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山の道を毎日歩いています。往復で1時間くらいですが、すっかり嵌ってしまいました。歩いた後の爽快感は素晴らしく体に元気がでているのがわかります。以前は海岸線をサイクリングして良い気分になっていましたが、森にはそれとは違う雰囲気があり、(生命系)という本を読んでその原因がわかりました。ヒノキや竹、マムシ草、ミョウガ、ヤツデなどの植物に囲まれ、マイマイカブリ、ゴミムシ、カエル、鳥、イノシシなどの多様な生物がわたしに時間と空間の広がりと連鎖を伝えてくれるのです。わたしは昔、カエルでもあったのです。地球上の物質から生命が産まれた時、それは一粒か一つのDNAだったのです。それが分岐し系統発生していき、海藻、魚、イモリ、昆虫、植物、哺乳類などに代わり、進化していったのです。太古時代、古生代、中生代などのはるか昔の世界で系統をともにしていた身内たちに囲まれ、わたしという生命が彼らと交感しながら大宴会を開いているのです。言語というツールに頼らず体の元素を反応させながら挨拶をし、(ぼくはまだゴミムシのままだけど君は人間に進化したのだね。楽しいかね?ぼくはゴミ漁りの毎日だけど食べ物にも不自由しないし、空気の良い森の中で一生過ごせて幸福だよ)という言葉が聞こえてきたり、(近頃は人間がまく除草剤でカタツムリが減って困ってるんだ)というマイマイカブリの言葉が聞こえてきたりしてにぎやかです。わたしの生命は昔とかれらの連鎖の線でつながっており、山の中でそびえ立っているヒノキとも親戚なのです。まわりの生き物達すべてがわたしの親戚であるから孤独が癒され、楽しい気分になり宴会から帰宅したような気分になるのです。
(自然は皆、兄弟だから楽しい!)
一昨日は岡田君も言ったように貴重な体験をしました。自然農法をやってる人がいるから田植えの手伝いをしないか、と誘われて岡田君といっしょに岡垣町の原に行きました。波津の海岸に近いところで、そばに湯川山があり、のどかな田園地帯でした。
Qさん夫婦と手伝いの男6人が集まり、長靴をはいて田んぼの中に入りました。小学生の頃、自宅の田んぼの田植えをしたことがありましたが、60年ぶりに入る田んぼでした。昔は素足で入っていたのですが長靴で入るとズボッた泥から足が抜け出ず、ブッ、ブッとオナラをするような音をあちこちで出しながら、皆、苗を植えていきました。ジャンボタニシが田んぼの中にいました。その赤い卵があぜ道に産みつけられていたり、交尾したシオカラトンボが飛んでいたり、田を囲む溝には山水が流れていて、わたしの中から幼少時の気持ちがよみがえってこました。午前9時から午後2時までで一反の広さを植え終わりました。腰が痛くなりましたが、昼食はお弁当を皆で広げて食べ、Oさんの山で取れた大きなビワを食べ、談笑しました。ビワは肥料もやらないのに普通のものの2倍はあり甘味もすごく良いのです。こあたりはビワの名産地ですが、専業者に負けないものでした。
昨年は田んぼに水を入れず、自然農法にしたがって固い土に穴を開け一本一本を植えていき、一人で一ヶ月もかかったとOさんは言っていました。それにまわりの営農者たちは殺虫剤、除草剤をまけ、と言いますが彼は笑って彼のやりかたを通しています。
水をいれたままの田んぼが上にあるというので行ってみました。昔懐かしい田んぼがありました。薄緑色の藻が水面に張り、小さいメダカがたくさん泳いでいました。その上にレンコン畑があり、まだスイレンの花は咲いていませんでしたが、びっくりするような水生動物を見つけました。アメンボ、カワエビ、アカハラ、タイコウウチなど、今ではこの田舎でも姿を消したもの達が動き回っていたのです。
Oさんは言いました。まわりの田んぼが殺虫剤や除草剤をまいているのでその水が自分の田んぼに入らないようにせき止め、かれらが散布を止めたころ、水を入れると。(真理はいつも異端の側にある)ようです。彼の親戚に町会議員の議長がいますが、開発賛成派であちこちの地面をコンクリートで埋め、山や田んぼを壊しています。こんな中でOさんが笑顔を絶やさず、自然を護っている姿にはただ敬服するだけです。
