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7月17日、長崎で16才の女子高校生が殺人容疑で逮捕された。同級生の女を殺し、首と左手首を切断したという。
言葉の出ない事件であった。16才という年齢、女という性別に驚きを禁じえない。
67才のわたしが16才の時代を想像することはむずかしくはない。手で手繰り寄せればあの時代の感覚・心がよみがえってくるし、あの頃の心の未熟さそれゆえの豊穣さを考えると二度と帰っては来ないという喪失感に陥る。誰もが芸術家であった時代であり、感性そのものが作品であった。一昔前は17才が危険な年齢であったが時代の流れがはやく1才下回ったのである。
加害者は世界の15才の少年・少女たちのが抱えるストレスを一人で集め、行為に走ったのだ。母親が亡くなり再婚した父親から遠ざけられ、一人住まいのマンションの部屋でどんな孤独を抱えていたか?わたしは自分の人生を振り返るとその耐えられない重さに圧倒されていたことがわかる。教育の基本を失った学校生活が彼女の心を救うことはありえない。わたしが学校生活を振り返ってみるとよくわかる。受験マシーンでしかない教員たち、金食い虫の教育委員会などは文部科学省の役人どもの奴隷となり子供達の青春を食い物にするのが仕事である。
加害少女の異質性に気づき、それを探って伸ばし社会の中で活用できる場を与えることは出来ないのか?人を殺してみたかった、と少女はいってるがそれであれば人殺しを必要としている分野や死体を取り扱う業種があるではないか。戦争や殺人はないほうが良いが、自然界のストレスがそれをむ限り、なくなることはないし、崩壊も再生のためには必要なのである。アメリカは世界平和を訴えながら海外侵略をやめない。かれらは侵略などとは思っていない。聖戦なのである。自国が起こす戦いは正しく、他国がやるのは侵略なのである。こんな矛盾が世界を統制してる世界でまとも(?)に生きるなんて至難の業である。そんなすべての矛盾が軟弱な少年・少女たちを襲い、凶行に走らせるのである。
戦後を振り返ってみれば戦前では想像できなかったあるいは発生しなかった青少年の悲惨な事件が多く、驚かされる。
わたしは学校時代を思い出すたびに憎悪に燃える。教員達は教育の原理をどのように理解してるのだろうか?生徒の心のことは忘れ、学科で高得点をとり一流(?)大学に入ることが立派なことだと、資本主義の手先となってマニュアル漬けの仕事に埋没してるのだ。
50年前からまったく進歩のない連中が血税を食い物にし、責任もとらない。教育を民営化しろ、競争原理を導入しろ、と言いたい。武雄市が学習塾の講師を教員にしてみる取り組みをしているように、教育業界の市場開放をし、本当に価値のある運営者だけを残すようにすべきである。
殺した少女も殺された少女も教育業者たちの犠牲者である。社会の生贄なのである。
昨日、ある人の庭に草むしりに行って来ました。70才の「女性で、生まれてから小児ガンにかかり顔に腫瘍が出来て変形し、転んで、脚の皿にひびが入ったということです。顔も打って青ずみ腫れていました。整形外科に入院していますが退院は3週間くらい先だということです。後に残した町営住宅の庭で、伸びた草がまわりに入り込んで迷惑をかけてないかと心配していました。
わたしは軽ワゴンに道具をのせて、岡田君と現地にいきました。畳6枚ほどに張り出した庭は主を失って荒れていました。ジャスミンがフェンスにまきつき、紅葉、ミカン、柿に木が伸び、植木鉢は100個近く乱雑に置かれ、草は伸び放題でした。皇帝ダリヤ、トマト、ツワ、イチゴ、スズランなどを植えてるとの説明が彼女かありましたが、ヤブの中にかくれてわかりません。ともかく、木の剪定や草むしりを初め、2時間くらいで片付いて、病院に行って彼女に写真を見せながら再度の指示をしてもらいました。昼食をして、また現地に行き、植木鉢を元に戻し、柿の木を切り、はびこっていたシダやカラーを刈り取りました。ベランダの袋からはみ出した鹿沼土は量が多くて片付けられませんでしが、三本の栄養失調のトマトには支え木をつけてまっすぐ立て、皇帝ダリヤも倒れ掛かっていましたので紐で囲って真っ直ぐにしてあげました。
