、運転手の男としゃべり、配達をし彼にクリをやると、栗ご飯を作ろう、と言って喜んだ。くりは自分のうちの庭で採れたものであった。
バイク事故はいやな余韻を残した。近頃は車やバイクを運転する時、事故を起こすのではないか?と不安になる。左目の半分は見えず、頭や腰がふらふらしていて、倒れるのではないか?といつも不安である。
まさに、陽が落ちる別れ惜しむかカナカナや、である。
遠く離れた老男と、長電話で話をしていると、コロナで騒いでいるときにオリンピックをするなんてわからないし、終わったと思ったらパラリンピックも開かれて、大雨の被害が収まらないうちに、障害者たちが汗水流して競争している、あるいはさせられている、としゃべり、おれにはこの時代をどんなふうに解釈していいのかまったくわからない、と、言葉を置いた。わたしは電話を置いて、その言葉が自分の気持とまったくおなじであることに気づいた。
その通りである。何という時代になったのか?歴史書を読み、生物学、物理化学、生命哲学などいろんな本を読んでも、なにも教えてくれず、コロナの侵攻に身を任せ、逃げる場所もなく一人ぼっちであることに気づくのである。逃げる場所があるとすれば人っ子ひとり住まない孤島であるかもしれない。これまでの歴史を振り返っても、天然痘、ペスト、インフルエンザなどの疫病禍はあったが必ずどこかに逃げ場所があって一時的に避難し、またもとの生活に戻れたのであるが、今回は逃げ場所がない、戻るところがないという不安がコロナという怪物以上に私達を苦しめるのである。
そして、なにも信じるものがない、その上、自分が丸裸にされたことに気づき始め、呆然とするのである。近代化によって物質的快楽、飽食、利便性など限りない享楽を得たが、それによって失った信仰、信頼、共生感、共同体などがもう戻ってもないことをコロナによって思い知らされたのである。
あるいはもしかするとコロナ事変は予告されたものであって、小説(予告された殺人の記録)のようにその記録の跡をたどっているのではあるまいか?その小説は実際に起った事件をジャーナリストであったガルシア・マルケスが綿密な取材をして書き上げた作品で、ノンフィクションノベルと呼ばれるものである。南米の熱気、興奮、苛立たしさ、風俗風習、血生臭さが混交したモザイク調の世界である。その前に、トルーマン・カポーティという米国作家が(冷血)というノンフィクションノベルを書いて、評判になっていた。
確かに、聖書の中の(ノアの洪水)や(ソドムとゴモラ)に見られるように2千年前から人類崩壊は絶えず予言されていたし、近年ではノストラダムスの予言もあったが、どれ一つとして決定的なものはなかったので、もしかするとコロナこそ決定的なものかもしれないと不安を募らせるのである。私達はそして時代が不安神経症になってしまったが、苦しみの先に光明は待っているのである。
自称小説家としてこれまでたくさんの小説を読んできたが、ガルシア・マルケスの(予告された殺人の記録)はなんとも言い難い衝撃を与えてくれ、今でもその余韻は尾をひいている。同時に今回のコロナ事変とリンクして、ますます凄みを帯びてきている。
今回のコロナ事変は百年に一度の惨事という人もいるが、それだけの衝撃を私達に与えていることはまちがいないし、同時にこれだけ、人類の知性の劣等をあぶりだした事例も少ないのである。感染者数が毎日公表されていて、全国的に一日に2万人に迫る勢いであるが、その数値は一週間、二週間前のものであって同時のものではないことに気づくべきである。感染してすぐに症状が出るわけではないし、すぐに検査をするわけではないし、皆が検査をするわけでもない。それに治って退院した者の数もふくまれていない。つまり、実態の数はもっと多いのであろうし、あるいは減っているのである。
過去の数値なのである。それに対してベット数を増やす、あるいは自宅療養を増やす、野戦病院を作るなどということは実態からかなりずれたもにになってしまうのである。後手後手の対応なのである。では、コロナ側はどんな実態を把握し、戦略を変えていくのか?彼らは後手後手ではなく、同時の感染者数を把握し、臨界数値(人類絶滅、勢力低下)をテレパシーでつかみ、デルタ株以降の種を考えているのはずである。ここで数週間の時差の遅れは大きな問題をはらんでいる。つまり、人の知性の遅れ、対応のずれ、ということである。
例えばライオンが狩りをする場合の話である。彼らは事前に攻撃役、セ子役、監視役などの役割分担をどのように指示し決めるのかわからないが、ともかく決めておいて、狩りをするが、獲物の動きも的確に捉えている。それは予想もあるが、リアルタイムのもので、今、鹿はヤブに隠れたなどの情報をテレパシーで送り、ヤブに先囘りしているのである。こんな場合、数秒前の情報なんてなんの役にもたちはしない。逆にじゃまになるだけである。ここに人間の知性と生物の本能の決定的な違いがある。
最初の話に戻ろう。
(自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた)これが(予告された殺人の記録)の書き出しである。なんとも奇妙な表現である。サンティアゴはある女をレイプしたためにその兄弟から殺されるのであるが、何ヶ月も前から兄弟は船に乗ってサンティアゴを探しに出かけ、今、どこに向かった、などどと噂されながら、ついに祭りの場、そのさなかにめった殺しにされるのである。サンティアゴは自分が殺される日を知っていたのか?それはわからないが、逃げようとはせず、踊りに熱狂してる最中に殺されてしまう。普通の人間であれば数ヶ月先のことがわかるなんてありえない。
こんな小説にお目にかかることはないであろうが、、小説の作者には(神の視点)が与えられ、どんなことを書く自由も与えられているからこんな書き方ができるのである。そこに作者の天才ぶりを感じる。未来は読めないはずなのに読んでいる書き方である。
さて、一年後のコロナ情勢はどうなっているであろうか?戦々恐々として、待つしかないし、わたしは自分がそして世界がどうなっているかわかりはしない。