スポーツ新聞に次のような記事が載っていました。
ある過疎地域に暴力団関係者が住民井移動をし、投票権を得て、彼らの中から町長を出そうとしている。国からの補助金も自由に使えるし、上納金(税金)だって多い。このままだと暴力団員の町長が出現するかもしれない、と言う。関係者というのは構成員、準構成員、関係者だけでなく、彼らの力で生活保護をもらっている者が多く、大阪の釜ケ崎の住民が占められていると言う。
すごく現実性の高い内容だった。初めてその記事を読んで驚き、考えた。地方自治体の場合、投票率は30?50%くらいなので、有権者数の10?20%も取れば当選の可能性が出てくる。闇世界の人間達が増え始めてることを一般人が知れば転出する者が増え、転入者は減ってくる。ますます闇世界の人間が増え、そこは暴力団の町として知れわたるにちがいない。アメリカのある州で同性愛婚が認められ、同性愛者たちの州として知れわたったように。
わたしはこのケースを良い傾向でもある、と捕らえる。現在わたしの住む岡垣町は利権政治に支配され、乱開発による自然破壊と税金の無駄使いに侵されていますが、自然愛好の住民が集まれば緑豊かな街づくりができるということなのです。本来、地方自治体はそれぞれが個性を育てて街づくりをすべきなのですが、多数決原理にしたがって町長はじめ町会議員は開発という名のもとに町を食い物にしている。建設会社およびその関係者に仕事をやり、票をもらうと言うブローカー活動なのです。
全国の地方自治体はどこに行っても同じような町ばかりで面白みがない。ここは自然を愛する町、ここは音楽を愛する町、ここはスポーツを愛する町、ここはレトロの町、などと個性をなぜ発揮しないのか不思議でならない。それは国体自体の問題でもある。物心つく頃から、有名校と受験、偏差値に洗脳され、自分の個性など無視されるファシズム社会であれば多様性のある未来なんて考えつくはずもない。
暴力団員ですらそのようにして街づくりに励んでいるのだから、一般人だって考え付くことであり、それは国づくりの流れもなるのである。
人生を67年間も生きていると、不思議なことに出会います。男と女の関係、結合などはその最たるもので、私なりに見聞したことをもとに法則を探し出してみました。
(共同生活型)ー経済的にも性的にも二人が結びついたほうが合理的だと判断し、あまり難しいことを考えずに成り行きでいっしょになる例です。もっとも安定的で長続きしますし、このケースは意外と多いようです。
(恋愛型)?文字通り、恋愛から結婚にいたるケースで理想的のように見えますが、恋愛感情が醒めた場合を考えると少し危うい感じがします。これに(補完型)の要素が加われば安定するはずです。
(友達型)?趣味や嗜好に共通する部分が多く、時間を忘れておしゃべりやテレパシーの交感をつづけるタイプです。結婚生活というある意味でむずかしいことをつづけるには我慢や辛抱も必要だと知れば長続きします。
(補完型)?性格や嗜好が対照的なのですが、それを見越して補完しあう関係です。一方が繊細でロマンチストで、他方が図太い生活派というタイプで一つになれば安定して収まりますが夫婦喧嘩はよくします。年取っていけばおたがいに中和して落ち着いてきます。
(性欲型)?おたがいに性感や性欲が強く、体の結合度も強いのですが気持ちの上での結びつきは薄いようです。そのために性欲が減退した時には空しい時間を持て余すことになり、そこをどう乗り切るかが難点です。
(依存型)?姉さん女房、と呼ばれるタイプで、男は痩せた小男でイジイジした性格が多い。どこに魅力があるのか疑いたくなりますが、そこが魅力なのです。女の母性愛をくすぐるのでしょう、わたしがいなければこの人は生きていけない、という負圧に女は惹きつけられるのです。ノミの夫婦、と呼ばれデブ女と小さな男がくっつく場合があり、女の側は依存されているように見えながらその状態で実は依存してもいるのです。ある意味では(補完型)なのでけっこう長続きするようです。