病院に行って彼女に結果を説明すると、すごく喜び,満足しました。ケイタイを取り出して撮った写真を見せながら、庭の花々の思い出を話し、イチゴは肥料もやらないのにあちこちに伸びて実がたくさんできたとかトマトは赤く色づいてましたか?とか聞いてきました。一人住まいの彼女にとっては花々が子供・兄弟たちであり家族であったことがわかりました。菜園作りをしているわたしはその気持ちが伝わってきました。そんな中で自分の身の上話を始めました。小児ガンにかかり骨が変形してうまく歩けず、学校にも行けなかった。兄弟が6人いて母親は6人分の弁当をつくり、みな学校や会社に行ったが自分だけは家に残って弁当を食べ、本を読んだりした。文字や計算は兄弟が教えてくれた。
わたしはカメラを取り出し、自分が撮った写真を見せました。紅色の羽根をして小枝に止まった川トンボ、それは川面を背景にしていました。彼女はおどろき、(まあ可愛い。このトンボは見たことがあるわ!)と言い、場所を尋ねたので教えると彼女の住む町営住宅の近くでした。行ったことがあると言いました。糸を銀色に輝かせた蜘蛛の網を見せると、見入っていました。わたしの写真にすごく感動したのは彼女くらいなものでした。
学校にも行っておらず社会経験も少なく行動範囲も狭い彼女は、幼い頃の感受性をそのまま残してるように見えました。彼女の感動と幸福感がわたしに伝わり、少し疲れていたわたしは元気を取り戻していました。
すっきりした気分になっていました。
彼女はわたしと岡田君にお金を払おうとしましたが、わたしは、無償が原則だしあなたから元気をいただいたのでお金は要りません、と断りました。彼女は何度も払おうとしましたが、お言葉に甘えまして、と下がりました。
初めはタイトルを(身障者)と書いていましたが、どうも納得できませんでした。希少人なのです。これからは世間もその言葉に変えるべきです。
支える者は支えられてもいる、のです。人間のみならず自然界の動植物においてもこのことは真理なのです。後にわかったことは彼女が活発な人で、スーパーに買い物に同行しても客のお婆さんおじいさんから話しかけられ、どうしてたの?近頃見なかったわね、と寄ってこられるということです。皿洗いや掃除婦の仕事をしたこともあり、結婚したこともあり、身障者団体の役員もしてるということでした。
わたしにとってこの人はまだ学ぶところがたくさんある人です。
山の道を歩くようになって二年になります。往復一時間ですが、この世界では誰とも出会わず、鳥たちのおしゃべり以外には音もなく、今ではブヨの群れがわたしの目や体の塩分を求めて寄ってくるだけです。羽音が生き物の存在を伝えるだけです。
ある日、捕虫網をかざした少年を前に見つけました。道草にいた蝶をすくおうとして逃がしました。
「ほう、珍しいことしてるね、もう何年間もこんな光景は見なかった。ぼくも三十年前にここで採集をして、三つの標本箱の虫たちはそのままの姿でいるよ」話しかけると、彼はわたしと向き合いました。環境保護の仕事でこの町に来て、採集をしてる、三ケ所移動してる、などと言葉少なげに答えました。
週に一度くらいは彼と出会い、話しました。
宮城県の気仙沼の生まれで、東京の専門学校で環境保全を学び、北九州市の環境保護団体で働いていることがわかりました。彼はわたしの末の息子と同じ歳なので、まだ社会経験が少なく、寡黙なのがわかりました。近所の友人にこの話をすると、蝶を追ってるより女の尻でも追ってる方が楽しいだろうが、と応えましたがわたしは自分の青春時代を思い出し、新鮮な気持ちになりました。小学生の頃、わたしは昆虫学者の夢を抱いていましたが理数の成績が悪く、夢破れて、なんとか生きてきましたが、老後は環境保護のお手伝いでもしたいと考えていました。
