ブログ - 20220417のエントリ
高齢者の免許更新を終え、ゴールドの新しい免許証を三日前にもらったときの感動は忘れない。三度も電車に乗って試験会場に通い、認知症のテスト、運転検査、講習、目の検査とそれぞれに不安をおぼえながら通過し、車検も10万円で取ったのに免許の更新ができなければ車もいらなくなるところであった。
写真撮影を終えて、新免許証に,つくづくと老いた自分の顔を見ながら、幸福感に包まれた。それほど老けてはいないが、目の下のたるみが大きくなり、頭髪がさらに薄くなり、眉毛はすっかりなくなっている。金ができたら眉毛を濃くしてみようか?髪も黒く染めてみようか?まわりの老人たちも女もみんなやっているではないか、恥ずかしいことではない。美容整形をやって顔が別人になった女は何人も目につく。だが、顔を検査された時、免許証の顔とまったくちがうではないか?と警察官にいわれたら、整形しました、という言いわけでとおるであろうか?
そこで、安部公房の傑作小説(他人の顔)を思い出した。事故で大やけどをおった主人公、その顔はミミズが這ったように悲惨な姿であった。そこで顔の整形に取り組み、なんとか成功した。そこで別れた妻に会うことにし、会ってみた。相手は自分であることに気づかなかったようであったが、後日、はっきり気づいていた、というストーリーである。
およそ50年前の作品で、評判になったのであるが、作者はノーベル賞はもらえなかった。わたしはとうぜんもらうべき作品であると考え、今でも時々、読み返して勉強させてもらっている。書き出しからフランス文学を思わせるしゃれた文章である。オルガンのペダルを踏むような足取りで階段を歩く、なんて並の小説家には書けないし、二人称によるモノローグ調の文章はとうてい日本人離れし、リアリズムもきちんとおさえられている。
今は骨をけずって顔を小さくできるので、別人に変身できののである。自由自在に顔が変えられ、そのうち体全体も自由に変えられるにちがいない。そして、人間性も変えられるにちがいない。
話は変わるが、一週間前、このホームページを閻こうとしたら、(削除されたのかもしれません。開けません)という表示が出て驚いた。プーチンのことを批判したのでサーバーにやれらたのかな?と考え、仕方ないな、なくなったらそれでも良い、とたかをくくっていたが。数時間後には復旧していて、安心した。
(レア仲間)はわたしの顔である。書き換えはしたくないし、消滅もさせたくない。自分が死ねば誰かにサーバー費用を払ってもらい、いつまでも存続させていたい。他人の顔より自分の顔、である。