ブログ - 20220709のエントリ
昨日、奈良市内で参院選の応援演説をしていた安倍前総理が銃で撃たれ、死んだ。テレビやラジオ、インターネットはその報道で持ちきりである。米国のバイデン大統領、中国の習主席、ロシアのプーチン首相など世界のトップが弔慰をの述べ、大騒ぎである。わたしは安倍前総理に良い感情を持っていなかったこともあって、その騒ぎぶりを冷笑するだけであった。いつの間にかウクライナ戦争やコロナの感染増加などはどこかに行ってしまっている。森友加計学園問題であれだけ安倍氏を批判していた野党の党首までが、暴力はいけません、民主主義を守らなければいけません、と手のひらを返したように訴え、安倍氏の疑惑問題には一切ふれないのである。テレビ(NHK)も国民にインタビュ−するさい、その問題に言及する国民はいっさい排除している。
これではまるですべての者が安倍前総理の死をいたんでるようではないか?いたんでいない者はいるし、なぜ、彼の功罪など違う側面や考えをださないのであろうか?世間話の中で安倍前総理殺害事件が出た時、彼の疑惑問題を持ち出せばたぶん白い目で見られるに違いない。これではまるで太平洋戦争時の翼賛体制と同じではないか?これが民主主義、言論の自由なのであろうか?
森友加計学園問題でそれに関わった職員が自殺している。安倍元総理はそのことを知らぬ顔でとおしたではないか?彼は事実をしゃべろうとしながら、まわりからの無言の圧力を受けて殺されたのである。これは目に見えない暴力ではないのか?
ウワサや流言飛語など目に見えない暴力こそ怖いのであり、それらにこそ目を向けねばならない。