ブログ - 202302のエントリ

よぼよぼと歩きて落ちるズボンかな

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-23 8:48

  大手スーパーのカート整理の仕事を三年間やってきたが、今年から売り上げが減ったということで、一週間に九日間やっていた日数を六日間に減らされた。生活が苦しくなる。昔であれば賃金カット、といって管理職を叩いたのであったが、他のシルバーの会員と同じように仕事があるだけでも感謝と言う気持ちになった。

 話は変わるが、近頃その店に変わったオトコが通ってくるようになった。いつも一人で、背筋はきちんと立っているが部屋着のままで、サンダルに素足である。髪は背中まで垂れ、白い顔で、まっすぐ前を向いて一人分の食料が入ったビニール袋を持って人を待っているような気配である。この前は駐車場で両親の運転すると思われる乗用車に乗るのを見た。

 一昨日の事、彼がレジのそばに立っているのを見たが、驚いた。ズボンの股間部が濡れていたのである。尿漏れであろう。遠目にわかるほどびっしょりである。自分の肉親に精神病院に長年入り、尿漏れするからパンツを買って来てくれと頼んだ者がいるので、彼のことを思い出した。

 昨日、自分は部屋を出、郵便ポストを見に行こうとして下半身がおかしいことに気づいた。ズボンの紐がゆるみ、ズボンが落ちかけていたのである。

 笑った。

 情けないと思いながらもタイトルの句が思い浮かんだ。そうだ!俳句ではなく、廃句を作ってみよう!新分野が開けるかもしれない。ヨボヨボ爺さんの世界である。面白いことになるかもしれない。

小説の書き方

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-11 11:45

  (贖い)という題で三年前に書いたが、その作品に、また取り組んでいる。やっと小説の書き方がわかったように思った。これまで評価されなかったのは、何を書きたいかが読んだ者に伝わっていなかったからだとわかった。登場人物のキャラクターが現れていないという指摘があり、その原因もわかった。つまり、小説らしく仕上げようと意図していたことが障害になっていたのである。例えば中上健二さんの作品には、女のスカートからパンチィが見えた、という表現が時々出てくるが私に言わせればそくそんな下品な言葉が出るな?といぶかしく思っていた。逆に今では、土方一家の生活を描写するうえでは大事な表現なのであることがわかった。

 そんなわけで今度の作品は、歩き神、と言う題で、自由に言葉を表現しているつもりである。死ぬまでには公開できると思う。

負圧が魅力になる時

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-9 17:58

  十年前に、心臓のバイパス手術をしたせいで、毎月、病院に通って血液サラサラの薬をもらっている。一人の看護婦はこの町育ちで、あっけらかんとしていて、どこか面白い。ときどきふざけて私の肩を叩いたりするので、誘いの言葉をかけたことがあったが、まさか?冗談やろう?と軽くいなされてしまった。

 ところが先月、彼女から採血してもらい、血糖値と血液の濃淡を調べてもらう時、すごく雰囲気が変わっているのに気づき、どうしたん?と聞いたが答えず、顔を横に向けたままであった。毎日、寒いけ、気を付けないけんよ。脳梗塞やら心筋梗塞は怖いよ・・、と言いたげな気の配りようであったが、どこかしおらしくいじらしさを感じてしまった。これまで見せたことのない雰囲気であった。先月、診察が終わって、金を払う時、二十分近くも待たされたことに事務員にクレームを付けたことで彼女が気を使っているのかとも考えた。

 ニ三日たっても彼女のことが胸の中に残っていた。

 なぜ、そんな気持ちになったのか?もわからなかった。

 今、やっとわかるようになった。これまで何人かの女たちと、深い付き合いがあったが、三人ともその時、俗にいう不幸な状態であった。一人はわがままな被害妄想狂で誰からも嫌われ、行くところがなくなって、私の住むアパートに転がり込んできた。二週間ほどいっしょに生活した。そのアパートに子ずれの女が越して来た。離婚したばかりで夫は詐欺事件を起こして刑務所に入っているという。三歳の子は毎朝、目を覚ますと、寒いと言って泣くのであった。ストーブもエアコンもなかった。生活の面倒を看ているうちに夫婦の関係になってしまった。次は、東京生活をひきあげて、帰郷した年、身内の女が自殺をしに来て、私の住む家に住むことになった事であった。この出来事は今、小説に書いているが、三人の女と親しくなったのはすべて同情からであった。

日中相互不可侵条約を結ぶべきである

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-1 20:09

  メディアはその出来事を記事にするかしないかの自由を持っている。記事にすれば現実に起こった事であり、無視すれば起こらなかったことになるのである。取捨選択の権限を持っているのである。以前、メディアは第三の権力と言われたことがあるが、すでに第二あるいは第一の権力になってしまっている。この文章であってもわたしが主宰しているホームページであるからこうして記事になっているが、メディアの世界であれば没にされているであろう。

 新聞は読むか所がほとんどなくなったのでとっていない。もっぱらスマフォでニュースをみて世の中の動きを知っているわけであるが、近頃、メディアがどうもおかしいと思うようになった。まず、ウクライナ戦争についてであるが、ウクライナの善戦とロシアのぶざまさ、悪者扱いが多く見受けられる。その書き方は読者の目を引きやすいからであると思う。ロシアの立場そして、どうやったら戦争を終わらせることができるか?などの記事はあまり見うけられない。

 近頃の記事は中国が台湾に侵攻して日本と中国が戦争をする、と言うのが増えてきている。戦争研究所や有識者を動員してその記事を書いてもらっているが、おかしい?あなたたちは日本と中国を戦争させたいのか?と聞いてみたい。どうすれば戦争を避けるkとが出来るか?という記事はなぜださないのか?まさか戦争が始まれば自分たちのメディアが儲かるなんて考えてはいないだろうな?

 こんな方針だとガルシア・マルケスの小説・(予告された殺人の記録)と同じではないか?あの男が殺される、殺されると噂をされながら、誰も止めようとはせず結局はナイフでずたずたに切られて死んでしまう。実際に起こった事件を作者はドキュメンダリ―に仕立て上げたわけであるが、なんとも現実をとらえたすごい作品である。

 メディアで働いている人に言いたい。あなたたちの仕事は出来事を報道するばかりではなく、読者への啓発・啓蒙があるのじゃないですか?

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