ブログ - 202505のエントリ
薬が切れたので、昨日は病院に行って薬をもらってきた。医者は毎度のように大腸のポリープを切るように言ってきたが、思い切って大腸がんになってもかまわないと答えた。一センチほどのも大きくなっているから切っておくべきであるが、大きな病院への紹介状をまた書いてもらい、検査を受けるという手順が面倒であったし、四十年前にもそこにポリープができているといわれながら消えていたのである。
アルバイトのない日であったのでそれから、山に、竹の子堀りに行った。車の調子が悪いので一キロほどの道を歩いていくしかなかった。リュックの中に水と包丁、のこぎりを入れていた。二か所ほど登りの坂道がありそこがきつかった。年々足が弱っているので圧迫骨折でもすれば歩けなくなり、生きていけなくなる。道端に出ている竹の子の上の部分を鋸で切り落とし、包丁で皮をむいてリュックに入れる。自分の持ち山に入る手前でいっぱいになった。坂道に腰を下ろして、ペットボトルの水を飲む。幼いころは車がなくてそのようにして竹の子を取ったのであった。
さて、帰る段になった。リュックを肩に担いでみると、重くて、体が左右に傾いた。これはまずいと思いながら、片手にリュックの紐を握った。少しは楽になったが、これで一キロを走破するのは大変だとわかった。竹の子は教会で信者たちに売って、献金にするのである。雨漏りのする教会の修理費用の一部になる。
下り坂だったので少しは楽であったが、右手と左手を交互に持ち替えないと耐えきれなかった。
部落のはずれの一軒家に住む女を知っているので車で送ってもらおうかと考えたが、一人住まいなので警戒すると考えた。シルバー人材センターの女であったが、黙って通り過ぎた。
半分ほどの道のりをこなし、町道に入ったがまだ遠かった。線路の下の暗渠が見え、家に近づいていて、無事に着きそうであった。
帰宅すると、昼食を食べ、いつものかまどに火を起こした。大鍋にぬかと唐辛子、酢を入れて沸騰させ竹の子を入れて茹でていった。あと一回で竹の子堀は終わりそうであった。さて、大阪の叔母に送ってやろうか?この次にしようかと思い迷った。彼女は毎年、竹の子を楽しみにして待っているのである。
先ほどの、坂道を思い出した。あれはまるで磔刑を受けるゴルゴダの丘のイエスでなかったか?イエスは十字架を背負わされ、あのようにして登って行ったのであった。イエスを持ち出すのはおこがましいが、リュックを担いで坂を上ったとすればそれに近い経験であった。歩けなければ、祈ったかもしれない。教会に通いながらも祈ることは少なく、日ごろは従来の生き方で通しているし、クリスチャンにはなれないと思っているのである。