ブログ - 20200917のエントリ
菅氏が総理大臣になり、実像がマスコミのライトに明々と照らされるにつれ、政界や有名人たちに関心のないわたしも新聞の紙面に食い入るようになった。法政大学卒ということは知っていたが、自分より一歳下であり、剛柔流空手部の副将をしていたことを知って、ネットを検索して調べた結果、彼は体育系空手部で自分は同好会の沖縄空手道剛柔会であったことがわかった。体育系は大学公認で、比較的穏健で、剛柔会はハングレ集団みたいな組織で、無抵抗な自分のみぞおちを十回も殴って失神させた過去は決して忘れはしない。
そんな大学にしか入れなかった自分への嫌悪感が強かった。大学は新左翼の騒乱場と化し、卒論もレポート提出で、卒業式にも出ず、卒業通知も来なかった。就職もせず、臨時工で食いつなぎ、無頼漢のような生活を送った。
他方、菅総理である。東北の高校を卒業し、集団就職で上京した。二年間働いて金をため、政治家を志望して自分と同じ法学部へ入った。(安保反対!国会解散!)の怒涛が渦巻く大学で、その攻撃対象である自民党へ進む道を選んだのである。新左翼の考えにどのように反応したのかわからないが、菅氏の父親は町議をつとめた人なのでなんらかの意見は聞いていたかもしれない。自分は半ば新左翼に共感していて、父親は日教組に入っていて、いつも政権批判をしていた。
ほぼ同期の二人であるが、菅氏は頂点に立ち、自分は、ホームレスみたいやない?と言われた老人である。好対照であろうが、自分は菅氏の人生に劣っているとは考えない。
俺には俺の人生がある、のだ。