ブログ - 20240828のエントリ
今、メディアでは、兵庫県の斎藤知事が餌食になっている。連日、自殺者までだしたパワハラ事件で、今月の末には証人として呼び出され、知事の不信任を突きつけられるかもしれない雲行きである。東大を出た官僚がなぜここまで追いつめられ、国民の興味の的になってしまうのか不思議でならないが、自分の人生と比較して共通点もあるので注目している。
もとより、自分は東大とか官僚に嫌悪感を持っているがこの事件にあるようにその肩書には品格も才覚も感じてはいない。受験勉強が得意であることとそれらはほとんど関係がないからである。もし関係があるとすれば企業は東大出だけを採用すれば良いはずではないか?ところが現実はそうではない。自分がNHKの集金人をやっていた頃、おれはこんな集金をするために東大をでたのではない!といって他の部署に変わった職員がいたが、かれはとんでもない勘違いをしていたのである。集金と言う泥臭い現場にこそ視聴者の生身の声があり、それを知ることで組織を良くしていこうという考えが湧くのであり、他の部署の職員たちは受信料をもらうのは当然と言う考えしかなかった。それにそれまではいい番組を作っておりますのでお支払いください、という言葉を出していたが払わなければ法的に訴えますと言うようになったのである。
それからは訪問詐欺の事件も多発し、現在は訪問をやめ、そのために受診料収入がガタ落ちになった。
ここで斎藤知事の話に戻ると、金持ちの家に産まれ、人からも好かれ、順風満帆の人生であったようだ。倒れて起き上がることをしなかったのであろう。それに引き換え、自分は何十回も失敗して精神的に自殺した。ごまかしながら起き上がり、今は生活困窮した老人であるが思い残すことはない。
学生運動のさかんであったあの頃、こんな言葉が流行っていた。
連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることは辞さないが、力つくさずして倒れることは拒否する。