少年はその環境保護団体が自然塾を開くことも予定しているとか、岡垣町のボランティアグループにも登録してるとか言っていました。気仙沼の生まれの彼が東北大震災でどんな目にあったのかどんな考えになったのかなどは直接には聞けないことなので聞いていませんが、興味のあることです。岡垣町に登録してるという話から、こんなことを考えました。岡垣町が自然調査の仕事を依頼してきたら、町役場の都合の良いデータを出すのではなく、真実を出して欲しい、ということです。東北大震災の重大な原因は御用学者や団体などが金のために真実を隠したことにあるからです。
ペニスは排泄器官であると同時に感覚器官であり、性交時の道具でもある。性交の快感を記憶し、さまざまなバリエーションをストックし、女との思い出さえアルバムに残している。眼、耳、鼻などは見たり聴いたり匂ったりして脳に情報を伝え、判断を仰ぐ単純な器官であるが、ペニスは脳とは別に追憶、思考、思索、夢想をし、脳にちかい働きを持っていて、その点では第二の脳である。女の膣や子宮も同じである。
歳を取ってくると性欲も衰えてくる。それはションボリしたペニスに対して親である脳が心配し、まさに息子の先行きを案じているのに似ている。若い頃愛しあった女たち、その思い出を二人でたぐりよせてイメージに酔ってみたり、悪所に通って病気にかかり悩んだこと、エロ雑誌やビデオをみて楽しんだこと、それはそれは人生と同じ長い旅路があった。忘れはしない。
脳の中で性感が芽を出した時、ペニスにまで伝わるには体の半分の経路があるし、勃起するにはさらに時間がかかる。若い頃であれば時空を越えてダイレクトに飛脚は走ったが、67歳の歳になると、飛脚は樹海の中をさ迷うようになる。まさに樹の海、その海底である。見上げれば林立したヒノキが空を塞ぎ、人一人が歩ける地面は石ころだらけで、樹の根が鎖骨のように飛び出して足にぶつかり、枯葉に滑りながら暗い中を歩き続ける。前方から得体の知れぬ者が現われそうな恐怖の中で飛脚は行者にもなって、密書を届けようとする。誰にも見せられない密書。三叉路に入って道筋をまちがえ、まちがえたことにいつまでも気づかないで山の頂上へ向かっていってる場合だってある。
密書をやっとの思いで依頼者に届けた時の喜びはなんとも言えない。おたがいに労をねぎらい喜びをわかちあい、後は依頼者が家の中に戻って紐を解き、プレゼントの中味を見て顔を輝かせるだけである。
わたしは多くの女から拒絶反応を受けた。要するにエロっぽい(スケベな)眼で見たからという原因だが、今になってそのことがはっきりわかった。
アパート住まいをしていた頃、隣部屋に越してきた女と関係ができた。翌日彼女の部屋を訪問すると、靴脱ぎの板間でいきなり頬を平手打ちされた。別に彼女を視姦してたわけではなかったので呆気に取られていたが、ジイサンになった今、わたしのエロイ目線に警戒を持ち腹を立てたのだ、とわかる。初めて喫茶店で向き合った女がいきなり立ち上がり、帰ります、と言って店を出たことや病院に身内を見舞いに行った時、顔見知りの看護婦に出会い寄っていくと、お見舞いの人が待ってるわよ!と言って遠ざけられたことなど経験がたくさんある。
わたしが物欲しげな眼で見たわけでもなかったから、腹が立った。
女に嫌われる人生に寂しさを覚えることになったが、逆にモテる男であった場合は大変だとも思う。女に付きまとわれたりトラブルになったりで人生を女に振り回され、結局は女への興味・関心を失いあるいは自分の身を女から守ることになる。
女は自分を誤解するので面倒な種族だと考えたこともあったが、この世は男と女しかいないので無視するわけにはいかない。エロスの世界があることはこの世に素晴らしさを与えていることはまちがいない。
男女の比率はほぼ半々であり、普遍的に割合が保たれている。体内の胎児は初めのころ、男でも女でも無い中性である。男になる場合はどこからか細胞が現われ下腹部に伸びていって精嚢が出来、女の場合はそのようにして卵巣が出来、ペニスや子宮が形作られていき、男と女ができあがる。
誰の指示だろうか?男と女の種別を半々にするために選ぶのは誰だろうか?弱小な生き物は天敵に食われる数をあらかじめ把握して出産数を決めているのがそれは誰の指示だろうか?どんな仕組みでそんなことができるのだろうか?
草食系の男女をつくったり性的障害者をつくったり戦争を絶えず起こして、人口増加を制限しているのは誰だろうか?
