ブログ - 20211024のエントリ
(中村さん、あなたは今こうして集金の仕事をしているけど、もう一つの宇宙では附属中学校に通っていたあの頃の世界がそのまま続いているんですよ。その世界とはけっして交われない並行宇宙ですけどね)
三十年前、kさんの家にNHKの集金のために通っていた頃、彼のつぶやいた言葉が頭の中にはっきり残っている。あれ以来、彼の言う多次元宇宙が少しずつわかってきた。親と担任教師のすすめで地元の中学校に行かず、電車で二時間もかかって通った小倉の附属中学校はわたしの人生を大きく変え、劣等者の烙印を押し、陰気な性格を強めた。無遅刻無欠席で送った生活であったが成績は130人中、100番くらいであった。通学電車の中では英単語のカードを必死でめくり、歴史の年号をおぼえることに努めたのに・・。結果的に評判の良くない大学に入り、肉体労働を転々としながら、帰郷して集金人になり、なんとか妻子を養ったが、今はアルバイトと年金で食いつないでいる。
それをどのように評価するかは自分次第であるが、孤立無援の生活になると、やはり、あの頃と同じく負け犬であったと思わざるを得ない。が、自分には考える力が与えられたと思う。四、五年前、福岡伸一さんの(動的平衡)という本を読んで感動したのである。動的平衡とは、ウイキペディアによると、物理学・科学などにおいて、互いに逆向きの過程が同じ速度で進行することにより、系全体としては時間変化せず平衡に達している状態を言う。ミクロにみると常に変化しているがマクロに見ると変化しない状態である、と載っている。
Kさんが言ったように、附属中学校に通って真面目に勉強していた自分であるが六十年後も同じように真面目にアルバイトをしながら食いつないでいるのである。優秀であるとささやかれていたわたしが今では精米所に通ってもみ殻を袋に詰め、売っているのである。それが平行して同時に流れているとすれば面白い。違う世界を持っていることは世界を広げるのである。
時々、附属中学校に通っていたころの自分の姿を思い出すことがある。グレーの制服で通勤電車に乗り込むと大人の中で目立ち、人目を引いたのであった。今、それがわたしの姿であったと知る人はほとんどいないし、わたしはその頃の自分と現実的に対面することはできない。パラレルワールド(平行宇宙)なのであるが、そこで生活をつづけていることは本当であろう。朝の目覚め時に人の姿を見ることがるが、それは幻覚ではないのかもしれない。
海にいってみると、浜辺に空き缶やゴミが浮いている。波に遊ばれている。上がったり下がったりして、いつまでも同じことを繰り返しているが、場所はいつも同じ所であり、位相は変わらない。ミクロでみると変化しているように見えるがマクロで見ると変わりはせず、いつも同じ動作なのである。お釈迦さまの手のひらで踊っているのである。
これは(無常)というものであろう。神や仏は科学が生まれる前から真実を捉えていたが、今回のコロナ事変に意味づけを与えきらない限り、力を取り戻すことはできないであろう。