(服従型)?封建時代や封建社会にみられる型で、女が暴力や金の力で服従させられているタイプです。女の生活を支配されているのでその体制から抜け出ない限り、自由はないがこの型は日本においても長い歴史を持っています。借金のために風俗にみずから身を売ることは現代でもあります。
(片割れ型)?これはわたしの考え出したタイプです。性格や思考法がまったく正反対で絶えず相手の存在にノイズを起こす対立状況でありながら、また絶えず別れ話を持ち出しながら結婚生活をつづけ、死ぬまで一つ屋根の下で暮らす夫婦です。もともとは一つであった細胞が何かの理由で二つに分かれたため、二つの分身が元素のように独立して結合してるの状態です。
以上、書いてみましたがまだいろんな型あると思いますので男と女の結びつきをもう一度考えてみると面白いものです。
イジメ事件はあとをたたず、イジメられて自殺する者が多い。老人でなく青少年たちが自殺するのだから、悲惨である。日本は世界一イジメが多く自殺者もそうである、というデータがあるかどうかしらないが事実だと思う。単一民族、単一言語、ほぼ単一宗教、島国だとなれば囲いの中で飼われているサル山に等しい。ここで服装が違う、歩き方がおかしい、肌の色がちがう、愛用してるものがちがうとなれば多民族国家とちがって異質性が目に付き注目されることはまちがいなく、弱者というハンディがつけば格好こ餌食になる。わたしなど普通の人と考え方が違うし激しい性格なのですぐに(変人)というレッテルが張られますが、(レア世界)に改宗(?)したせいで今では(Rare is great!)逆にすごい素晴らしいという境地です。イジめられる人は少数派ですが少数派こそ希少価値がると考えて自分の資質の中に宝石を探しましょう。
さて40年前の話になります。日産自動車座間工場で自動車組み立ての仕事をしていたわたしは契約期間を終え、相模原高等職業訓練校入学しました。失業保険の給付が継続出来るし自動車の構造を勉強も出来るからです。自動車整備かは一クラスしかなく、ほとんどは大学に入る学力や金がない少年がほとんどでしたが、中には仕事を辞めて技能を学ぶ社会人も4人ほどいました。座学と実習が始まり、学校生活にも慣れてきましたが外部世間の縮図がクラスの中に根を下ろし始めました。
サトシというデブで頭の悪い少年が目に付いていきました。人なつっこく素直な性格でしたが、試験の成績はいつも最下位で(電車マニア)で、大食いだったのです。授業は黙って聴いていましたが、それが終わると、小田急線の車掌のまねをして、(ロマンス・カー、箱根湯本行きがただいま到着いたしますのでホームにいらっしゃるの方は気をつけてください)となめらかな口調でしゃべり、電車の警笛や走行音のまねをするのです。次はSLになって、蒸気が吹く音を口から出しながら両手を持ち上げ脇のあたりで回しながらクラスの中を駆けるのです。「サトシ!ウルセー!」と誰かが言いました。サトシの高校時代の同級生がいたのでその時代の関係を引きずっていました。サトシは10時頃に弁当を食べ、昼食時間になると弁当を広げている友達を回り、(お手元をおねがいします)と言って、おかずを自分の空の弁当箱の中にいれてもらい食べて回るのです。彼の父親は一流会社の管理職で裕福な家なのにです。サトシは汚ねえ!バカ!などの罵詈雑言を浴びせながらもどこか親しまれている部分がありましたが、二学期頃から悪ガキが彼を叩き、サトシは涙を見せることがありました。
わたしは無遅刻無欠勤でした。失業保険が入る生活に満足し、自動車の構造や整備に興味をおぼえていましたので成績もトップでした。特にキャブレータの構造には驚嘆しました。坂道を上ったり加速をする時には負圧状態を作って濃い混合気を送る仕組みなど西欧人の精巧な合理的主義には感じいるばかりでした。ただ暴走族も混じったクラスの雰囲気には年齢のちがいもあって打ち解けられないものがあり、かれらもわたしにそれを感じていました。皆が整列している時に隣の生徒がいきなりぶっつかってきて、びっくりして見ると彼は隣の者に目を向けてとなりがぶっつかってきたというポーズを取るのです。最初はなにかあったんだろうと軽く考えていましたが、故意にやっていることがわかってきました。わたしはからかわれていたのです。
