ブログ - 20220430のエントリ
一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし、
聖書のヨハネ伝・十二章二十四節に書いてある。
わたしは農業をやっているので、この言葉の意味するところがよくわかる。スイカやキュウリ、ナスなどを見ていると、母体が腐れ落ちて死ぬから種は外に出、芽を出すことができる。死ななければ母体の中に閉じ込められたまま自ら死滅するであろう。
無機物の石などは死なないから増える必要はなく、他方、有機物・生命体は全てこの聖句の原理にそって生きている。コロナだって死滅する運命にあるから必死に進化して、増えようとしているのである。
一つ前のグログに書いているように聖書は死滅を贖罪とみなし、神に対する罪滅ぼしととらえ、否定してはいない。他方、善悪の木の実を食べたがために死の運命を与えられたといって死を否定的にとらえてもいるが。
そんなとらえ方おいて、プーチンの出現は聖書的な意味を持つのではないか?わたしは彼の破滅を望み、(北のイグアナ)とでも呼びたい気持ちであるが、歴史的にもとらえてみたい。否定的とか肯定的とかではなく、生命界の一つの現象、法則あるいは原理として、また、一粒の麦の聖句にあるような箴言としてとらえてみたいのである。これまで自分が生きてきた人生の中に、奇妙な人間がいて、自分もその一つに当てはまるであろうが、常識や既成概念ではとらえきれない者たちがいて、彼らに光を当てるように。