ブログ - 20230307のエントリ
この言葉は、太宰治の小説の中に出てくるのであるが、自分の遺言でもあることがわかった。
昨日は人材センターで仕事の話し合いがあったので参加した。弁当配りの仕事をしているのだが、コロナの感染が問題になり、仕事のやり方が変わるという。来月からはお客さんに直接手渡すのではなく、指定された場所に置き、代金は振り込んでもらうようにするという。それは良いことであるが、何か意見はないですか?の言葉に自分は発言した。仕事中に事故が起こった場合の責任についてであった。対人・対物も含めて運転者が金を払うと従来から言っているがそれでは怖くて仕事ができない!私たちは週に一度しか仕事をしていないが労働者ではないか!と言った。すると、いつものように請負であるから個人事業主である。と言う。それは労基署が言っているのか?あんたたちが都合のいいように勝手に言ってるんじゃないか?
と、自分は十年前に労働組合活動をしていた気分になった。つぎに、安心して仕事ができる職場を作るのがあんたたちの仕事ではないか?会員を増やしたいんだろう?そしたらそうすべきであろう?
そこで、横やりがはいるであろう、と予測していたら案の定、入った。自分の嫌いな男が、中村さん、みんな責任を持たされることをわかって働いているんだから、そんなに興奮していうもんじゃない!
誰も黙っていた。
それなら、おれはもうこのことについてしゃべらないと、口を閉ざした。
前の会社で活動していた時もこうやって梯子を外されたのであった。
それから、雪の降った日の仕事についての話し合いになった。狭い団地などは一車線の車道で急な坂道が多くて、ハンドルを握るのが怖いのである。雪の日は、配達を止めるか、町役場の車で回りその保険でカバーするか?など意見が出た。
そんな時運転手の車で配達していて大事故が怒ったらどうするのか?三年前、選定作業を終えた会員がその団地の線路に車ごと落ちてすごい事故になったじゃないか!想像もできない額の請求があって、運転手の任意保険を使ったそうじゃないか!
そんなことを話し合っているうちに一時間の時間がきて、終わった。
帰宅して自分の意見が持ち上げられなかったことに失望し、やはり、以前と同じことの繰り返しであったrと思った。そして、こんな大事なことに人ごとのように聞いている日本人にも失望した。
やはり、わたしは人間の生き方というのがわからないのですね。