ブログ - 20211013のエントリ
菅氏が総理を辞め、岸田氏に変わったが、世間は新しい時代を迎えた気がしない。逆に株は四日間も下がり続け、海外の投資家は評価をしなかったし、国内もそうであった。菅氏の支持率は総理になったころは高かったが、やめる頃にはその半分にも満たなかった。コロナ対策に対してはマスコミが先導して彼を叩き、退陣に追いやった。
世間の評価では、彼は携帯電話の料金を三分の一にまで下げてくれ、次はNHKの受信料も下げてくれると期待していたのに残念だという意見が聞かれ、わたしもそう思った。菅氏がわたしとほぼ同じ歳で大学も同じであったということもあるが、彼は時代が前代未聞のコロナに襲われ、それを防ぐことだけでも精一杯だったとおもう。その点、岸田氏はコロナがひとまず収まった時にあらわれ、難関が去った頃であった。
今回の事態で感じるのは支持率も含めて数字へ考え方である。現代生活はすべて数字によってつくられ、成り立っているので数字をおろそかにしたり否定するj事はできないが、われわれは信仰にまで高めてしまっていることに気づかねばならない。小学校に入った頃から、数字への信仰を叩き込まれ、死ぬまで支配されているのではないか?ほぼ、神にも近い存在である。イエスであっても否定されることはあるのに、数字はなぜ否定されないのか?否定すれば現在の生活、生き方をすべて否定しなければならなくなり、それは体制の崩壊を意味することになる。思えば、数字は神以上の権威を持ってしまっているのである。
海外のニュースで、ある国の首相が金を出して支持率を操作させ逮捕されたことがあった。本来、厳正中立な手法で測定しているのであれば操作はできないはずである。
一つの例を出してみよう。日本はGNPは高かったのに、自殺率も高かったことがあり、現在、GNPはだいぶ下がったのに自殺率はあいかわらず、高い。GNPは国民の経済的豊かさを示して国民の幸福度を現しているはずなのに、なぜ、自殺率が高いのか?その矛盾を数字で説明することはできないのである。ここに数字の弱点がある。それは数字はある一面から見たものにしか過ぎないということでなのある。
こうなると数字によって世の中を動かすことができるのである。総理を追い落とそうとおもえば、彼の政治に対して不利になる数字だけを持ち出せば良い。今や、数字はりっぱな権力を持ってしまった。