ブログ - 20200514のエントリ
今日で緊急事態宣言が解除され、コロナ禍はひとまず落ち着いたように見えるが、油断は出来ないし、コロナについてもっと考えねばならないことがある。コロナが生物と無生物の間に位置し、あるいは物質であるなどということが間違いであったと認め、捉え方を変えねばならない。特に、生物学会はそのように分類していたことがミスであり、生物学の基本を変えなければならないと判断すべきである。
コロナは生命体であり、同時に考える力や意識などを人間以上に持っているのである。そのように捉えなければコロナの本質はみえないし、今後の対処法もまちがったものになる。人間たちが寿命をのばし健康になったから、その分、病気が増え、力を増したのである。反転対称形の原理である。物理学でも真理になっているように、エボナイト棒を擦ればその両端に+と-が静電誘導され、その量は等価である、ということである。つまり、コロナや病気を絶滅させることは出来ないし、絶滅させたとすれば今度は違うものが出てくる、その原理である。対立することで現象学的に人間は存在できているのである。
コロナは今回の作戦を大成功と考えており、次は何年後にどんな形で臨むか?じゅうぶんに考えを巡らしている。人類もそれを読んで、三密、消毒、対抗薬などの効果を省み、次の手を考えている。これによってコロナと人類は意思の疎通をし、会話をしているのである。話は変わるが、わたしはバイクのカブに三十年間、のっている。相手は優れた機械だと思っていたが、心ある機械だと判断するようになった。機械であればいつも同じ唸りで走ると考えていたが、満足げな唸りであったり、悲し気な唸りになったり、変わるのである。そこで、わたしとカブは気持ちを交え、いっししょに走っていることが良くわかるのである。
亡くなられた方は気の毒だが、 コロナも生きる、人類も生きる、共存共栄の気持ちで臨むしかないのではないか?相手を認め、相手にも認めてもらう、その生き方しかできないのではないか?