ブログ - 20240906のエントリ
8月の末から我が家のクリは落ちはじめ、日課が一つ増えた。拾って、水洗いし、袋詰めして、店に出すことだ。去年は千個ほど、落ち、一個二十円で出した。今年もそれくらい出そうである。日に三度は栗畑を回って、火箸に挟んで採るが、腰が痛くなってくる。空のクリは集めて、後日燃やす。
三十年前は自分は古い家に住んでいて、母は新築した今の家で一人住まいをしていた。近所の団地に住む三人の男性に畑を作ってもらい、お茶を飲んでもらいながら談笑していたが彼らが去ってからは一人ぽっちになってしまった。
栗が出る頃になると電話をかけて来て、栗拾いに来るように伝えて来たが、わたしは仕事と家庭で忙しく、母の言葉を忘れていたのである。男の子が二人産まれ、妻もいた。
ある時、母は年金を下ろして病院に行くから送迎をしてくれ、と言った。記憶には残っていたが他の件が忙しく忘れていた。
そして、ある日、集金の仕事でバイクで回っていると、電話がかかって来た。ヘルパーの者ですが、お母さんが亡くなりましたと言う。ついにその日が来たか?と冷めた気分で当面の集金先を終え、母の家にいった。警察と医者が来ていて、刑事から調べられた。母の死体は死後四日たっていて、顔がむくみ別人の顔になっていた。
それが三十年前の事である。
それから、四本のクリの木はまったく手入れもしないのに毎年、実をつけてくれる。自分は前の家を取り壊して、今の家に住むようになった。妻子は出て行き、一人ぽっちの生活である。母と同じ状態になった。
一個が二十円になるので栗の木は十円銅貨のようなものだ。金のなる木である。
すみからすみまで栗を探す。やぶの中にかくれ、落ち葉の中に埋もれていることもある。
そんな時、母の声が聞こえてくる。・・ちゃん!栗がいっぱい落ちとるばい!早う、取りに来んね!
自分は地べたに這いつくばりながら、火箸で栗を挟んで採る。
もうすぐ、母の元に行くであろう。