ブログ - 20200925のエントリ
わたしが二十代の頃、左翼運動が盛んな時代に、(危険な思想家)という本が出版されたことがあった。興味をそそられながらも、その本を手に取ることはなかったが、今はもしかするとこのブログに書いている記事が当てはまるのではないか?と気になって、ネットで調べてみたら、よくわかった。(ウイキペディアはよく書いてくれているので助かる。)そこには日本共産党も暴力革命をとなえ、危険な思想とみなされていたが政党になり、危険な思想から外された、とある。
今では、政党の手順を踏まなかった旧オーム真理教や新左翼の残党が指定されているであろう。
要するに民主主義の手順やルールにのっとって行動を起こすか、直接的かの違いに過ぎないのである。ゆるやかなのか、烈しいかの違いであるが、体制側の秩序に従うことは次第に骨抜きにされていく危険がある。他方、その方が国民を納得させる利点があるかもしれない。
次のようなことをここに書けば、危険な思想とみなされるであろうか?
産業革命以降の人類は発明発見にいそしみ、商業主義を発展させて、物質的な繁栄の中で生きるようになった。だが、それは自然破壊をもたらすことであった。資本主義体制の中で、生存の安泰、快楽と利便性を吹き込まれた人類は、そのベクトルの後を振り返ることなく、自然を搾取・破壊しながら、ついにコロナの出現を招いた。森林の中で生きていたコロナは人間の伐採によって追い出され、人間を餌にして生きるしかなくなった。
神は川や海や山や生き物を作り、人類が自然を管理して安楽の内に生きるように整えていたが、人類は(禁断の木の実を食べて)自然破壊をはじめ、神の教に背きだしたのである。神はコロナをサタンに変身させ、人類の破滅を命じたのではないか・・。