ブログ - 20240902のエントリ

(パワハラ)は権力を握った

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2024-9-2 7:10

  兵庫県の斎藤知事の騒動を毎日ニュースで読むたびに、何かおかしい?どこかおかしい?と首をかしげるのは自分だけではないはずである。どこがおかしいのか?斎藤知事自身なのか?マスコミ報道にあるのか?わからなかったが、やっとわかった気になった。彼の悪行のかずかずは内部通報をされたこと以外それほど騒がれるはずの事ではなかった。物品をせびったり、エレバイターのドアを開けなかったり、付箋を投げたり、駐車禁止の場所のことなどほぼ日常的にはありえることだとして許されることである。

 それが膨らんで百条委員会がもうけられ、知事に不信任案がつきつけられるかもしれないことになったのは斎藤知事が内部通報制度を理解しておらず、自分と仲間内のことを密告された?と感情的になり、彼を解雇し、退職金ももらえなくし、彼が自殺したからである。これは職権乱用ではないか?とも思う。

 自分もNHKの労働組合で活動していた頃、団体交渉の場で世間に出されてはいけないことを告発し、当時の営業部長や職員たちは震えあがっていた。あんた、NHkに世話になりながらよくそんなことまでしゃべるな?と組合の仲間も言ったことがあった。NHK側が自分を攻撃するな?と考えていたがそんなことはなかった。

 それは二十年前の出来事であったが、今、ふりかえってみると、時代がすごく変わったといういことである。こういうことである。パワハラという言葉が権力を握って独り歩き?しているのではないか?ということである。まわりはその実態のを見失い言葉の権力に振り回され平伏しているということである。マスコミは視聴率稼ぎを考えている。

 歴史を振り返れば様々な言葉が権力を握ってきたことがわかる。封建的、密通、男尊女卑など数え上げればきりのないほど、言葉は実態を考えずに権力を握り、人間社会を支配し、言葉自体を崇拝させて来たのである。

 一年前、ある店で、顔見知りの女に、最近変わったね?肥えたんじゃない?と声をかけると、それはセクハラよ、と言われ、肩の肉を摘ままれたことがった。それからは、彼女のことをお嬢様と呼ぶようになり、彼女は満足げな顔にになったが、肥えたと言ったことのどこがセクハラなのか?言い返してやりたい。

 セクハラ、パワハラ、モラハラなど、今の時代は横文字が幅を利かせ、支配しにかかっている。それはそれで必要なことでもあるが、言葉の支配力に負けて実態を見失ってはいけない。斎藤知事の騒動に戻れば、内部通報制度にくぎを刺され、否定されようとしたこと自体が問題なのである。その本題にもどるべきである。

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