ブログ - 20240831のエントリ
台風はついに来なかった。避難するようにという指示を、町の有線放送、スマフォ、テレビ・ラジオで執拗に聴かされながら、結果的には少し風が吹き、雨が降っただけであった。なんと物静かな台風だったか?と思いながら胸をなでおろし、感謝したのであったが、今頃は東日本の人々が被害にあっているのである。風が吹けば桶屋が儲かる、の言葉通り、こちらが幸福になればあちらが不幸になるのである。
昨日は,庭のクリ拾った。木は四本あるのでかなりの量であった。火箸で挟み取り、水洗いして、乾かした。袋詰めすると十個入りの袋に22袋取れていた。さきほど、産直店に行って、一袋を180円で出して来た。初物なので200円にしても良かったが、売れ行きは良くないことを知っていた。外皮、渋皮と小さいのに皮をむくのが大変なのである。栗ご飯にすれば美味しく、秋の味覚が味わえる。売り上げ情報が十時、三時、五時、八時に来るので楽しみである。
腰を曲げて栗を拾いながら、栗の命を考えた。花が咲く前にガの幼虫が卵を産み、栗の成長に従って体を食べていく。栗は身を護ろうとしてイガイガで覆っているが先手を打たれてしまっているのである。幼虫は渋皮も食べ、元気に成長していき、蛹から蛾になって飛び立っていく。
人は虫に食われていない部分を採って、食べるのであるが、ここで不思議なことがある。栗の体のある部分には割れ目が出来ていて、女の膣のそっくりであるが、そこに火箸を入れるとぱっくり割れてしまうのである。これは食べられて、何個かが残って大地にばらまかれることを想定している。
台風が来て風が吹き、栗が落ちて、わたしはそれ金にしてご飯を食べる。三か月先には便所を汲み取って、根にかけてやるのだ。すべてが循環しているのである。