ブログ - 20230422のエントリ

ゴミ虫や顔を拭いてわれを見る

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-4-22 6:11

  春になって体が元気になったが、自然を相手にする仕事も増えた。昨日は一キロメートル先の山にバイクで竹の子掘りに行った、坂道を上り、あちこちに伸びている竹の子を鋸で切り取り、皮をむいて肥料袋に入れる。一時間ほどで袋に一杯になり、帰宅して庭で火を焚き、一時間ほど茹でる。冷まして、冷蔵庫に入れ、翌日の朝、袋につめて賞味期限の紙を貼り、店に持って行った。すると午前中に、二十袋が完売で4500円になった。

 うれしかったが、次の日は足腰が痛んで軽く動くことが出来なくなった。敷地内の庭には夏野菜の植え替え青しなければならないし、それより雑草が伸び放題になり、刈らねばならない。

 虫の数が減って、ちょうちょもテントウムシもいない。異常な状態である。大気汚染だけは順調に進んでみな花粉症に悩んでいる。おれたちが自然を破壊したのだ。

 畑にゴミムシさえいなくなった。全く見ない。昔はこのタイトルの俳句を読んだのであるがそれは遥か昔のことになってしまった。これから先、自然や世の中はどうなるのであろうか?どうしなければならないのであろうか?

 肥えたんやない?と言っただけでセクハラ扱いにされるそんな状況から変えねばならない。蝶もゴミムシも猫も顔をぬぐうが顔を綺麗にするためなのか?掃除のつもりなのか?わからない。だが、どう考えても彼らには美醜の感覚があるのではないか?と思ってしまう。花だってどんな色・形にすればきれいなのか?知ってるにちがいないし、知っていなければ神の教えに従っているのかもしれない。

 ただ人間だけは美容整形などして、自然本来の美を忘れてしまい、人工的な考えに頼り、ここでも人間中心主義なのである。

 レア、はそれだけで素晴らしいことなのである。奇形であろうが不具合であろうが変わっていようがそれだけが多様性の生命世界・異種混合の世界において活気を産んでいることにきづかあねばならない。

 

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