そんなことを思索しているとこの世に創造主が存在することを知ってしまう。はやく出会いたいし、生まれたことを感謝するばかりである。
無職の身なのに一日一日がすごく速く過ぎていく。一週間なんてアッというまに終わり、もう土曜、日曜がくるのかと時間に追われるのではなく、時間に追い越される感じがする。朝が来て陽が射し、夜が来て陽が落ちる。地球は半回転したわけだ。毎日毎日、疲れることなく同じように周りつづけているわけだ、誰に指示されてるわけでもなく、まるで心臓のように不思議な命。地球は物質なのだが命の塊を感じてしまう。物質の世界で動いているのは地球だけではなく、電子・原子の世界でも同じである。
地球が疲れて動かなくなる日があるのではないか、と考えてネットで調べたが、そんなことはないと書いてある。太陽が爆発して破滅する日はあるが地球にはない、けれども太陽が破滅すれば当然地球の生物は全滅するとも書いてあった。
わたしの寿命は長生きしたとしてもあと10年くらいであろう。わたしが死んでも地球は生きている。しかし、わたしが死ぬ時、わたしは地球の命を感じることが出来ず、地球もいっしょに死ぬのである。
公務員とは理解できない存在である。
先日、町役場の総務課に行った。除草剤散布禁止を陳情したいからどうすれば良いのか?と女性職員に尋ねた。素案を出していただければこちらで審議して議案にします、という返事でしたので何故すぐに議案にならないのか?ときくと環境保護法などの法律との整合性の判断もあります、と答えたのでわたしも納得しました。
そこで日頃考えていたことを言ってしまいました。あなたのこの仕事は公務員でなければ出来ないものですか?と聞くと、それは地方公務員法で決まっていますから、と答えたので、それはわかっていますが民間社員でしたほうが安い人件費で出来ますよ。私達は高い税金を払う必要がなくなって助かるのになぜ公務員のような高級取りにさせるのか不思議でならない。課長係長クラスは現在のままにしてあとは法人委託を入札で採用すれば良いではないか?そうすれば人件費は安くてすみ効率も上がり創造力も発揮して職場に活気がでるではないか。
彼女はわたしの言葉に警戒していました。
現自民党政府がJAの解体、民営化に二の足を踏んでいるのはJAの組織票への未練があるからだ。組織票とは利権票であり、JA職員の生活・利権がかかっているのだが政府は国のことよりも自分の政権維持のほうが大事なのである。公務員にも自治労という40万人体制があり政府のやりかた次第では票がどの党に転ぶかわからない。だから、官から民へ、と掛け声だけはかけるがなかなか進めない。国鉄がJRになり、電電公社がNTTに民営化してすごく変わった。国民への対応は民間並みになったし、経費削減もし、効率化変革もどんどん進めているのに学校、警察、刑務所、消防署、高速道路道路の民営化はいっこうに進まない。
わたしのような高齢者であっても化学をもう一度勉強したいと思えば高校に入れるような社会になればこの国は元気がでると思うのだが、変化を望まない政府と国民であれば未来は縮んでいくばかりである。
家のすぐ上で電車が走っています。体を動かしたり考えることもない時には電車の音に人間の感情を感じ取ります。先ほどの貨物列車は深夜にゆっくりとすごく慎重な走りを伝えてきました。事故を起こした経験でもあるのか行く先に困難が待ち構えてでもいるかのような慎重さでしたが無事に着けたかどうか考えたりしました。急行列車は勢い良く走って、去ります。まるで少年のようです。旅先が遠い電車はそばの駅を出てゆっくり出、さあ頑張るぞ、と勢いをつけていきます。蒸気機関車がもし走れば蒸気を吐き出し、頑張るぞ!頑張るぞ!とじょじょに力づけながら、時には警笛を鳴らし煙突から煙を吐きながら巨像のように豪快に走ることでしょう。
それに引き換え、駅そばに道路をつくる工事音は不愉快な雑音ばかりを出します。ヒノキをチェーンソウで切る音は切られる木の悲鳴を伝え、地面を叩くユンボの地響きは地面の鳴き声を伝えてき、破壊されるものたちの怒り、叫び、悲鳴を起こしてわたしに絶えられない気分を与えます。
機械は特に動いている時には生命体なのです。人間と同じ感情を持っていて喜んだり考えたり悲しんだり嘆いたりしています。かれらを非生命と分類しているのはおかしいです。蒸気機関車のファンがあれだけいるというのは彼らがそれを生命体として見ているからです。
