ブログ - 20230406のエントリ

人はコロナの生贄?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-4-6 9:46

  コロナ禍が落ち着きをとりもどしたか?に、見えるが、人間にとってコロナはなんだったのか?という疑問は残されたままである。宗教界はもとより、哲学界、文学界、または有識者の世界においても収束の声ばかりで本格的な答えを求める気配は見られない。また、第二、第三のコロナあるいは予測も出来ない厄難が待ち受けているようにしか考えられない。

 莫大なエネルギーと金を費やしながら、すべてが人間中心主義から派生しているのでいつもの堂々巡りでしか終わらないのである。

 数学の仮定法ではあるまいが、全知全能の神を仮定しなければ方程式がとけないように、ほんらいは神を持ち出さなければならないはずである。聖書をひもとけば神はすべての人を救う、と啓示してありながら、人を生贄として殺す逸話がある。ソドムとゴモラの話、アブラハムの息子殺し、ノアの洪水など書かれており、キリストの磔刑においても神が人類を救うために、子であるキリストを犠牲にしたのである。

 突き詰めるならば神にとってコロナは悪ではなく単なるウイルスであり、ウイルスは神の子なのである。すべての生命が神の子であるから、すべて平等に愛されているのである。神はなぜコロナを世に送り出したのか?

 コロナは人を殺そうとしているのではない。自分が生きるために生命に取りつかなければならないからそのようにしているのであり、それが結果的に人の体を破壊してしまうのである。人が生命を食べなければ生きていけないのと同じなのである。

 人が他の生命をどれだけ破壊しているのか?を、考えればそして、コロナに殺された人の命はどんなものなのか?を考えればコロナ禍において、もっとちがう発見が出来るはずである。

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