わたしとサトシは非常に親しく、彼をわたしのアパートに呼んでご馳走をつくってやったこともありました。わたしのグループは4人で、3人は高卒で弱弱しくイジメられそうな仲間でした。
ある日、決定的な出来事が起こりました。夏の暑い日でした。昼休みの時間で、生徒達はグランドに出て寝そべったり休んだりしていました。サトシはその中にいて、(電車ゴッコ)をしていました。シュシュポポ、と言いながら人垣の中を走り回っていました。サトシ!ウルサイ!の声にもかまわず、夢中になっていたのです。身長が180センチもありサッカーのうまいOが立ち上がりました。顔もいかつく見るからに暴走族タイプの男です。彼は、ウルセーって言ってるだろう!というと体を捻り、回し蹴りをサトシの腹にぶち込んだのです。ボーンと太鼓を叩くような音が響き、サトシは倒れました。
皆、見ているだけで、サトシに駆け寄る者はいませんでした。
サトシは倒れたままでした。
指導員(教員)たちもイジメのことは知っていましたが注意することもなく、逆に悪ガキの機嫌をとる雰囲気がありました。倒れたサトシを見て、わたしに憤りが起こりました。一撃必殺の空手の心得はある自分はOにタイマンを張るべきではないか!
ところがわたしは皆と同じように傍観するだけでした。
サトシはしばらくして立ち上がり、クラスの授業に戻っていきました。
一ヵ月後にサトシは退学しました。
その後、彼とは無縁でした。
二年後に小田急線の電車の中でサトシに会いました。友達と二人で座席に座っていて元気そうでした。自動車メーカーの現場で働いていると言いましたが、わたしを懐かしがる気配はありませんでした。
この出来事を今でも思い出します。
イジメはいつの時代にもどこにでもある。動物界にもある。鶏小屋に新入りの鶏を入れると古参の鶏が新入りを突き、殺されることもある。集団の防衛本能とでも言うべきだろうか?
わたしがその訓練校で年下の少年にからかわれた頃、もう一人の社会人の男もそんな目にあいはじめたのです。同時に私自身がサトシをからかい、悪ガキに同調する素振りを見せたのです。そこに(イジメなければイジメられる)構造を感じ取るのです。多くのイジメ自殺事件で関係者が自殺を食い止められないのはそこに原因があることに気づくべきでしょう。傍観者はイジメているのと同じです。
うちの畑地は100坪以上はあるのに、草刈機も小型l耕運機も持たない。スコップ、クワで耕し、鎌や手で草を刈り取る。まわりの菜園作りや農家を見回してもそんな原始的農法をしている所はなくなった。金ができたらそのうち買おうと考えているが、初夏が近づくにつれて畑が草に埋められてしまいどこに何が植わっているのかわからなくなった。きちんと区画を決めて植えているわけではないし行き当たりばったりだからますます雑然としてしまって畑地だか荒地だかわからなくなりつつある。自然農法を計画していたこともあって雑草も気にしなくなっていた。
たしかにここに2月頃にエンド豆をまいたはずだと考えながら、草の藪を掻き分け一本一本調べていく。隙間なく密集している。お茶葉にするドクダミ・ヨモギと雑草を選り分けて抜き取り、えんどう豆を探すのは大変だ。おお、ここにいた!と発見するとたくましい雑草の中に埋もれ、弱弱しく生えていた。よく生きていてくれたな、と蔓を引き離してやると、一ヶ月前のも同じことをしてやったことを思い出した。一ヶ月たつと雑草たちも元通りのヤンチャ姿に戻っているから始末が悪い。えんどう豆の細い蔓を指でつかみ、これからはこの竹棒につかまって伸びていくんだよ、と細いツルを竹棒に何重にも撒きつけてあげる。うまく巻き付く者もいるけどずるずると崩れ落ちる者もいる。逆周りに巻きつけるとうまく掴まるのもいる。この竹棒から手を離すと伸びていけないんだよ、子供達を相手に教えてあげる。
わたしの教えに従って6本がまきついた。40個ちかくの種をまいて芽を出したのはこれだけだった。
雑草の王者であるヤブカラシを引き抜いていく。その名前の通り野菜にも草木にヘビのように絡み付いて枯らしてしまう悪ガキである。根はナイフでも切れないような硬さで深く地中に潜り地面のあちこちから伸びてくる。お前達が薬草にでもなればいいだがな、と思いながらその強さに感服する。
