ブログ - 20200528のエントリ
十八歳の頃は、大学受験に失敗し、就職もせず、不安定な時期であった。両親が嫌いだったので、家を出て東京に行った。そこにはドモリの矯正所があって、人生が変わる期待感があった。
有楽町のレストランでボーイの仕事を始めた。しゃべる必要のない仕事で、ウエイトレスもたくさんいて楽しかったが、自分がひどい田舎者であることに気づいた。洋食を出す時、スプーン、ナイフ、フォークなどの道具を選べず、ウエイトレルにやってもらわねばならなかった。田舎で洋食などは、一度も食べたことがなかったのである。だが、トラブルも起こさず、ぶじにつとめを終えた。
それから、矯正所に通う生活がはじまり、有意義な生活であった。十七歳の女の子と親しくなった。新潟の女で、雪のように白い肌をしていた。銀座をぶらつこうと、二人で手をつないで歩いていた。日劇の前に、五木ひろしショウの看板が出ていた。当時、彼は人気の絶頂期で、二人は看板に見とれるだけで、幸福になった。
ところが、金がなくて、入れない、のであった。
二人で、立ちすくんでいると、(どうしたの?ここに券を持ってるから、入らない?)、と男の声がかかってきた。(ダフ屋だから、金を払わなくてはいけないだろう?いくらかな?)と考えていたが、男は(お金はいらないよ。ぼく、みる予定だったけど、みれなくなったから、二人でみてらっしゃい)と言って、二枚の入場券を渡し、去って行った。
一瞬、呆気に取られていたが、看板の中の、本物の五木ひろしのステージを観ることになった。
ライブの世界は、すごい、の一言であった。
東京生活の中で、一番いい思い出である。