ブログ - 20190226のエントリ
これまで、小説なるものを書いてきたが、ホームページは別として、一度も活字にも本にもならなかった。体験の部分は良く書けているがそれ以外は、何を書いているのかわからない、もう一度小説の書き方から勉強してみたらなど、の意見があった。書いた自分は満足しているのに意外な言葉に落胆していた。小説を書くとはどういうことなのか?自分なりに、考え続け、傑作を何度も読んだ。
結局、料理と同じであると、結論付けた。材料負け、現実体験をそれだけに執着して、乗り越えきらなかったのである。昨年の夏から、ある若い女に読んでもらって、スラスラ読めた、涙を流した、の感想をもらって、俄然、書く気になった。以前の作品に手直しを入れて、長編を二作、書き上げた。文学賞に応募しているので、来月号に予選の結果が出る。物忘れが出始めたうえ、記憶力の悪い自分が、読者を泣かせるほどのものを書けたとは驚きであった。
料理を作る時は、泥を落とし、皮を剥き、調味を考え、野菜の味の混ぜ合わせを考えたりするが、作品を作るとはまさにこのことである。想像力、創造力が要求されるが、小説の場合は、その作品のレシピはないし、似たようなものが出来たとしたら、失敗である。あくまでその作者しか書けないものを書くことが要求される。
素材の味、現実体験の味を失わないように、そして、読者に味を楽しめるようにと、書いた。
料理をすることによって、体験を客観視し、俯瞰した。それによって心の中にわだかまっていた過去をある程度、ご破算することが出来たように思う。
(罠に掛かった子イノシシ)も短編に仕上げられそうな気がして、取り掛かっている。