となりの畝に植えていたキャベツ、カリフラワーは大きく成長していたが、野生の野菜になっている。雑草に混じって成長したので葉は2倍くらい大きく中味はすごく硬いが本来の味がじゅうぶんに強い。
遊園地で子供たちの相手をしているみたいでけっこう楽しい。草刈機で刈っていけばこんな楽しさは生まれない。専業農家の田植えや稲刈りを見ていると農業ではなく工業である。あれでは雑草や水中生物の命はわからないし、除草剤でもまいて消してやれ、という気持ちになるのであろう。工業は人間の労働や生活を楽にしてくれたが、(心)を奪ってしまった。たまには本来の農業に戻らないと自然は荒廃していくばかりである。
世間の人は人を見る時、あの人は良い人とか悪い人とか言って評価をするが、実はどちらでもないのである。67年間にわたって人間業をつづけた結果、そのことがわかった。わたしがこれまで殺人も傷害も強姦もせず、刑務所のお世話にならなかったのはそのエネルギーが発火点に達しなかったあるいはそこにいたる条件が揃わなかったにすぎない。憎くて殴り殺してやりたいヤツは何人もいたが、警察に囚われたり後悔したり身内に迷惑をかけたりする面倒が嫌で、それなら世間の常識どおりに生きたほうが楽だと考えたからに過ぎない。犯罪の実行犯とわたしは紙一重の差でしかない。
人をナイフで刺し殺した者が帰り道で川に流されそうになった子供を助けることは実話にでも小説世界にでもありえる。世間では悪いことと良いことで分類するが、刺し殺す時に覚える優位性・破壊活動の快感と助ける時に覚える優位性(自分が助けられる者より優越している)・救助エネルギーの快感は同じエネルギーにちがいはない。そこに世間の価値観が影響するかしないかの問題にしかすぎない。だから殺人も戦争もこの世からなくなることはない。
(善人救わるいわんや悪人をや)という親鸞の言葉はそのことを示している。
新しい哲学が登場しなければならない。人権民主主義の餌食にならず、人間そして人間社会を動かしている法則をみつけ、いかなる現象にも内在する真理を誰にもはばかることなく宣言できる言葉が登場しなければならない。哲学の復権であり、それが人類を迷妄と統合失調症から救う。戦時中には精神障害者が少なかったのは良い悪いは別にしてきちんとした信念・思想があったからである。
宗教は人心の法則を唱え、科学は自然の法則を見つけ、哲学は人間・社会の法則を探す、芸術はテーマを表現するが、それらは元は一つに統合されていた。いつの時代からか分派してしまい、基本命題が見えにくくなってしまい、近代以降は精神的混乱がつづくばかりである。それらを統合して元に戻さないと時代の統合失調症はますます重症の度合いを強めるばかりである。
最近、こんな話を耳にした。ある農家では草むしりが大変なので、除草剤を肥料に混ぜて畑にまいていると!なんと恐ろしいことを!そんな野菜を食べる人間はどんな人間に変わっていくのでしょうか?これが現実であり、着々と崩壊に向かって進んでいるのです。
67年にわたる人生の中でわたしはいろんな人物評価をいただきましたが、その中でもこの言葉は印象的なものです。今でもNHKの営業副部長から言われた、あなたは今の時代に生まれてくるべき人ではなかった、という言葉が何を意味したのか薄笑いを浮かべながら考え込むのです。
10年前の6月でした。1チームの飲み会があって、博多の居酒屋で仕事仲間や職員達と飲んでいました。一年前に赴任したN営業副部長が各チームの飲み会を訪れ、集金スタッフの労をねぎらっていました。彼はわたしの隣に腰を下ろし、鍋から鶏肉を皿によそってわたしの前に置きながら、静かな声でその言葉を言ったのです。わたしはどう応えていいのかどんな意味なのかよくわからず、黙っていましたが、なんとなく理解できて笑いました。彼はその言葉だけしか言わず、わたしも二人の間合いを黙って味わっている状態でした。
わたしが委託契約で仕事をもらったころ、かれは一般営業職員でした。おとなしくて真面目で、(トッチャン坊や)の雰囲気がありました。スタッフが領収書を落としたと言えばスタッフが訪問した先を一軒ずつ回り探しました。彼はわたしの上司でしたが、わたしの抜群の成績もあって係長になり、転勤し、営業副部長になって戻ってきたのです。
