ブログ - 20200923のエントリ

コロナ元年

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-9-23 19:09

  令和二年のこの年を、歴史家はなんと名付けるであろうか?と考えた時、体制側の彼らはまちがいなく令和二年と名付けるであろうが、わたしは、ちがう。まず、最初に、令和と言う文字の想起させるイメージがなんとなく冷たく権威的であったことから良い印象を抱かなかったこともあるが、心にうけいれにくく、馴染めなかった。その矢先、コロナ事変である。

 これまでの人類の権威が蹴落とされたといっても過言ではない。科学、医学、政治、経済、教育、宗教、文化などすべての分野がコロナにひれ伏し、アイデンティティを失墜させられた。今、それらの分野でコロナを自分たちの業界の中でどのように位置づけるか?どのように受け入れるか?コロナが何を提起しているか?とらえきった者がいるだろうか?いはしない。ともかく、単なる病気の一種なのだから、政府の言うとうり三密をさけて、マスクをし、手を消毒しようという構えしかないのである。すっかり反体制精神を失ったというよりもとよりそんなものはなかったのである。

 キリストの誕生が西暦0年だから、それを考えると、今はコロナ0年なのである。

   聖書によれば、神は人間に、永遠の楽しい人生を与えるつもりであったが、最初の人類であるアダムは神の教えにそむき、食べてはいけない木の実を食べ、楽園から追放されたのである。蛇のように地面を這いずり回る試練を与えられた。それから二千年の後、コロナが訪れた。それは(ノアの洪水)のように生き延びる者と死ぬものとの選別・淘汰が行おうとしているのではないか?

 実は、人類はコロナ元年を迎えて、歴史の折り返し点に立ったのである。世界は人間中心主義の頂点を極めてしまい、前にはもう進めない。人はちがう道を進むしかない。それは繁栄とは異なる方向を向いている。

 毎日新聞が書いてるようにコロナ負債によって、国債の信用度はワンランク落ち、ランクを取り返せるかどうかわからず、国家破産がいつ来るかわからない、と書いている。信用度が無くなれば国債を買う者はいなくなる。

 現代は自然界の競争原理を否定していることにも問題がある。階級制度はいけない、差異はいけない、差別はいけないといって均質原理を求め、差異や序列の起こすエネルギーをうしない、全体主義的な平等原理の歴史を作り始めた。街を歩けば、ほとんどの女が植毛眉毛とマスクで顔をつくり、素知らぬ顔で行き来している。笑顔もなければ歓びもない、マネキンたちである。阿部公房の小説・(他人の顔)なのである。

 文化も滅びることになる。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2020 9月 » »
30 31 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 1 2 3
アクセスカウンター
2024/05/12:116/165
2024/05/11:141/199

2024/04/12より2187/8320