ブログ - 20190202のエントリ
二か月先に、統一地方選挙が待っている。わが町の町会議員選挙にも動きが出始め、現職の三人が立候補せず、六人の新人が立つらしい。自分には期待感がなく、どこか憂鬱な気分である。
投票したい候補者がいないのだから、棄権すれば簡単なことであるが、、それは悪いことのように思える。ある知り合いの男の三十五歳の娘が立つというので、彼女と少し立ち話をした。町への企業誘致をする、子育て支援などありきたりの公約であった。ありきたりと言うより、その言葉に信念が感じられず、立候補に、いくらくらいの費用がかかるか?と訊くと、数万円だという。彼女父親から町の全世帯にチラシを配ったと聞いていたから、だいぶかかったと考えていたがそうではなかったので安心した。
何のために立候補したのか?と訊くと、この町を良くするためです、と言う。張り切った表情もなければ声もない。以前、自分の家に投票依頼のために訪れた女・立候補者のことを思い出した。
「この町をどのようにしたいのですか?」
と、尋ねると、同じく、良くしたいです、と応え、「どのようにしてですか?」と言うと、「それは当選してから決めます」と言った。
彼女が去った後、唖然としてしまった。
政治家という意識も信念もまったく、無いのである。当選して、町民から、いろんな要望を訴えられると、すべてに対して良いですよ、やりますよ、とこたえるが、口先だけである。議員報酬、つまり金が欲しいのである。そして、町議会という、質問と応えの予め決められたお遊戯会に一日中座る仕事に就くのである。議案に対して、突っ込んだ質問をすることもなく、居眠り半分で聞いている。議員としての仕事の評価もなく、遊び半分にやっている。
なぜ、こんな仕事、こんな者達がまかり通っているのであろうか?それは政権側が彼らの都合の良い政治をするためである。