わたしは労働組合の分会長をしていましたので団体交渉の際は彼と対峙することになりました。わたしは性格上、上司といえどもいっさい斟酌しないので言いたいことを言いました。ーわたしたちは成績が下がれば特別指導という(首切り装置)をかけられ給料も下がるのに、なぜあなたたちはペナルティもなく給料も下がらないのですか?特権階級なんですか?同じカマの飯を食ってると言いながらまったく違うじゃないですか!ーこんな攻撃を興奮してしつづけました。彼は言い返すこともなく黙って聞いていました。
仕事の上では同じ仲間として接しました。
(今の時代に生まれてくるべき人ではなかった)という言葉はこんな経緯から出たものですが、はじめは(貶されたのか)と考えることもありましたが、今では(よく言ってくれた)と感謝も混じる心境です。彼だけでなく他の人からもだいだいそんな評価をされています。(今の時代)でなければいつの時代に生まれるべきだったのか?戦国時代を彼は想定していたのでしょうか?そうすれば(人間50年、流転のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり)と詠った信長ですが、わたしは50代前で戦死しているにちがいありません。2年前に心筋梗塞に倒れましたが、67歳まで生きてるなんて、頭が高い(もう一人の営業副部長にいわれました)のです。
のです。
近頃のニュースで消息不明になったり行き倒れになる認知症老人が年間に一万人だとか、老人ホームの待機者が多いとか老人医療に金がかかりすぎるとか、老人の介護業務で腰痛にかかる職員が多いとか、今の社会にとって老人はすごい負担になっている。それは事実であるが、その一面を人権民主主義と資本主義の視点からでしか捉えきれないから問題を複雑にし、行政に仕事を増やして社会福祉への税負担ばかり増やすという堂々巡りばかり繰り返している。
ここまできたのだから安楽死をなぜはっきりさせて積極的に導入しないのか不思議である。安楽死は人権に逆行する考えだからとか政権与党への支持者がへるとか、医療関係業界の需要が減って景気にも悪い影響をあたえるとか、そんな(利害関係)がからんでいるにちがいない。オランダあたりでは(赤い玉)を飲んで楽に死ねるという話もきくのに、日本だけはいつまでも生に執着してイジイジしてるように見える。日本には武士道に死の美学があったし、深沢七郎の(楢山節考)におけるように(オリン婆さんは楢山参りに行く日を楽しみにしていた、という文章から始まっている。近代以前まで死はそんなに忌み嫌われるものではなく、自然の一部として日本に定着していたのだ。日本が太平洋戦争で負けるやいなやすっかり否定され、アメリカの人権民主主義にお株を奪われてしまった。
14,5才の元服の儀式から死の作法を学ばせたという歴史からも日本は(死の価値)をもっと認めるべきである。老若男女を問わず、生きる目的のある人はサポートしてあげるべきだが、もう十分に生きた人だとか末期で助からない患者だとか死ぬほうがましだという人も援助してやってだめなら、安楽死に同意するなら実行してあげるべきである。自然界における循環システムー木から落ちた枯れ葉がまた樹の養分になるという生活ーを学ぶべきである。
意識のはっきりしてるうちに(死)の準備をしておくべきである。コンビニに(安楽死申込用紙)が備え付けられていてもおかしくはない。
そうすれば老人ホーム問題、老人医療問題、認知症問題はかなり解決がつくのである。死んではいけない苦しんではいけない病気になってはいけない、とばかり言って問題の基本命題をつかず長生きさせることばかり言っているから問題を複雑にし先送りすることになってしまう。
生きることに価値があるように死ぬことにも価値があるのです。崩壊があるから再生があるようにいつまでも崩壊(死)がなければ再生はありえないのです。
(死なない人生)があったとしたら、あるいはいつまでも(覚醒した意識)があったとしたら、それを選び取りますか?
