ブログ - 202208のエントリ

眼下の敵

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-8-27 8:52

  コオロギの声が庭から聞こえ、涼しい風が入ってくる今、夏が終わる気がしてきた。なんとも長い夏であった。コロナの猛襲、ウクライナ戦争の継続、統一教会・霊感商法問題と世の中が騒ぎ、自分にとっては(眼下の敵)との戦いが終わったのであった。

 あれから、薄い網ネットでスイカを包んでいたがそれを破られ、食べられた。それで、洗濯のときに使うネットの強いのが100円均一で売っていたので,それで五個のスイカを包んでみた。チャックを閉めた。翌日は来なかった。次の日、驚いた。ネットのファスナーのチャックが開けられていたのだ。アナグマは大きな爪で器用に開き、これを見ろ、と言わんばかりにスイカを食べ、その破片を当たりにばらまいていた。が、食べたのは一個だけであった。さて、困った、と考えながら、一案を考えた。ファスナーを閉じ、チャックの穴と本体にに針金を通し、結んでみた。四個のスイカである。

 翌日は来なかった。奴は毎日食べるわけではなく、二三日おきに食べることがわかった。

 すると、3日後に、食べられていた。なんと、閉じていたファスナー本体がきれいに開かれていたのであった。引き破ったわけではなく手品でもするようにきれいに開いた。どうして開けたのか?考えてみたがわからない。

 そこで残りの三個のファスナーを閉め、綴じ目の三箇所に針金を通し巻きつけ、閉めた。

 ネットはすごく丈夫に作ってあるし、針金の巻き目は外せはしないであろう・・、と考えた。

 次の日、食べられていなかった。安心したが、油断はできない、また食べられるかも知れない・・・?と考えた。

 その次の日からスイカはネットの中で大きくなっていった。アナグマは来なくなった。やつは開けることをあきらめたのか他に食べるものを見つけたのかも知れなかった。庭のクリも大きくなっている。8月の末であるから、スイカはもう成長しなくなる、これで終わりにしようと思い、奥様に電話して、アナグマに引っかかれたスイカがあるけど要らない?と電話で聞くてバイキンが移るかもしれないので要らないという。それで自分で食べることにした。熟させるために縁台で3,4日陽に当てた。中玉くらいのサイズであるが、眺めていると自分の家族のように見えた。唐草模様の着物を着て、本当に可愛いかった。

 縁台にまな板と包丁を持ってきて、割ってみた。鮮血を吹き出さんばかりにして体を開いた。まるで大地の鮮血であった!

 ゆっくりと味わいながらスプーンで食べていった。無上の美味しさであった!

 こんな美味しいものを食べたからには死んでもいいと思った。四分の一を食べ、残りは冷蔵庫に入れた。それから毎日、畑の草刈りをした後に極上の味を味わった。最後に残っていた2個を奥様の持っていくと、一個は熟していなかったがもう一個は美味しく、わたしの食べたのと同じように鮮血の色だったと、言った。

インポになってしまったわたし

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-8-13 8:22

  人生最大の楽しみができなくなって、悲しい気分である。ほろ酔い加減で立つのは立つが、(勃起)には至らないのである。だから、妄想だけで我慢している。

 誰がこんな嫌がらせをしたのか?なんのためにしたのか?と、考えてみると、思考の意外な発展が出てきた。その前に、誰がなんのために勃起のしくみをつくったのか?と考えてみた。それは人類繁栄のため、いや生命繁栄のためであり、聖書の創世記の箇所に2千年前に書き記してあり、まったくの真理である。でも、食欲の次に並ぶ人生の楽しみであるがそれに比例しての苦悩も抱えこむことになってしまった。楽しみが消えれば苦悩も消えることなのである。解放されることである。

 自分の意志で勃起するのではないしできるのでもない。では誰の力なのか?と考えれば仕組みを作った者としか言いようがない。神の力である。すべての不随意筋、つまり、心臓、肺、胃腸などの筋肉と同じく意志の力ではないのである。それは自分の意志で生きているのではないことなのである。神の意志といっても過言ではない。死ぬ時はやはり、神の思し召しなのである。

 もうお前の役目は終わったから、幕を閉じなさい・・・。

 神は言っているがいつ、どのようにしてかまでは教えてくれない。でも何人かの者には死ぬ時がわかるらしい。

 それまで、(人間業)を続けるしかない。ますます小さくなっていく楽しみだって残っている。今日は弁当配り似日で、三十件ほどの老人たちと会うことにそこに自分老い先の姿が待っている。

汗の玉うなじ伝ひて盆の風

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-8-9 8:42

  昨日、草刈り機をかつぎ、長袖のつなぎを着て、草刈りを始めた。すると、五分もしないうちに体が動かなくなった。午前九時、暑さはすでに高まり、日の出とともに伸び盛った草は夜露を汗にして放出している。歩くことはできるのに草刈りの動作はフリーズしてしまった。一旦やめて、家に帰り、どうしたものか?と考えた。草刈りをして金をもらっている。地主はお盆には様子を見に帰ってくると言っていた。もう何日かすればそこを訪れ、草刈りを終えていなければ4万円の金は出さないでああろう。4万円はおれにとって大金である。

 車を出して、現場に戻った。

 先日、二百坪のほぼ半分を刈り終えているのであと半分が残っている。三十センチほどのカヤばかりなので刈りやすい。刈り始めて十分もすると体が動かなくなる。少しやっては休み、少しやっては休みしながら、半分を刈り終え、帰宅して、昼食をとる。一時間半も休む。

 スマフォで持ち株を見ると、下がっている。買えば下がり、売れば上がる、不思議な世界であるが、それにそのとおりはまり込む自分もおかしな男である。まるで自分の人生を見るようである。

  今日で草刈りをやり終えれば、あとはお墓の掃除と墓参りだけが残ることになる。毎年毎年、三十年間もつづけてきたが、限界が訪れ始めている。体が動かなくなったら、どうなるのだろうか?

 今だけを考えろ・・・・。どうなるものでもない。そうやって世の中は動きみな、生きてきた。心配するのは人間だけである。

 さて、来年の今頃はこのブログに顔を出しているだろうか?

愛と性欲

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-8-4 8:22

  風俗女も含めると、これまで50十人近い女と体を交えたが、75歳になっても(愛と性欲)の関係ははっきりとはわからない。ほとんどの男性もそうであろうし、女であっても性欲だけで体をまかせることはある。だから、愛してもいないのに深い関係になってしまい、後悔するのである。

 愛があれば男女関係はうまくいくようであるが、そうとは限らない。ある例では、男が違う女と仕事上付き合うことになり、愛人の女に嫉妬が生まれ、相手に笑顔を見せただけで逆上することがあった。男と女の関係はすごくむずかしい。

 好きでもない女に性欲をおぼえることがあり、好きなのに性欲が出ない場合もあるし、性欲など関係なく楽しく付き合う例もある。その方が長続きして、良いのかもしれない。あなたと体を交えれば関係は終わりよ・・、と何人かの女は私に言ったがある程度うなづける。

 色気があるとか優しいとかいうよりも、そばにいるだけで満ち足りる、という相手が一番良いと思うが、あと何年先かの死期を意識して、そんな女に出会えるかどうかわからない。そんなことより、今日もご飯がおいしく食べられた、元気に歩けたことの方が大事になってくる・・・。

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