機械たちもどんな仕事をさせられるかでいろんな感情を出しています。人間達を運ぶ時は楽しく走り、荷物を運ぶ時は大儀そうに走り、木を切ったり地面を削ったりする時は悲しい声をあげます。人間の感情とまったく同じであるのは不思議なことで感情や感性は人間しか持たないという考えは人間の思いあがりしかすぎません。
山の道を毎日歩いています。往復で1時間くらいですが、すっかり嵌ってしまいました。歩いた後の爽快感は素晴らしく体に元気がでているのがわかります。以前は海岸線をサイクリングして良い気分になっていましたが、森にはそれとは違う雰囲気があり、(生命系)という本を読んでその原因がわかりました。ヒノキや竹、マムシ草、ミョウガ、ヤツデなどの植物に囲まれ、マイマイカブリ、ゴミムシ、カエル、鳥、イノシシなどの多様な生物がわたしに時間と空間の広がりと連鎖を伝えてくれるのです。わたしは昔、カエルでもあったのです。地球上の物質から生命が産まれた時、それは一粒か一つのDNAだったのです。それが分岐し系統発生していき、海藻、魚、イモリ、昆虫、植物、哺乳類などに代わり、進化していったのです。太古時代、古生代、中生代などのはるか昔の世界で系統をともにしていた身内たちに囲まれ、わたしという生命が彼らと交感しながら大宴会を開いているのです。言語というツールに頼らず体の元素を反応させながら挨拶をし、(ぼくはまだゴミムシのままだけど君は人間に進化したのだね。楽しいかね?ぼくはゴミ漁りの毎日だけど食べ物にも不自由しないし、空気の良い森の中で一生過ごせて幸福だよ)という言葉が聞こえてきたり、(近頃は人間がまく除草剤でカタツムリが減って困ってるんだ)というマイマイカブリの言葉が聞こえてきたりしてにぎやかです。わたしの生命は昔とかれらの連鎖の線でつながっており、山の中でそびえ立っているヒノキとも親戚なのです。まわりの生き物達すべてがわたしの親戚であるから孤独が癒され、楽しい気分になり宴会から帰宅したような気分になるのです。
(自然は皆、兄弟だから楽しい!)
一昨日は岡田君も言ったように貴重な体験をしました。自然農法をやってる人がいるから田植えの手伝いをしないか、と誘われて岡田君といっしょに岡垣町の原に行きました。波津の海岸に近いところで、そばに湯川山があり、のどかな田園地帯でした。
Qさん夫婦と手伝いの男6人が集まり、長靴をはいて田んぼの中に入りました。小学生の頃、自宅の田んぼの田植えをしたことがありましたが、60年ぶりに入る田んぼでした。昔は素足で入っていたのですが長靴で入るとズボッた泥から足が抜け出ず、ブッ、ブッとオナラをするような音をあちこちで出しながら、皆、苗を植えていきました。ジャンボタニシが田んぼの中にいました。その赤い卵があぜ道に産みつけられていたり、交尾したシオカラトンボが飛んでいたり、田を囲む溝には山水が流れていて、わたしの中から幼少時の気持ちがよみがえってこました。午前9時から午後2時までで一反の広さを植え終わりました。腰が痛くなりましたが、昼食はお弁当を皆で広げて食べ、Oさんの山で取れた大きなビワを食べ、談笑しました。ビワは肥料もやらないのに普通のものの2倍はあり甘味もすごく良いのです。こあたりはビワの名産地ですが、専業者に負けないものでした。
昨年は田んぼに水を入れず、自然農法にしたがって固い土に穴を開け一本一本を植えていき、一人で一ヶ月もかかったとOさんは言っていました。それにまわりの営農者たちは殺虫剤、除草剤をまけ、と言いますが彼は笑って彼のやりかたを通しています。
水をいれたままの田んぼが上にあるというので行ってみました。昔懐かしい田んぼがありました。薄緑色の藻が水面に張り、小さいメダカがたくさん泳いでいました。その上にレンコン畑があり、まだスイレンの花は咲いていませんでしたが、びっくりするような水生動物を見つけました。アメンボ、カワエビ、アカハラ、タイコウウチなど、今ではこの田舎でも姿を消したもの達が動き回っていたのです。
Oさんは言いました。まわりの田んぼが殺虫剤や除草剤をまいているのでその水が自分の田んぼに入らないようにせき止め、かれらが散布を止めたころ、水を入れると。(真理はいつも異端の側にある)ようです。彼の親戚に町会議員の議長がいますが、開発賛成派であちこちの地面をコンクリートで埋め、山や田んぼを壊しています。こんな中でOさんが笑顔を絶やさず、自然を護っている姿にはただ敬服するだけです。