ブログ - 20230419のエントリ
肥えたんじゃない?と言われて、セクハラだと言い返し、私の肩をつねった女は勘違いしてるのである。わたしは肥えたから醜いという気持ちではなくたんに肥えたというつもりであったのでであるが、女は肥えたと言われると醜いと考えてしまうということに気づかなかった自分にも責任はある。区別と差別の微妙な境界線であるが、今の世の中はその線引きの部分で混乱している。背が高い低いも同じである。
差別には優劣の視点がからんでいるが区別にはそんなのはない。区別がいけないということになると言葉を発することはおろか表現すること自体が出来なくなるし、今ではすでに作家や芸術家などの世界において彼らが表現の窮地に陥っていることはまちがいない。出版社自体が表現に対してすごく神経質になり、とうぜん表現者も出版契約の条項の中で微細な締め付けをうけている。
外国の政治家などもセクハラ・パワハラで裁判に訴えられ、多額な賠償金をとられている時代である。無名なわたしだってこんなブログを書いていて、いつ訴えられるかわかりはしない。恐るべき世の中になってしまった。だが、この揺れ戻しはくるし、こなければ世の中は消滅してしまう。多様性は世の中の活気を生み、変革作用をおこしているのである。独裁国家と自由主義の国家を比較してみればよくわかる。
わたしたちは先人たちが苦労して勝ち取った自由と民主主義をまもり、育てなければならない。