ブログ - 202009のエントリ

縮み社会。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-9-5 11:15

  昨日は、スーパーで、買い物かごの整理のバイトを、やった。店内では、夕方にはパンが売り場からすべて消えたのを、見た。今朝、産直店に出荷に、行くと、日用品を売る大型店の駐車場に車があふれ、台風にそなえて防災グッズに買い物客が集り、道路が渋滞していた。

 コロナが落ち着いた動きになったと思うと、台風の出番が来たのである。史上最高の勢力を持っているらしく、九州を直撃するかもしれないという。六月に大雨被害にあった地域の復興がおさまらないうちに、また、災難が襲ってくる。想像もできない降雨量、海水温の上昇による風速の異常増加など、どちらも人間の自然破壊が原因である。だが、被害に備えての準備やかまえを訴えるばかりで、原因を追究し人間の生活への改善を訴えたりはしない。

 あなたの宗教団体はコロナをどのように、解釈し、とらえていますか?とあるキリスト教の宗派にたずねた。女信者は解釈?と首を捻っていたが、もう一人の男信者は、政府の言うとおり、三密を避け、ネットでの集会をやっています、とこたえた。

 同じことをもう一つの仏教系宗派にたずねた。その男性はフエイスガードとマスクをしていて、こうして感染が広がらないようにしています。政府のおかげで給付金をもらえありがたいことです。といった。

 全国一の会員数をほこるある団体の雑誌を読むと、コロナを自分達の信念の中にとりこむのではなく、その発生原因を生物学に求め、学者に書かせていた。

 それらを知って、わたしはすごく絶望した。どの組織として、コロナを自分たちの考えの中に取り込んで、思索してはいないのである。感染を恐れて、ネットで集会をしているなど、日頃、全知全能の神を持ち出す宗派がこんなありさまで、それが信仰を放棄していることと同じことであることに気がつかないのである。

 人間社会がすべての信念を失った時、コロナが訪れたのである。数十年前に、終末思想が流行っていたがついにやってきた・・・。災難は忘れた頃にやってくる・・・。まさにその通りであった!

 戦争でも起こればコロナは消えるかもしれない、と発言して、戦争を肯定するのか!と批判され、知事を辞職した市長がいる。が、それを問題提起として、戦争はなぜ起きるのか?どうすれば防げるのか、と議論を深めて本質を捉えようとはしない。戦争は悪い、暴力は悪い、セクハラは悪い、差別は悪い、と頭から否定して本質を捉えず、言論の自由を封殺しようとする組織が、まちがいなく、存在している。それはこのホームページのクリック数の異常な増加などで知った。その組織はSNSやフェイスブックなどあらゆる広報機関に二十四時間網をはって、獲物がかかるのを待っている。

 童謡でさえ、その歌詞が被差別部落を書いているなどと批判され、テレビ・ドラマや映画などもその台詞にセクハラ、差別的表現があると言われて、上映ができなくなっている。

 私たちは、日頃の会話や物を書く時のも警戒しなければならなくなっている。なぜ、そうなのかを議論しない限り、ますます社会や人間は縮んでいくばjかりで、ーそこに本物のファシズムが訪れることを知らなければならない。

 

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