誰もが(人権民主主義だから幸福である)と信じ込まされ、テレビ漬けの毎日に布教されている生活。それに異議をとなえると、(あなたは民主主義を否定するのですか?)と非難されたことがありました。一瞬、その言葉にひるみましたが、今ではこれが普通の人の反応であり、彼らは洗脳されており、わたしも洗脳されてきたことがわかりました。人権民主主義に疑問を持ち、おかしいという人は(非国民)なのですが、戦前は人権民主主義が良いことだと信じ軍国主義を否定することが非国民であったのです。どちらが正しいのでしょうか?端的にいえば多数派につけば正義なのです。奇妙な反転現象ですね。
岡垣町議会の傍聴に行き、住民投票運動に関わったことでこの世界の仕組みがよくわかりました。人にはそれぞれの個性があります。その個性を活かすのではなくテストで良い成績をとり有名大学に入学することが立派なことであるという概念、さらに出世コースにのれるという仕組みは文部科学省の役人、教育業界、受験業界の利権のためにあるのです。それは政治体制(人権民主主義)の保持のためでもあり、異議をとなえれば、(あなたは人権民主主義を否定するのですか?)と攻撃されるでしょう。利権で城を築いている岡垣町役場もおなじ構図です。
まず、資本主義の発生から考えてみないと人権民主主義の本質はわかりません。両者は(大量生産、大量消費)という大衆原理、(多数決原理)という同じく大衆原理に根幹を共有しているのですから。イギリスで蒸気機関が発明されたことにより、資本主義は科学技術の発展とともに飛躍的な成長
をし、現在では原発の例にみられるように恐い地点まで進んでしまいました。
なぜイギリスで近代文明が起こり、科学技術が発達したかというと、イギリスは寒い国で(霧のロンドン)と呼ばれるように陰鬱な天気の多い国で、資源にも恵まれず、島国で一民族(アイルランド人はいます)で、知性の発達した国家だったからです。
ここでわたしは気候と国民性の関係を述べます。日本のように温帯国で春夏秋冬のある国では自然を愛する国民性は生まれても、自然と闘い自然を征服するという西欧思想は生まれません。自然と闘い自然を征服する、という思想は自然の厳しい国でしか生まれないのです。だから日本では科学技術の発達も産業革命もそれほど必要ではなかったのです。その国が資源を持たない国になって、恐れ多くも科学技術の先端をいっていたアメリカを攻撃し、戦争に負けた結果、人権民主主義・資本主義を与えられ、その快楽と欲望の世界にひきずられていったのです。
徳川政府がペリーの攻撃を受けず、近代文明と無縁の体制であれば、日本の個性にあった国が出来上がり、貧しくとも生き生きした国民生活がつづいていたはずです。文明という禁断の木の実に手を触れたがために、現在の姿があるのです。
グローバリズムという名のもとに世界を人権民主主義で染めていくのはニューファシズムではありませんか?その国、その町にあった国づくり町づくりをし、その子供にあった将来を導いてあげるべきです。どの国にもどの子供にも開発や資本主義の原理をあてはめてはいけません。